シュティルナー論文2本公開


本日、『情況』3月号に掲載されたマックス・シュティルナーについての論文「エゴイズムの思想的定位――シュティルナー像の再検討」のpdfファイルを私のHPで公開致しました。ご関心の向きは、是非ご一読・ご利用を頂ければ幸いです。

また、それと同時に、本論文の草稿となった文章に少し手を加えたものを、「シュティルナーの誤解者たち――日本語圏における研究史の類型論的整理」と題して同サイトに掲載致しました。こちらは以前述べた「シュティルナーについて言及している日本語の文献を全てさらって総批判してやろうという無謀なプロジェクトに基づき、少なくとも2007年初頭には原型が完成していたもの」の「原型」に当たり、「目にした日本語文献ほぼ全てにリファーする「総批判」版」です。分量としては「思想的定位」の4倍弱あります。「最新の文献も含めた改訂」はかなり限定的なものに留め、内容の改変は当時の問題意識を現在から再構成する形に修正してまとめた序論&結論部ぐらいにしました。そういうわけで、『情況』論文よりも若干血の気が多めなのは、往時の事と思って流して下さい。


念の為に周知しておくと、「思想的定位」にせよ、その元となった「誤解者たち」にせよ、シュティルナーの著作を除けば、扱っている文献は全て日本語で読めるものに限られています。ですので、掲載誌の性格から考えても、学術的にさほどの有意を認められる研究成果とは言えないでしょう。だからといって内容に自信を持っていないわけではありませんし、今現在英語圏の文献などに当たる中でも、特に修正が必要だと考えている部分はありません。それでも、一般向けに公開した、語のそのままの意味での「研究ノート」ぐらいに捉えて頂くのが、ひとまず無難かと思います。

学術的に有意な研究について知りたい方は、最近出版された滝口清栄『マックス・シュティルナーとヘーゲル左派』(理想社、2009年)や、日本初の学術的なシュティルナー研究書と言える住吉雅美『哄笑するエゴイスト』(風行社、1997年)などをお読みください。その他の文献については私が作成した文献目録がありますので、そこから探してもいいでしょうし、基本的な文献の案内はこちらに書きました。


ちなみに、最近は「サンデル講義」放送の影響でリバタリアニズムへの関心が多少高まっているようですが、シュティルナーの思想も現代のリバタリアニズム思想と全く無関係ではありません。1907年に米国で『唯一者とその所有』の英訳本を編んだのは、ベンジャミン・R.タッカー(1854-1939)です。

タッカーという人は「アメリカの土着のアナーキズム」思想を展開した人で、森村進編『リバタリアニズム読本』では、「十九世紀のアメリカのリバタリアン」とされるなど数ヶ所で言及されています。彼は歴史的に言えば「個人主義アナーキスト」に分類した方が適切かもしれず、現代的な意味で「リバタリアン」と呼んでいいかは微妙な問題なのですが、それでも現代リバタリアニズムの理論的発展を牽引したマリー・ロスバードは、タッカーに影響を受けたと言われています。

つまり、「タッカーなどを通じて、シュティルナーとリバタリアニズムの間にも一応の思想史的連続性が存在する」と言える可能性はあるわけで、そのため、シュティルナーの思想とその受容史を詳細に解明することは、現代リバタリアニズム、ひいては現代政治理論の研究に対しても、一定の貢献に繋がるかもしれません。

また、シュティルナーは『唯一者とその所有』の中で、当時(三月革命前期)のドイツ自由主義を「政治的自由主義」として、初期社会主義を「社会的自由主義」として、自らの立場からそれぞれ批判しています。その一方で、糊口をしのぐためとはいえ、アダム・スミスやJ=B.セイの著書を翻訳するなどもしています。同時代的に見ても、彼の思想が自由主義などの他の立場に対してどのような異同を持っていたのかは、比較思想的な研究対象として非常に面白いものだと思います。


こうした点については、今回の「研究ノート」に基づいた拙研究の今後の進展にご期待・ご注目を頂ければと思います。


唯一者とその所有 上

唯一者とその所有 上

唯一者とその所有 (下) (古典文庫 (21))

唯一者とその所有 (下) (古典文庫 (21))

マックス・シュティルナーとヘーゲル左派

マックス・シュティルナーとヘーゲル左派

哄笑するエゴイスト―マックス・シュティルナーの近代合理主義批判

哄笑するエゴイスト―マックス・シュティルナーの近代合理主義批判

リバタリアニズム読本

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自由の倫理学―リバタリアニズムの理論体系

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