修士論文について


どうやら晴れてマスターになれるようなので、これを機として、修士論文の要旨と目次を掲載する。斜め読みして頂けるだけで幸い。

論文指導では並居る先生方から口々に「よくわからん」と言われ続けましたが、まぁそれも当然で、何せ私自身もよくわからんところがあって、時々ついていけなくなるもの。いや、「この論文はきっとこういうことを言いたいんだと思います」とか第三者的な物言いをすると笑われるんだけど、でも実際、自分を超え出てるような部分を持たず、完全に自己把握可能になっているものを書いても仕方ないと思うのです、などと言うのは強弁かね。

まぁよくわからんと言われるのは内容だけじゃなくて何をやりたいのか、この先に何があるのかについてもだと思うし、それについては補論でのstakeholder democracyを持ち出すことである程度答えたつもりだけれど、本格的にはこれからかなぁ。この論文はとにかく誰かがやらなければならなかったことをやったはずで、これ自体はみそくそに言われてもいいからstakeholderや利害関係者についての「基礎研究」が一層発展するための踏み台になればいいと本気で願った。だので、希望を言えば、理論や思想に親しみのある人々よりも、むしろ色んな個別領域でstakeholder/利害関係者という言葉/存在に直面しながら頑張っている人々に読んでもらいたかったりする(まぁ読まれないだろうけどさ)。

主観的には政治学の根本の部分をやっているつもりでいたのだが、取り扱う議論は経営学やら倫理学やら法哲学やらばかりで、気が付いてみれば(権力論を除いて)ほとんど政治学臭がしない論文が仕上がってました。しかし、補論の民主主義論までたどり着くまでにはこの回り道が必要だったわけで、最近ようやく政治学プロパーのテーマに興味を持てそうな気がしている(結社民主主義経由で多元的国家論を勉強したいと思ったり)。何だか色んな所をめぐって来たけれども、今になって先生の仕事に非常に近い位置まで来ていることに少しく感慨を覚える今日この頃。

なお、以下を読んで興味を持ったという奇特な方がもしいれば、プロフィール欄のアドレスまでご連絡下さい。実物をPDFファイルで差し上げます。

利害関係理論の基礎――利害関係概念の再構成と利害関係の機能についての理論的考察――


 本論文は、(1)利害関係概念の再構成、(2)利害関係の一般的機能の検討、(3)利害関係概念を用いることの意義の解明、という三つの課題を達成することを目的としている。
 T.ホッブズに従って、自らが望む未来の何かを獲得するために、今・此処で用いることのできる手段を「力」と呼ぶとするなら、個体が自らの「力」を増すために用いることのできる代表的な手段は、法的/道徳的権利である。だが、自己の欲求や請求を実現するために権利では不十分な場合、あるいはその権利すらも手に入れることが不可能な場合は、必ずある。その時、個体には、権利以外にいかなる手段が残されているのだろうか。
 「自らにかかわる決定は自らによって下されるべきである」などといった、自己決定にかかわる規範命題が一般的に受け入れられていることを前提にするならば、「かかわり」=「利害関係」は、その手段の有力な候補であるように思える。だが、改めて「利害関係」の意味を問い直してみると、この語彙には非常に曖昧な定義しか与えられていないことに気付く。
 そこで本論文では、まず「利害関係」の意味内容を問い直し、「利害関係」と呼ばれ得る多様な現実をできる限り包括的に記述し、説明を加え、厳密な分析を為すことが可能であるような社会科学的概念として、利害関係概念を再構成することを第一の課題とした。
 利害関係概念が厳密な意味内容を伴って再構成されることで、利害関係が有する一般的機能を解明することも可能になる。利害関係として指示され得る諸状態・諸関係が、現実の政治社会の中でいかなる機能を果たしているのかを明らかにする作業は、利害関係がいかにして個体の手に力を増す手段になり得るのかという初発の問いへの回答を得るために避けることのできない、本稿第二の課題である。
 さらに、これら二つの課題への取り組みを通じて、従来あまり正面からは取り上げられてこなかったような利害関係という観点を用いることに、いかなる意義が存在するのかを示すことを第三の課題として設定した。



 一つ目の課題に取り組む第1章では、経営学およびビジネス倫理学における“stakeholder theory”を主要な先行研究として位置付けた上で、利害関係概念再構成にあたっての方法的示唆を得た。そこから、多様な利害関係の諸要素を<利害><権力><関係>の三側面に分け、それぞれについて定義を与えた上で、それらの総合として利害関係概念を観念する方法を選択した。
 まず、動態的な利害関心を把握可能な概念構成を目指して、<利害interest>概念を「利益advantage/benefit」の変動可能性に対して抱かれる意識として定義する。利益は「効用utility」に、効用は「快楽pleasure」に等しいと見做すべきことを、倫理学および厚生経済学における議論の検討を経て弁証する。
 次に、政治学および社会学における権力論の系譜を概観することによって権力の多様な形態を視野に入れた上で、権力の類型や、権威・影響力・暴力などの類義概念との異同について検討しながら、権力現象一般に共通する最低限の条件を抽出する。最終的に、<権力power>概念は、何らかの形での影響としてのみ定義し得ることが見出されるが、その過程では、物理的な力や自然的制約も権力現象として把握し得るという常識に反した見解が支持されることになる。
 <関係connection>概念は、当該社会における支配的な観点からして客観的に認識可能な何らかの結び付きの中で、<利害>や<権力>に還元できないような関係を意味して構成される。<関係>の存在を見出すことができる具体例として、取得時効や占有制度など、特定の物または権利者との何らかの客観的な結び付きを根拠として新たな権利関係を認めるような民法上の諸規定について検討することで、<利害>や<権力>の観点からは把握困難な諸状態・諸関係が私たちの社会生活には溢れていることを確認できる。
 第1章の最後では、これら三概念を総合する形で<利害関係stake>概念を再構成し、その意味内容を画定するが、その内部には、「当事者」および「当事者性」の概念も組み込まれる。



 第2章では、二つ目の課題に取り組むべく、J.ロックとD.ヒュームにおける私的所有権正当化の根拠および所有権取得事由の全てが<利害><権力><関係>のいずれかに該当すること――利害関係が所有権承認の前提および根拠として機能していること――の確認から出発する。そして、所有権のみならず、権利一般と利害関係との間に存在する関係性を解明するために、法的/道徳的権利の機能と特質を明らかにする必要性を認め、法哲学憲法学における議論を扱っていくことになる。
 W.N.ホーフェルドは法的権利に「請求権claim」「自由liberty」「権能power」「免除immunity」という四つの機能を見出したが、これら個別的機能に共通する権利の本質的機能については、権利を保護された選択と捉える「選択説」と、保護された利益と捉える「利益説」が対立している。だが、両説は権利を保護された価値と捉える点で共通しており、誰にも保護されていない統治機構の権能を説明できない。したがって、権利の本質的機能は権力資源の一種であることに求められることになる。
 だが、権力資源たる個人の権利は、憲法が不可侵と定める権利でさえ、何らかの理由によって制限されることがある。その主たる理由は他者の権利との調整や、著しく大きな一般的利益との衡量であるが、問題は、そこで個人に固有であるはずの権利が、比較したり足し合わせたりされている点である。こうしたことが可能なのは、個人の権利なるものが、あくまでも彼が帰属する集団に準拠して付与される権力資源に過ぎないからである。
 集団への属性は利害関係を示すものである。現に、参政権を承認する範囲をめぐる論争において根拠として提示される国籍、政治的意思決定能力、定住、納税などは、いずれも利害関係であり、参政権の承認範囲はこれら多様な利害関係の中から特定の利害関係を承認の根拠として選択するという政治的決定によって定まる。ここから、権利を承認する際の前提および根拠として用いられる点に利害関係の機能を求める立場が支持し得るものであることが明らかになる。



 第3章では、この地点からさらに跳躍する。まず、動物・植物・自然物・その他の無生物などの非人間も利害関係を持ち得るから、理論上は権利を承認することが可能である。だが、私たちが実践上の困難などの理由からそうした権利承認を拒む。ヒトであるという特定の利害関係のみを選択することに究極的に正しい根拠など無い以上、こうした選択は道徳的ではなく政治的である。
 規範には原初的に政治性が宿っている。そして、私たちがそうした原初的な政治性に目を瞑り、所与の規範と自らの道徳感覚の正しさを自明のものとして疑わない事態そのものも、<利害>や<権力>など、その時々の利害関係分布に基づく“convention”(ヒューム)によって作り上げられたものである。
私たちの社会を区切る様々な境界線が、特定の利害関係に基づいて政治的に定められたものでしかないという事実を前にして、利害関係がそうした境界線の引き直しを要求するための手段ともなることを思えば、利害関係と呼び得る多様な諸状態および諸関係を統合的に把握することそのものが、政治的境界線の再審可能性を高める。利害関係という観点から政治社会を眺める利害関係理論の独自の意義は、こうした政治的再審の促進可能性にこそ求めることができる(三つ目の課題の達成)。



 本論文全体の意義は、まず、<利害><権力><関係>に厳密な定義を与えることで、経験的な判断に頼らない理論的な利害関係者分析を可能にする枠組みを作り上げたことに求められる。これにより、従来把握が困難だった潜在的利害関係者の発見が容易になるだろう。多様な諸状態および諸関係を、三つの要素のみに分類・整理することを可能にしたことも重要である。複雑な状況を図式化したり、各主体が保有する利害関係の複合性を把握したりする上で、小さくない助けになるだろう。
 理論的可能性としては、利害関係概念を一般的に定義することにより、異なる分野、異なる局面における多様な事例間での比較分析を視野に置くことができる。これは、利害関係概念の再構成によるstakeholder theoryへのフィードバックと併せて、“stakeholder studies”形成の可能性への期待を抱かせるに十分である。
 さらに、理論から実践の領域へと踏み出し得る意義について述べるなら、既述の通り、規範および道徳感覚の政治性の暴露、政治的境界線の相対化による、境界線の政治的再審可能性拡大が第一に挙げられる。加えて、既存の法体系や社会道徳の内外にわたって存在する、欲求ないし請求実現手段としての利害関係を統合的に把握ことそのものが、自らの「力」として利用し得る手段の明確な意識化を促すことも見逃せない。ここでは最早、「権利が無くとも利害関係がある」という言明が強固な響きを持って述べられ得るのであり、それは、力を望むあらゆる個体にとっての福音なのである。

□目次

はじめに

第1章 利害関係概念の再構成
 第1節 利害関係者とstakeholder
  1.stakeholderの定義
  2.stake概念の由来と含意
  3.stake概念と利害関係概念
 第2節 <利害>
  1.<利害>の意味
  2.利益の意味
  3.<利害>の記述
  4.<利害>分析と<利害>認識
 第3節 <権力>
  1.権力の形態
  2.権力の性質
  3.権力の類義概念
  4.<権力>の意味
 第4節 <関係>
  1.<関係>とは何か
  2.<関係>の具体例
  3.<関係>の類型
 第5節 <利害関係>
  1.利害関係者とは誰か
  2.利害関係者と当事者

第2章 利害関係の機能と権利概念
 第1節 利害関係の機能
 第2節 権利の効果
  1.権利の四区分
  2.権利をめぐる問い
  3.利益説と選択説
  4.権力資源としての権利
 第3節 権利の制約
  1.内在的制約説
  2.切り札としての権利
  3.横からの制約と権利功利主義
  4.権利の属性準拠性
 第4節 権利の利害関係準拠性
  1.参政権の性格
  2.外国人の参政権と利害関係
  3.多様な利害関係集団と選択
  4.権利の前提および根拠としての利害関係

第3章 利害関係概念の意義
 第1節 政治の起源
  1.非人間の権利と利益
  2.非人間と法的人格
  3.子供の権利と平等な配慮
  4.道徳的共同体の政治性
 第2節 正義の生成
  1.正義の存立基盤
  2.convention
  3.conventionにおける利害関係
 第3節 結論―政治的境界線の再審へ
  1.政治の不可避性
  2.政治的境界線の再審

おわりに

◇補論 規範理論としての利害関係理論