西欧思想史1690-1856
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http://sites.google.com/site/politicaltheoryofegoism/stirner/historical-positioon
不勉強なもんで、ただ羅列しただけで知らないことだらけ。とてつもなく不完全だけれども、また折を見て増補・修正しながら、個人的に満足のいくものに仕上げていければ。時代も徐々に前後に延ばしていきたいね。ただ、とりあえずはこの時代を押さえたい(特に三月前期)。参考文献はたくさんあるのでいちいち挙げないが、通史としてはやはり水田洋『社会思想小史』が便利かな(バイアスは強いが)。それから、最近読んだ安藤隆穂『フランス自由主義の成立』が非常に勉強になった&興味深かった。どうでもいいが、この表はもう少し見易く作れないかなぁ。
米 | 英 | 仏 | 独 |
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1690.ジョン・ロック『市民政府二論』 | 1694.トマジウスがハレ大学を創立 | ||
1701‐1713.スペイン継承戦争 | 1701.プロイセン王国成立 | ||
1707.スコットランドを併合し大ブリテン連合王国成立 | |||
1711.シャーフツベリ『人間、風習、意見、時代の諸特徴』 | |||
1713.フリードリヒ・ヴィルヘルム1世がプロイセン国王に即位 | |||
1714.ジョージ1世が即位しハノーヴァー朝開く;バーナード・マンドヴィル『蜂の寓話』 | |||
1715.ルイ15世が即位 | |||
1717.ロンドンでフリーメイソン結成 | |||
1719.ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』 | |||
1721.ウォルポールが責任内閣制を開始 | 1721.モンテスキュー『ペルシア人の手紙』 | ||
1726.ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』 | |||
1726-29.ヴォルテールがイギリスで亡命生活 | |||
1727.ジョージ2世が即位 | |||
1729.ハチスンがグラスゴウ大学の道徳哲学教授に就任 | |||
1733.ジョン=ケイが飛び梭を発明 | |||
1734.ヴォルテール『哲学書簡』 | |||
1737.ハノーヴァー王国でゲッティンゲン大学が創立 | |||
1739-40.ディヴィッド・ヒューム『人性論』 | |||
1740-48.オーストリア継承戦争 | 1940.フリードリヒ2世がプロイセン国王に即位;マリア・テレジアがハプスブルク家領を相続;ライプニッツ『モナドロジー』 | ||
1748.モンテスキュー『法の精神』 | |||
1750.J.J.ルソー『学問芸術論』 | |||
1751.ディドロとダランベールが『百科全書』刊行開始(〜80) | |||
1754.コンディヤック『感覚論』 | |||
1755.ルソー『人間不平等起原論』 | |||
1756-63.七年戦争 | |||
1758.エルヴェシウス『精神論』;ケネー『経済表』 | |||
1759.アダム・スミス『道徳感情論』 | |||
1760.ジョージ3世が即位 | |||
1762.ルソー『社会契約論』;ルソー『エミール』 | |||
1764.本国政府が砂糖法制定 | 1764-66.スミスがフランス旅行 | ||
1765.本国政府が印紙法制定 | 1765.ジェームズ・ワットが蒸気機関を発明 | 1765.ヨーゼフ2世が皇帝に即位 | |
1766.印紙法廃止 | 1766.テュルゴ『富の生産と分配についての諸考察』 | ||
1767.ファーガスン『市民社会史』 | |||
1769.コンドルセが王立科学アカデミーに入会しダランベールに師事 | |||
1772.レッシング『エミーリア・ガロッティ』 | |||
1773.ボストンティーパーティー | |||
1774.第1回大陸会議 | 1774.ルイ16世即位;テュルゴが財務総監に就任;コンドルセが造幣局総監に就任 | 1774.ゲーテ『若きヴェルテルの悩み』 | |
1775.アメリカ独立戦争勃発 | 1775.デュポン・ド・ヌムール『自治体に関する覚書』 | ||
1776.トマス・ペイン『コモン・センス』;アメリカ独立宣言 | 1776.スミス『国富論』 | 1776.テュルゴ解任;ネッケルが財務総監に就任(〜81);コンドルセ『出版の自由についての断章』 | |
1781.コンドルセ『黒人奴隷に関する考察』 | 1781.イマニュエル・カント『純粋理性批判』 | ||
1782.バンジャマン・コンスタンがエルランゲン大学に入学;シラー『群盗』 | |||
1783.パリ条約でイギリスが独立を承認 | 1783-84.コンスタンがエディンバラ大学に留学 | 1783.シラー『たくらみと恋』 | |
1784.カント『啓蒙とは何かという問題への解答』 | |||
1785.コンドルセ『多数決に基づく決定に蓋然性分析を適用する試み』 | |||
1786.コンドルセ『ヨーロッパへのアメリカ革命の影響』 | 1786.フリードリヒ・ヴィルヘルム2世がプロイセン国王に即位 | ||
1787.合衆国憲法を採択 | |||
1788.コンドルセらが三十人会を結成(ミラボー、ヌムール、ラ・ファイエット、タレーラン、レドレルなど) | 1788.カント『実践理性批判』 | ||
1789.連邦政府発足 | 1989.シェース『第三身分とは何か』;ジャコバン・クラブ結成;パリ民衆がバスティーユ監獄を襲撃;人と市民の権利の宣言 | ||
1790.エドモンド・バーク『フランス革命の省察』 | 1790.カント『判断力批判』;レオポルト2世が皇帝に即位 | ||
1791-92.ペイン『人間の権利』 | 1791.コンドルセらが1789年協会を結成(ミラボー、ヌムール、ラ・ファイエット、タレーラン、シェース、カバニスなど);オランプ・ド・グージュ『女性と女性市民の権利の宣言』;91年憲法を制定 | ||
1792.メアリ・ウォルストンクラフト『女性の権利の擁護』 | 1792.共和政に移行 | 1792.普墺両国が対仏開戦;フランツ2世が皇帝に即位 | |
1793.ウィリアム・ゴドウィン『政治的正義』;ピットが第1回対仏大同盟を組織 | 1793.モンターニュ派が独裁権力握る;93年憲法を制定(実施延期);コンドルセ『人間精神進歩の歴史的展望の素描』 | ||
1794.コンドルセが獄中で死亡;テルミドール9日のクーデタ;ロベスピエール処刑 | 1794.フィヒテ『全知識学の基礎』 | ||
1795.95年憲法を制定;総裁政府が成立;ジェルメーヌ・スタール『国内平和についての考察』 | 1795.バーゼルの和約;カント『永遠平和のために』 | ||
1795-96.ゲーテ『ヴィルヘルムのマイスターの修業時代』 | |||
1796.バブーフの陰謀が発覚;ジェルメーヌ『個人図書国民の幸福に及ぼす情熱の影響について』;コンスタン『現在の政府の力とそれに協力する必要について』 | |||
1797.レドレル『世論の理論』;コンスタン『政治的反動について』;コンスタン『恐怖政治の諸結果』 | 1797.カンポ・フォルミオの和約 | ||
1797-99.ヘルダーリン『ヒューペリオン』 | |||
1798.マルサス『人口論』;ワーズワス/コールリッジ『抒情歌謡集』 | 1798.ソフィー・コンドルセがスミス『国富論』を仏訳;ジェルメーヌ『革命を終結させうる現在の状況とフランス共和国の基礎となるべき諸原理について』 | 1798.シュレーゲル兄弟が『アテネウム』創刊(ノヴァーリス、シュライアマハーなど) | |
1798-1800.コンスタンがゴドウィン『政治的正義』を仏訳 | |||
1799.ブリュメール18日のクーデタ;統領政府が成立;コンスタンが護民院議員に就任 | |||
1800.コンスタンの「自由な護民院」演説がナポレオンの不興を買う;ジェルメーヌ『社会諸制度との関係で考察された文学について』 | |||
1801.トマス・ジェファソンが大統領に就任(〜09) | 1801.大ブリテン=アイルランド連合王国が成立 | 1801.コンコルダート;ジェルメーヌがナポレオンと対立してスイスのコッペに亡命 | 1801.リュネヴィルの和約;シェリング『私の哲学体系の叙述』 |
1802.コンスタンが護民院を追われる | 1802.ノヴァーリス『青い花』 | ||
1803.J.B.セー『政治経済学概論』;シスモンディ『商業の富』 | |||
1803-04.ジェルメーヌとコンスタンがドイツを訪れる(ゲーテ、シラー、シュレーゲル、フンボルトらと交流) | |||
1804.民法典を公布;ナポレオンが皇帝に即位;コンスタン『ヨーロッパ文明との関係における征服と簒奪の精神について』 | |||
1805.トラファルガー海戦 | |||
1806.大陸封鎖令 | 1806.南西ドイツ諸邦がライン同盟を結成;ヨハン・カスパー・シュミットがバイエルン王国のバイロイトで出生 | ||
1807.奴隷貿易を廃止 | 1807.ジェルメーヌ『コリンヌ』 | 1807.ティルジット条約;プロイセンでシュタインが国務大臣に就任;農民解放;G.W.F.ヘーゲル『精神現象学』 | |
1807-08.フィヒテの連続講演「ドイツ国民に告ぐ」;ジェルメーヌがドイツを再訪 | |||
1808.都市条例を制定;ゲーテ『ファウスト』第1部 | |||
1809.ジェームズ・マディソンが大統領に就任(〜17) | |||
1810.シュタインに代わってハルデンベルクが国務大臣に就任;ベルリン大学創立;シュミットがプロイセンのクルムに移る | |||
1810's.ラダイト運動が盛ん | |||
1812.ギゾーがソルボンヌ大学の歴史学教授に就任 | 1812.ヘーゲル『大論理学』 | ||
1812-14.米英戦争 | 1812-13.ジェルメーヌがコッペからロシアを経てロンドンに逃れる | 1812.グリム兄弟『子供と家庭の童話集』(〜23) | |
1813.ジェルメーヌ『ドイツ論』;ライプツィヒの戦い | |||
1814.ナポレオンがエルバ島に流される;ルイ18世により王政復古;コンスタン『立憲君主制下の憲法についての考察』;ジェルメーヌがパリに帰還;セー『政治経済学概論』第2版 | 1814.メッテルニヒがウィーン会議を主宰 | ||
1815.穀物法を制定 | 1815.コンスタン『政治学原理』;ナポレオンの百日天下;コンスタンが帝国憲法追加条項の起草に協力;ワーテルローの戦い;ルイ18世復位 | 1815.ドイツ連邦が成立;学生組織ブルシェンシャフト結成 | |
1815-16.コンスタンが再び追放される | |||
1816.コンスタン『アドルフ』 | |||
1817.モンローが大統領に就任(〜25) | 1817.ディヴィッド・リカード『経済学と課税の原理』 | ||
1818.ジェルメーヌ『フランス革命の主要事件についての考察』 | 1818.シュミットがバイロイトに戻る | ||
1818-19.コンスタン『立憲的政治講義』 | |||
1819.コンスタンが下院議員に就任(〜30);コンスタンの講演「近代人との比較による古代人の自由について」 | 1819.カールスバート決議により自由主義運動への抑圧強まる;ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 | ||
1820.ジョージ4世即位;マルサス『経済学原理』 | 1820/22.コンスタン『百日天下に関する覚書』 | ||
1820-23.サン=シモン『産業体系』 | |||
1821.ギリシア独立戦争に伴う独立支援運動が始まる;ヘーゲル『法哲学』 | |||
1822.フーリエ『家政的農業的共同社会論』 | |||
1823.モンロードクトリン | |||
1823-24.サン=シモン『産業者教理問答』 | |||
1824.シャルル10世が即位 | |||
1825 オーウェンがインディアナに「ニュー・ハーモニー」を造る | 1825.サン=シモン『新キリスト教』 | ||
1826.シュミットがベルリン大学に入学 | |||
1828.審査法を廃止 | 1828.シュミットがベルリン大学を退学してエルランゲン大学冬期講義に出席 | ||
1829.ジャクソンが大統領に就任(〜37) | 1829.カトリック教徒解放法を制定 | 1829 フーリエ『産業と連帯の新世界』 | 1829.シュミットがケーニヒスベルク大学に入学 |
1830.インディアン強制移住法を制定 | 1830.ウィリアム4世が即位 | 1830.七月革命でルイ・フィリップが即位;オーギュスト・コント『実証哲学講義』;スタンダール『赤と黒』 | 1830.シュミットがクルムの家に戻る |
1931.地方議会に選挙制を導入 | 1931.シュミットがケーニヒスベルクに戻る | ||
1832.第1回選挙法改正 | 1832.ハンバハ祭;ゲーテ『ファウスト』第2部;シュミットがベルリン大学に再入学 | ||
1833.一般工場法を制定;奴隷制度を廃止 | 1933.初等教育に関する法律(ギゾー法) | ||
1834.ドイツ関税同盟が発足;ロテックとヴェルカーが『国家学辞典』を編纂(〜44);シュミットがベルリン大学を退学;シュミット「学則について」 | |||
1835.アレクシ・ド・トクヴィル『アメリカのデモクラシー』 | 1835.ダールマン『政治学』初版;ディヴィッド・シュトラウス『イエスの生涯』;シュミットが教員資格を認められてベルリン王立実業学校の講師見習に就職(6ヶ月) | ||
1836.第1次ティエール内閣(7ヶ月) | |||
1836-38.チャーティスト運動始まる(〜40's-50's) | |||
1837.モールスが電信を発明 | 1837.ハノーヴァー国王による憲法廃止に伴うゲッティンゲン七教授事件(ダールマン、グリム兄弟など);シュミットがアグネス・クララ・クニグンデ・ブルツと結婚 | ||
1838.シュミットの妻が死去 | |||
1939.シュミットがグロピウス女学院に就職 | |||
1840.アヘン戦争(〜42) | 1840.第2次ティエール内閣(7ヶ月);スールト内閣の外相にギゾーが就任;ピエール・ジョゼフ・プルードン『所有とは何か』 | 1840.フリードリヒ・ヴィルヘルム4世がプロイセン国王に即位 | |
1841.フリードリッヒ・リスト『政治経済学の国民的体系』;ルードヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』;ブルーノ・バウアー『ヘーゲルを裁く最後の審判ラッパ』 | |||
1842.『ライン新聞』発刊;バウアーがボン大学を追われる;マックス・シュティルナー「B.バウアーの最後の審判のラッパについて」;シュティルナー『57人のベルリンの聖職者の著作『キリスト教の日曜祝祭日―我が教区民への愛の言葉―』への反論』;シュティルナー「誤まれる現代教育の原理―或は人道主義と現實主義」;シュティルナー「藝術と宗教」;シュティルナー「何らかの信仰告白に対する国民の義務」;シュティルナー「自由人」 | |||
1842-43.ウジェーヌ・シュー『パリの秘密』が新聞連載 | |||
1843 J.S.ミル『論理学体系』 | 1843.ダールマンがボン大学教授に就任;『ライン新聞』発禁;バウアー『ユダヤ人問題』;セーレン・キルケゴール『あれかこれか』;シュミットがマリー・デーンハルトと結婚 | ||
1844.シュレージエンで織工が蜂起;シュティルナー「愛の国家についての試論」;シュティルナー「ユウゼエヌ・スウの「巴里の秘密」」;シュミットが女学院を退職;シュティルナー『唯一者とその所有』 | |||
1844-45.カール・マルクス/フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』執筆 | |||
1845.ダールマン『フランス革命史』;シュティルナー「シュティルナーの批評家たち」;シュティルナーがセー『政治経済学概論』を独訳;シュミットが牛乳屋で失敗 | |||
1846.米墨戦争 | 1846.穀物法を廃止 | 1846.プルードン『貧困の哲学』 | 1846.フォイエルバッハ『宗教の本質』;シュミットがマリーに逃げられる |
1846-47.シュティルナーがスミス『国富論』を独訳 | |||
1847.10時間労働法を制定 | 1847.ダールマン『政治学』第2版;マルクス『哲学の貧困』 | ||
1848.ミル『経済学原理』 | 1848.二月革命で共和政に移行;男子普通選挙を実施;5月15日事件;六月蜂起;ルイ・ナポレオンが大統領に就任 | 1848.三月革命;マルクス/エンゲルス『共産党宣言』 | |
1849.マルクス『賃労働と資本』;キルケゴール『死に至る病』 | |||
1951.ロンドン万国博覧会 | 1951.ルイ・ナポレオンのクーデタ | ||
1852.ナポレオン3世が皇帝に即位 | 1852.マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」;シュティルナー『反動の歴史』全2巻 | ||
1953-54.シュミットが借金のため2回留置場に入る | |||
1954.クリミア戦争(〜56) | |||
1855.パリ万国博覧会 | |||
1956.シュミットが毒虫に殺される |
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