震える思考


twitterから。

3月11日

余震の不穏さというのは,特筆すべきものがある.
posted at 15:20:11

今回の件でustはじめ,ソーシャルメディアの認知度と受け入れ・積極利用が広まるのは確実だろうな.自治体など公共団体のtwitterでの情報発信もますます増えるのだろう.10年ぐらいすると,あれが「〜元年」だった,みたいに言われるのかも.
posted at 19:34:21

政局への影響もどう出ることか.都知事選へは,あんまり関係ないかもだけど.
posted at 19:38:42

3月12日

暗闇に,絶えざる余震か.精神面も心配になるな.
posted at 00:15:44

善意が凄いな.氾濫してる.善意が交錯したり,衝突したり,擦れ違ったり.twitterばかり見ていると,酔いそうになる.
posted at 00:40:32

これが社会ですね.
posted at 00:41:07

色んな出来事あると「空気読めてない」とか言う人いるが,色んなところに,色んな状況で,色んな人がいるので,そもそも情報の共有ができていない.「空気」云々の前提が崩れているんですよね.あんまりキツイこと言わないであげて下さいな.気持ち不安定になるのも分かりますが.
posted at 02:22:57

非常時.現地だからこそ情報に疎いということがある.twitterは情報共有には便利だが,それで火が消せるわけではない.役割がある.数時間経っても消火活動が行われていない,などの報を聞いていると,自治体の能力ではできない,などと聞くと,色々.考える.公共性.権力.難しい.
posted at 02:32:05

人によっては,こんな時に何を,と思うのだろうが,しかし考えるのを仕事にしている/しようとしている人間は,こんな時だからこそ考えなければならない.私は全然考えがまとまらないけど.
posted at 02:44:44

こんな時だからこそ問題になる事1つとして,さて,革命家はどう出ますか,ということがある.
posted at 03:26:33

まぁ,こういう状況で無関心に振る舞う自由を確保するのは,事実上難しい.一色になってしまうのを避けるオアシスでもあればいいのだろうが,世界中からも注目されている状況では,なかなかね.結局,端的に降りる(切断)しかない,ということになるか.沈黙を強いる,と言えばそうだが,それも社会.
posted at 04:00:32

非常事態を非常事態と思わないということも一つの対処法なのだろうし,現に困った状態に置かれている人たちほど意外と平常通りに行動したり冷静である,ということもあるが,しかし,そういう「安定」って明白な「非常」が現前すると突如壊れたりするから,やはり非常の中の冷静さが重要なのだろう.
posted at 04:49:07

全体が見えていない,情報が足りてないから冷静でいられる,ということもあるから.まぁ,情報がありすぎてパニック,ということも当然あるわけで.平常と非常を選り分ける判断と行動をどう確保するかだなぁ.
posted at 04:52:39

こういうとき警察ってどういうふうに動いているのだろうか.
posted at 05:16:27

しかし,何度見聞きしても,「ほぼ壊滅状態」の字面と音声のインパクト凄い.この報を打つ時の気持ち,どんななのか.
posted at 08:25:40

災害時のメディアの役割分担というのは,本気で取り組むべき課題ではないか.犯罪報道などの際の代表取材などと同時に.その中に流言情報を検証するのに徹するところがあってもいいんじゃないか.
posted at 19:57:11

3月13日

非常時だろうが平常時だろうが,批判一般が悪いということは無い.ただ,スジの良い批判と悪い批判があるだけ.グチ,ヤジ,ジョークも同じ.センスや想像力のあるなしを,封殺のあるなし論にすり替えるのはダサい.
posted at 11:26:39

「できること」はできることであって,それ以上でもそれ以下でもないですよ.イコール「すべきこと」ではない.してもいいし,しなくてもいいことです.
posted at 19:11:17

しかし,自粛派って何かあると必ず現れるのだが,被害の「威」を借りた単なる権威主義者なので,差別や流言の類とともにきちんとまとめて問題視せねばならない.
posted at 19:48:49

「自粛派」だと固定的な集団を指すような印象を与えるかもしれないので,「謹慎主義」というのはどうだろう.いずれにせよ文脈依存的になってしまうかもなので,適切な名称かどうか分からないが.
posted at 23:14:02

しかし,差別にせよ流言にせよ謹慎主義にせよ,これからか….
posted at 23:15:19

3月14日

まぁ,_damareタグを作りたくなる人は色々いるものだ.
posted at 22:10:43

東電は頑張っていると思うが,停電情報についてはメディアがもう少し有効に伝えられないものかと思う.HP見てくれ,電話してくれ,で終わるのではなく.
posted at 22:36:40

自治体のHPを見るのが現状一番確実なのかと思うが,ネット外での情報周知の手段は難しいな.
posted at 22:39:43

まぁ,ただ,枝野さんの背後に不眠不休の人がどれだけいるのか,想像するに余りある.
posted at 22:58:14

#no_jisyuku アンド #no_panic
posted at 23:05:32

3月15日

共産党に限らず,極端な立場であるからこそ,物事(の一側面)がよく見える,ということは往々にしてある.その見識(の一部)をどう掬っていくか,というのは社会・集団の懐の深さか.
posted at 22:10:17

「懐の深さ」,というのは正確でないかも.まぁ,いいや.
posted at 22:11:20

デマtweetのRT拡散などを通じて,少しずつ学習は進んでいるのだと思いたいが,誰もがマスメディアのように不特定多数への情報を発信し得るようになることは,それだけ人を傷つける能力を手に入れている,ということでもある.「これを〜な人が見たら」と,誰でも言われる可能性がある.
posted at 22:35:38

総表現社会」というのは,そういう意味で,誰もが加害者になり得る社会でもある.個人のエンパワーメントは,同時にその力が暴力へ転ずる可能性も伴う.その責任というか,帰結は各自で考えておくべき.
posted at 22:37:08

「表現」はどう受け取られるか分からないから,逆恨みにせよ,何にせよ,回り回って誰かを傷つけたり,恨まれたりする可能性というのは,常にある.不特定多数への発信可能性が高まれば,負の影響可能性も高まる.その責任は各自で取れるか.取れるはずがない.ただ,可能性は知っとくべき.
posted at 22:41:33

そういう意味で,というか.自分がどれだけの人を傷つけているのかの自覚や,傷つけても仕方ないという覚悟もあるのだかどうだかあやしいままに安易な「報道」を頑張っていらっしゃる一部の方々よりも,「不謹慎」と罵られることも厭わず本気で人を笑わせようとしている人たちの方を,私は支持する.
posted at 22:49:45

報道の体をなしていない報道番組や情報番組を貶めるのに,「バラエティー」とか「エンターテインメント」などの語を使うのは,本気でバラエティーやエンターテインメントを作っているプロパーの方々に失礼.
posted at 22:56:08

3月16日

パニックにならぬよう,冷静に情報収集をして合理的な判断を,というのは解る.のだが,次に何が起こるか分からない(という不安が強まっている)状況,いわば「理想的思考状況」からより遠い時には,リスク認識に対応した予防的処置で,可能な限り不安を鎮めることが求められることもあるだろう.
posted at 00:48:55

逆説的に響くが,パニックを避けるためには,一種の「感情的」対応の方が適切な場合があるかもしれない.冷静さ,と言っても平常時のような冷静さということではなく,情緒的面も織り込んだ冷静さ(とでも言うようなもの)が重要ではないか.
posted at 00:50:52

これは全然皮肉や当てこすりでなく,自戒を込めて言うのだが,「合理性を競うゲーム」は止めた方がいいだろう.誰が一番合理的だったか,そんなことこそ,後になって好きに判断すればいい.どうすれば大事な人や物事を守れる可能性が高いか,それにどの程度コストをかけられるか,だけを考えるべき.
posted at 00:55:46

色んな意味で,出てくるタイミングをうかがっている人,というのはいるのだろうな.
posted at 01:01:32

壁と卵の話を,考えていた.大地や海が猛ったとき,卵はやっぱり割れるけど.自然が壁を揺らすことで,壁の構造がよく見えてくる,ということはあるのかな.
posted at 06:29:04

やはり静的な構造を捉えるには受益圏/受苦圏の枠組みでよいとしても,動的な事象の認識にはstakeholder論の方が使えると思う.ただ,原発事故のような緊急の事例では,意思決定への包摂は困難で,権力が非対称に留まる.ひとまず確実に言えるのは,世界的関心の中,情報公開超重要,だけ.
posted at 23:03:11

資源が制約され,チャンネルも限定されると,ますます影響力を増すメディアをどう作り変えていけるのかも,課題.でも,メディアを変えることの前に,メディアを変えられる仕組みを作ることを考えるべきか.やっぱり政治過程に載せるしかないのかな.
posted at 23:23:58

3月26日

原発とかと全然関係ない話.人文系の人によく見られる,数字とか自然科学に対する不必要なまでのコンプレックスは不思議だな.手段としての抽象化という意味では同じなのに,哲学・思想のジャーゴンを振り回すよりも,数式を振り回した方がありがたがられる.
posted at 03:00:44

全体を見通すとか,部分的に詰めた議論をするとか,ある目的に奉仕する限りで使えればいいのであって,数字を扱えれば無条件にエライというわけではないだろうに.
posted at 03:07:09

(批判的にせよ肯定的にせよ)経済学(者)へのコンプレックスも奇妙だな.経済は重要だと思うけど,私にはあまり無い.私の場合は,経済よりむしろ歴史を知らない方が恥ずかしい.
posted at 03:08:30

「数学には逆らえない」というのも,その種のコンプレックスの帰結とも解せるのではないか?数学というのはそもそも逆らうのではなく,組み立てられるもので,一旦その体系に乗ることにしたら,そりゃあ逆らえないだろう.確率は数学的に決定されているが,その条件を決定するのはわれわれ.
posted at 03:13:10

数学は道具であって,環境ではない.数学を自然と混同するべきでない.科学を自然化するべきでない.
posted at 03:14:57

議論を科学に還元することが問題と言うよりは,完全に還元できないから,科学が不完全だから,問題が生じるのでしょう.還元しきれないのに還元しようとするから,無理が出てくるのでしょう.
posted at 03:27:23

科学の誤用/御用による脱政治的決定(政策の自動化)も問題だが,人間の本源的な情動云々に基礎付けるというのも,どうなのかな.それはそれで(自然化という意味で)違う方向の脱政治に結び付きかねない気もする.塩梅ですな.
posted at 03:36:03

反照的均衡?
posted at 03:36:59

原発の危険を煽り過ぎるとオカルトになる,といった話が最近断続的にTLを飛び交っていたが,実際,オカルト談義に対する科学の姿勢というのは,今回参考にする余地があるのではないか.日常的実感に対する距離の取り方という意味で.否定もし切れないわけだ.そして,政治には別の役割がある.
posted at 03:41:53

「安全・安心」の確保を強調しながら国家が権力を拡大してきたことへの批判的な眼差しと,実際に危急の事態が迫るに及んで(主観的な不安への対処も含めた)予防的対処を国家に求めることの整合性はどうか.一部には皮肉だが,予防国家の不十分性という議論の方向に進むのかな.
posted at 03:55:58