力と魔


『情況』2007年9・10月号は、白井聡『未完のレーニン』特集。


情況 2007年 10月号 [雑誌]

情況 2007年 10月号 [雑誌]


白井さんが仲正昌樹佐藤優萱野稔人などと対談している。

佐藤との議論は以前のもの(下記の本に所収)も含めて面白いのだが、どこか付いて行けない。やはり二人ともそれぞれ何らかの神(正義)を戴いている人なので、私とは決定的なところで違うなという感を抱かざるを得ないからだろう。


国家と神とマルクス―「自由主義的保守主義者」かく語りき

国家と神とマルクス―「自由主義的保守主義者」かく語りき


萱野との対話はなかなか読み応えがあると思うが、白井さんが提起する暴力の「質の転換」やら神的暴力やらの話を私は醒めてしか読めない。そもそも『未完のレーニン』自体、私には刺激的な部分がほとんど無かった。


未完のレーニン 〈力〉の思想を読む (講談社選書メチエ)

未完のレーニン 〈力〉の思想を読む (講談社選書メチエ)


暴力はどこまで行っても暴力だ。しかし力には「魔」が宿るから、魔を制御するために神=正義が持ち出されるようになるのかもしれない。神=正義を持ち出すことそのものが新たな魔に転化したり、その場に潜む魔を隠蔽したりする可能性を、人は知らないわけではないのだろうが…。

限定的に神=正義を持ち出すことの便宜は捨て難い。それに魔を制御させつつ、それ自体も制御しなくてはならない。言うまでもなく、その際の手段は魔が潜む力のほかには無い。