私たちの新たなる神


自分が欲しがっていたモノや、欲しがるであろうモノを、現に欲しいと言ったり思ったりする前に貰ったら、嬉しいはずだ。確かに、大して親しくもない人や見知らぬ他人からそれをされたら、嬉しさより気持ち悪さの方が先に立つだろう。自分が望むようなサービスを、機械が先読みするように自動的に行う場合も、多少薄気味悪さが漂うだろう――少なくとも現時点では。しかし、相手が家族や恋人であったら、ほとんどの人は純粋に嬉しいはずだ。「私のことを解ってくれている」と思うだろう。「私のことを愛してくれている」と思うだろう。それゆえに、ますます相手を愛おしく思うだろう。


同じことがこれから、私たちの物理環境に対して起こっていくかもしれない。環境が、私たちが欲しがるより前に何でも与えてくれ、私たちが思うより速く思いを叶えてくれるなら、私たちは「それIt」を愛するようになるのではないか? かつて私たちの祖先が自然の恵みに感謝し、自然を愛し、自然を畏敬したように、私たちも、私たちの「自然」に帰依するようになるかもしれない。その現象は、新しい神の現れである。仮に「イット教」と呼ぶのでも「グーグルゾン教」と呼ぶのでも何でもよい。私たちの未来は、新しい自然信仰、新しいアニミズムとともにあるかもしれない。