現代日本社会研究のための覚え書き――序論(第2版)

ポストモダニティの論法


ポストモダン」なる語が唱えられて久しい*1。日本では1980年代に流行し、近代の原理を超えた未来を望見させたこの語は、現代では陳腐化している。「陳腐化」と言う表現は、一方では現代がポストモダンであることには議論の余地はないとされる程に定着しており、他方では軽薄で無思慮な主張に虚飾を施すための概念として罵倒されるか無視されている現状に即している。私はその両極のいずれにも与しないが、現代の社会が近代の枠組みから逸脱した様相を呈し始めているようだとの認識を持つ限りで、より前者に近い立場に在る。

私は、いわゆる「ポストモダン」論、ないしは「ポストモダニティ」を云々する議論に、大きな説得力を感じている*2。しかしながら、同時に、そうした議論は哲学的着想や断片的な挿話、抽象的な総論や個別特殊な事件の分析などによって構成されている部分が大きく、具体性や実証性に乏しいとも感じている。当たり前のように「ポストモダン」語るためには、地道な検証作業によって、より確からしい裏付けを提示することが必要とされる。

そこで、現代社会がポストモダンに在るとの――それ自体として魅力的な――議論に一層の説得性を備えるため、できる限り具体性や実証性に配慮しながら、社会学的な検討を試みてみようと思う。能力の限界から検討の範囲は日本に限定せざるを得ない。また、それぞれの専門領域からすれば当たり前の、教科書的な記述が多くなるだろう。しかしながら、そのような基礎的な知見によって足場を築いておかなければ、「時代」を云々する議論は浮ついた空中戦になりかねない。不毛な擦れ違いを少なくするためには、具体的なテーマと事象に即した検討作業を行うことによって、「ポストモダン」論に対する無反省な肯定と拙速な否定の双方を廃し、立場の違う人々が共有可能な議論の土俵を形成する必要があるだろう。本シリーズがその一助になれば幸いである。

もっとも、ポストモダンを問題にする以前に、そもそも「近代」とは何であるのかということ自体が、十分に認知されているとは言い難い。近代化に触れている文章でも、その意味は人それぞれに異なっているし、曖昧にされている場合も多い。本論では「ポストモダン化」の前提としての「近代化」も検討対象とするつもりだが、ここで予め近代化の意味を明らかにしておいた方がよいだろう。極めて不十分ながら、幾つかの整理を参考に(富永〔1995〕、147-151頁、篠原〔2004〕、12-23頁)、近代化の諸側面を大づかみに再整理してみると、以下のようになる。


(1)知識的・技術的近代化(脱呪術化)
16世紀後半以降の科学革命によって、近代的な科学の枠組みが形成される。19世紀半ば頃には、科学が制度化され、社会内部に確固たる地位を得るようになる。世界の在り様を合理的に解明しようとする科学的知識の普及により、人々の間に合理主義が浸透し、迷信や呪術からの解放が進む(世俗化、脱呪術化)。科学的知識に基づく技術の発展により、諸活動の効率や利便性が向上し、経済的・社会的近代化が準備される。


(2)経済的近代化(産業化)
技術の発展に基づく生産活動の機械化・自動化が産業の構造と規模に劇的な変化をもたらし(産業革命)、資本主義の発展を促した。第一次産業から第二次産業への構造変化(工業化)は賃労働を主要な就労スタイルに押し上げ、社会の標準的なライフコースやライフスタイルに転換を促す(社会的近代化)。大量生産体制は労働に画一性をもたらし、大量消費様式は生活に均質性をもたらした。


(3)社会的近代化(都市化/核家族化)
産業構造の転換と交通機関の発達によって都市への人口移動・人口集中が進み、出版・通信メディアの発達によって都市の情報が広く地方にまで伝播するようになった(都市化)。人口流出入の激化や都市的な生活様式と価値観の流入によって、村落共同体の統合性は弱まり、伝統や習俗の拘束力は低下した。賃労働の拡大は職住の分離を進行させ、家庭内の性別役割分業を強化した。地域共同体の結合が弱体化するに伴って家族の閉鎖性は高まり、情緒的結合を中核とする近代家族が形成される。家族は労働力の再生産の場であると同時に次世代の教育を担う場にもなり、社会の基礎単位と見做されるようになった。


(4)政治的近代化(主権の誕生/国民国家の形成/民主化
封建制の解体と政治権力の集中ないし統一により、特定領域における独占的な正統的暴力主体が登場する(国家主権の確立)。国家は教育制度を整え、言語や慣習などの統一を図るとともに、様々な象徴や儀式を通じて国民(ネーション)を形成する。メディアの発達による情報共有も介在することで、人々は国家を「われわれ」の凝集として認識するようになる(ナショナリズムの生成)。統合された意識と均質化された知識、規律された身体は、人的資本の高度化として経済発展の前提であると同時に、政治権力の行使に参与し得る主体の形成として民主化の前提でもある。かくして国家の「国民化」≒民主化が促される。


(5)思想的・文化的近代化自由主義化・価値多元主義化)
生まれながらにして自由で平等な人間という自然権思想の普及に従って、身分や財産による差別が縮小する。「人間」の範囲はジェンダーや人種の障壁を超えて次第に拡大し、あらゆる人間が不可侵の基本的権利を持つという人権思想が定着する。差別や不平等、自由の抑圧を非難する姿勢が社会内部で共有され、各個人の自由が尊重されることで、伝統や血縁的・地縁的共同体の拘束力が弱体化するとともに、多様な価値への寛容な姿勢が社会内部に浸透する。


以上のような変化が生じたのが近代であるとすれば、「ポスト・モダン」、すなわち「後‐近代」ないし「脱‐近代」とは、そこから更に別種の変化を経た時代であることになる。本論では、それが果たしてどのような変化であり、どのような時代なのか、本当にそのような変化が認められるのか、10程度の領域を区分しつつ、順を追って検討していく(「目次」)。


だが、ここではその前に、日本におけるポストモダニティの問題を精力的に扱っている論者として宮台真司東浩紀の二人を採り上げ、彼らの議論の大枠を検討しておきたい。宮台はA.ギデンズ、Y.ハーバーマス、U.ベックなど英独の社会理論家によるポストモダニティ論の独特な紹介者であり、東はフランス現代思想とその受容に基づく英米の文化批評に足場を置きながら、ポストモダンと「ポストモダニズム」をめぐる議論に積極的にかかわってきた。宮台は90年代半ば以降、東は90年代末以降の日本における社会評論ないし社会批評に、小さくない影響力を及ぼしてきた論者である。ゆえに、両者の議論を概観しておくことで、既に何が明らかとなっており、これから何が検証されるべきであるのかについて、一定の指針を得られることが期待できる。両者の議論は相互に共通している部分が大きいが、独自性も無視できないため、それぞれ個別に議論を再構成する。その上で、それぞれの議論の妥当性と疑問点を指摘したい。



宮台真司の後期近代/再帰的近代論と「脱社会性」


宮台によれば、近代化とは、家族や地域共同体のような「生活世界」を市場や行政のような「システム」の機能によって置き換えていくことに他ならない(宮台〔2006a〕、宮台〔2005b〕)。置き換えの進行具合によって、近代は近代過渡期(モダン)と近代成熟期ないし後期近代(ポストモダン)に分けられる。近代過渡期にはまだ「生活世界」が残っていると信じられているが、近代化がある程度進むと、その実態は「敢えて「生活世界」を保全している」と言った方が正確な状況になる。「敢えて」という意識的な選択ゆえに、これを「再帰的近代」と呼ぶ(宮台〔2006a〕)。再帰的近代においては、伝統や共同性が自覚的に選択されることになるが、これらは元々、選択するまでもなくそこに在ったものである。自明性が疑われることなく、選択の前提に位置していたものが、選択の対象になること。それが再帰性の意味である(宮台〔2005c〕、宮台〔2007a〕、宮台・北田〔2005〕、105-106頁)*3

このように従来の共同性は自明ではなかったという自覚が一般化すると、今まで人々を結び付けてきた共通前提が失われていく(宮台〔2005b〕)。「システム」による置き換えが完了したポストモダンにおいては、「敢えて」の選択は「かつての「生活世界」を再構成する」というものになるため、これを「ポストモダン的な再帰的近代」と呼ぶ(宮台〔2006a〕)。ポストモダン以前の再帰的近代においては、「生活世界」への共属がシステム化をどこまで肯定するかの基準を提供してくれた――生活を豊かにするためにシステムを利用すると思えた――が、システム化が済んだ後のポストモダンにおいては、再帰的選択をストップさせる拠り所が失われてしまっている(宮台・北田〔2005〕、107-108頁、宮台〔2008b〕)。個別的な前提が多元化する事態が生まれ(「島宇宙」)、何が幸せであるかは人それぞれに違うと感じられるようになる。どんな正義の主張ないし追求も、所詮は有り得る嗜癖の一つとしてしか受け取られなくなる。このように「社会の底が抜けている」状況下では(宮台〔2007b〕)、あらゆる価値観の自明性を否定し、相対的な視線を投げかける「強迫的なアイロニー」(ハシゴ外しゲーム)が延々と続くことになるが(宮台〔2005a〕)、この「終わりなき再帰性」は、人々から無前提に安心できる拠り所を奪い、果てしない不安を喚起するものである。

また、情報化によって膨大な量の情報が提供されるようになると、人々はその受容を通じて自我を構成せざるを得なくなるが(宮台〔2007b〕)、そのような自己記述において社会的属性(パターン)を超えた自己の固有性を見出すことは困難であり、自己の入れ替え可能性が強く意識されるようになる(宮台〔2007a〕)。1970年代以降の消費社会化は、消費選択肢の過剰さゆえに、消費物を提供する側が記号的差別化を図り、消費主体の側に対象を消費する自己イメージを創出させて消費を促すというマッチポンプを一般化させたが(宮台〔2008b〕)、このように市場が提供するパターンや記号をどのように組み合わせるかの選択によって自分が何者であるかが決定されるような状況下においては、自己なるものの代替可能性や相対性はますます露わになり、不安が増幅される。

そして、不安を鎮めるために掲げられる、かつての「生活世界」を作り直そうとか、「本来の自分」を取り戻そうなどといった再帰的選択そのものが、「生活世界」や「本来の自分」がそのようにして意識的=恣意的に選択される可能的選択肢の一つでしかないことを目の当たりにして、不安は増幅のスパイラルに陥る――再帰性マッチポンプ(宮台〔2004〕)。


宮台がポストモダンとして想定しているのは概ね70年代以降であり、ポストモダン化の要因(システム化の内実)としては、「郊外化」、「団地化」、「コンビニ化・情報化」、「学校化」などが挙げられることが多い。各現象については本論の各テーマを論じる際に検討するとして、ここではこうした社会変化に伴って主体が変容しつつあるとの議論を採り上げておこう。宮台によれば、ポストモダンの日本では、「脱社会的存在」が登場している。「脱社会的存在」とは、「社会的コミュニケーションを通じて何かを達成することの優先順位が相対的に低い存在」のことである(宮台〔2000〕、193頁)。彼らは、自らの尊厳を他者とのコミュニケーションと無関連化し、自分が自分であるために他者や社会を必要としない(宮台・藤井〔2001〕、10&18頁、藤井・宮台〔2003〕、174頁)。

「脱社会的存在」は、「反社会的存在」ではない。社会と敵対する必然性を持たず、社会に意味を求めずとも生きていける可能性に身を投じているのである。他者とのコミュニケーションからも、物理的に退却することはしない。ただ、本当はどうでもいいだけである(宮台・藤井〔2001〕、36-37頁)*4。90年代以降の少年犯罪において動機の不透明化が喧伝されるようになったのは(宮台〔2006b〕)、このような感情プログラムが壊れたように「見える」若者が増加したことと関連している(宮台〔2007c〕)。

社会からの承認を当てにしない方法で自尊を得ようとする「脱社会的存在」が生まれたのは、第一に、地域・家族・職場の空洞化ゆえの承認の供給不足が、自尊心を獲得しにくい状況を作り、社会の中に生きる自明性を疑う姿勢を促したからである(宮台〔2000〕、200-201頁)。そして第二には、70年代から80年代にかけて生じた「コンビニ化・情報化」――コンビニ・宅配サービス・Eメールに代表されるように他者との社会的交流をせずとも基礎的社会生活を送ることができる環境が整備されたこと――に起因して、コミュニケーションにおける他者からの承認抜きに自己形成を遂げ得る生育環境が拡がったためである(藤井・宮台〔2003〕、241頁、宮台・速水〔2006〕、22頁、宮台〔2007d〕)。



東浩紀ポストモダン論と「動物化


東は、「ポストモダン化」を簡潔に定義している。それによれば、ポストモダンとは「消費社会の成熟に従い、近代国家をまとめ上げる象徴的な統合性(大きな物語)の力が失われ、国民ひとりひとりの考え方がバラバラになっていく変化」を経た時代のことである。

ここで言う「象徴的な統合」とは、教育や福祉を通じて人々が「われわれ」意識に基づく自発的なまとまりを獲得していくように仕向けるシステムの機能を指す。20世紀半ば頃になると、消費社会の到来などのために象徴的統合の機能は弱まっていくが、メディアの発達による共有情報の拡大が代替的な統合機能を果たした。国家的象徴やイデオロギーの下にまとまることが困難になっても、同じニュースを見て、同じ音楽を聴き、同じ芸人に笑っていれば、「われわれ」としての連帯感を保つことができるからである。だが、1990年代に情報流通回路が多極分散型に転換することによって、広い範囲で同じ情報が共有される状況は失われ、メディアによって延命されていた統合機能も消滅した(東〔2002=2007〕、206-209頁)。

現代では、異なる趣味共同体に属する者同士を超える上位の「社会」が存在していない。多様な趣味共同体はどれもグローバルな広がりを持つようになっている一方で、個別に閉じている。遠く離れた異国の人と容易に繋がることができる反面、隣に住む人が全くの他者に感じられる(東〔1999=2007〕、66-69頁)。地理的限定性と密接な結び付きを持つ国家のイデオロギー装置が有効に機能する条件が損なわれているのである。


東は、ポストモダン化の進行を3つの時期に分けて説明している(東〔1999=2007〕、392-393頁、東〔2001〕、104-105頁、東〔2001=2002〕、266-270頁)*5。第1期、すなわちポストモダンの始期と見做されるのは、第一次世界大戦以降である。前近代において共同体や宗教が担っていた個々の「生の意味付け」機能は*6、近代になって国家へと回収された。しかし、第一次世界大戦における大量死は、国家が一人一人の死に意味を与えることを困難にした。ここで象徴的統合機能を担うイデオロギー装置が最初の死を迎える。以降、人々は「大きな物語」と結び付けられない無根拠でバラバラな「小さな物語」を生きることを余儀なくされるのである。

とはいえ、その後も、共産主義によるフェイクとしての生の意味付け(階級闘争/世界革命)は信じられていた。左翼運動の挫折とメディア化・消費社会化の進行などにより、その虚構性も明らかになって生の意味付け機能が完全に失われるのは、60年代後半、より具体的には1968年であるとされる。イデオロギーの二度目の死である。これ以後、人々の生は超越的な価値によって支えられることはなくなり、「無意味な生」を生きることになった(ポストモダン第2期)。

しかし、イデオロギーが現実には機能しなくなっているこの時期にも、「大きな物語」はなおゾンビとして残っていたと東は言う。そのゾンビすらも存在を許されなくなるのは、冷戦崩壊後の90年代、具体的には1989年以後である。80年代に隆盛したいわゆる「ニュー・アカデミズム」においては*7、社会全体を見渡せる特権的位置が存在するという実際には幻想でしかない認識が共有され、「若者」の全体がイメージされていたが、90年代に入ると若者の間でも共通の話題などは無くなり、全体を見渡せるという認識の幻想性が誰の目にも明らかになった(東〔1998=2002〕、54-57頁)。このポストモダン第3期、すなわちイデオロギーの三度目の死に先立つ第1期・第2期を*8、東は「中途半端にポストモダン的だった時代」と呼んでいる。翻れば、89年以降の第3期こそがポストモダンが全面化した時代であるということだ*9


 (東〔2001〕、105頁)


ポストモダン化した社会とは、全体性が失われた社会であると言うよりも、「全体性がある」との信頼が共有されなくなった社会のことである(東〔2003-05=2007b〕、768-769頁)。「社会全体をひとつにまとめあげる意味づけのネットワーク」としての「大きな物語」が機能不全に陥ったために、社会の全体性をイメージすることが困難になる。そのような社会では、人々のアイデンティティはオタク的(フェティッシュ)な「小さな物語」によってのみ支えられるようになる(東〔1999=2002〕、20-21頁、東〔1999=2007〕、61-63頁)。

大きな物語」が機能している時代には、自らの本音はどうあれ、「皆が信じている(ことになっている)価値観」が建前として共有されており、人々は自らの主張や行動をその価値観に基礎付けることができた。他方、特定の物語の共有化圧力が低下するとともに、特定の価値観を相対化する振る舞いが一般化したポストモダン社会では、自らの言動をどのような価値観に基礎付けようとしたところで、「結局は自分が好きでやっているだけでしょ」とのツッコミを避けることができない(東〔2007〕、16-20頁、東〔2003-05=2007b〕、731、740-749頁)。善悪や正誤の問題は、好き嫌いの問題に還元される。特定の価値観を私的に信じることはできても、それが普遍的に共有可能な物語であることを弁証するのは困難である*10ポストモダンに生きる人々は、「半ば必然的に、自らが信じる物語=価値観を絶えず相対化するように強いられてしまう」のであり(東〔2003-05=2007a〕、50頁)、そこで素朴で在り続けることはできない(再帰性)。


大きな物語」とは、国家のイデオロギー装置であると同時に、あらゆる対象を相対化せざるを得ない近代人に拠り所を提供する精神安定化装置でもあった。宮台の議論と接合し易くするために、再帰性に終わりをもたらすための装置と言い換えてもよい。どんな価値観も素朴に信じることが許されず、自らが信じる価値観に対して自分自身でさえ相対的な視線を投げかけざるを得ない人々は、精神を疲弊させる。疲弊した人々は、快感原則の世界に逃げ込み、「動物化」する(東〔2003-05=2007b〕、731頁)。

動物化」とは、社会的コミュニケーションなしで多様な消費行動を可能にする高度消費社会化に伴い、他者の存在を必要とする間主体的な欲望を後退させ、即自的な欲求充足で満足する現代人の傾向を指す表現であり、与えられた環境を否定することが「人間」の条件であるとのヘーゲル的概念規定に基づく(東〔2001〕、97、126-127頁)。他者とのコミュニケーションを必要としない傾向を指示している点で、宮台が言う「脱社会性」とよく似た概念である。



ポストモダニティの検証


以上、宮台と東の議論を概観した。いずれも、現代がポストモダンに在る点、その影響によって主体にも変容が生じている(ように見える)点などで一致しており、基本的認識における差異はほとんど無い。以下、それぞれの議論についての簡潔な評価を述べよう。


宮台の議論の内、後期近代ないし再帰的近代についての論旨は、具体的なデータや歴史に依拠するところもあり、概ね納得できるものである。ただし、「郊外化」「団地化」「コンビニ化・情報化」「学校化」など、個別の現象の説明については不明瞭な部分もあり、細かな点で検証が必要とされる。近代化の過程と後期近代の現状については、多面的な観点からの検証が不可欠であろう。


「脱社会的存在」については、社会の共通前提が失われた結果として、帰属する社会集団が異なるようになったために、脱社会的に見えるだけではないかとの疑いが強い。過去と比較して他者一般とのコミュニケーションを重視しなくなっている人は増えているかもしれないが、あらゆる他者とのコミュニケーションを「どうでもいい」と感じている人はほとんどいない。親密な相手や同じ趣味共同体に属する人物など、特定の関係におけるコミュニケーションにも意味を見出さない人は稀なはずであり、その範囲では他者からの承認を求めているはずである。そうであればそれは「脱社会性」の問題と言うよりは、単に「島宇宙化」の問題と考えるべきであると思える。

また、「脱社会性」とは社会的であることが「できない」という能力の問題なのか、社会的であろうと「しない」という動機付けの問題なのかも、曖昧にされている。宮台のごく最近の著作では、「非社会性ゆえに追い詰められた社会成員が、反社会的な逸脱行動に及ぶケースも増えつつある」と述べられており、「非社会性」なる新概念の下に「脱社会性」と「反社会性」が包括ないし接合され得る可能性も示されているように見える(宮台〔2008a〕)。そこでも「非社会性」≒「脱社会性」と「反社会性」は区別されているのであるが、「脱社会的存在」が他者とのコミュニケーションによって尊厳を得ることを期待しないならば、非社会性ゆえに家族生活、就業生活、友人関係、性愛関係などを継続的に営むことができないとしても、「追い詰められ」ることはないはずであろう。まして、社会的生活の困難によって追い詰められた挙句に反社会的な行動を採るようになるのであれば、「脱社会的存在」の固有の性格はほとんど消え去ってしまっている。これは、同時に主張されている「社会性と非社会性を截然と分割できるわけではなく、社会性を測る物差しも社会によって変わる」との認識を前提として共有したとしても、看過できない問題である。他者からの承認を必要としない「脱社会的存在」など、はじめから存在していなかったのではないかという疑いが首をもたげてくるからだ。

無論、全面的な「脱社会的存在」はいないとしても、部分的な「脱社会的」な傾向を持つ人が増えてきているという主張はなおも可能であろう。しかし、前述のようにその傾向は「社会」そのものの亀裂によって説明できる部分が多いと思われるし、そうでない場合にもあくまでも承認が得られないための適応行動として承認を求めていないだけで、社会から完全に離脱したわけではないだろう。承認を容易に得られないがゆえにコミュニケーションから撤退したりコミュニケーションに期待しなくなったりする人々が確かに存在しているとしても、彼ら(の一部でも)を「脱社会的存在」と規定することは、おそらくは不適切である。


東の議論について言えるのは、ポストモダン化の意味については詳しいが、その要因やプロセスについては、情報化、グローバル化、消費社会化、金融化、マイノリティ顕在化、サブカルチャー化など、幾つかのキーワードを挙げるだけで処理するに留まり、実質的な説明をほとんど放棄していることである(東〔2000=2002〕)。宮台と比べても、具体的な記述に乏しく、抽象的な印象はより強い。ポストモダンとしての現状についての分析に説得される部分が多いだけに、そこに至るプロセスの論証が弱いことは残念なことである。宮台の議論同様、多面的な観点からの検証を通じた補強が必要であろう。

動物化」論について言えば、感覚的にはアピールする論旨ではあるものの、検証が困難で、哲学的着想としてはともかく、社会学的認識として受け容れることはほとんど不可能だと思われる。


総じて言えば、両者のポストモダン論は検証と補強の必要はあるものの、概ね受け容れ可能であると思われる。だが、「脱社会的存在」や「動物化」などの主体の変容にかかわる議論については、容易に受け容れることはできない。特に前者については疑問が大きい(後者については感覚的には説得されている)。本論で社会学的検討を経た後には、宮台と東のポストモダン論に立ち返って再び検討を加えることもあろうかと思うが、「脱社会的存在」や「動物化」についての議論をこれ以上扱うことはしない。


さて、序論の最後に、本論で行う議論において最重要な概念について、予め簡単な説明を加えておきたい。その概念とは、「個人化」である。「個人化」とは、近代化の帰結として、「職業やライフスタイルや人間関係や消費などのあらゆることが、社会の規範や規制といった枠組みによらずに、個人の選択の対象になってきたこと」を意味する(小田〔2006〕)。それは「理論上の自立を達成すること」であり、「アイデンティティを「あたえられるもの」から「獲得するもの」に変え、人間にその獲得の責任、獲得にともなって生じる(あるいは、付随する)結果の責任を負わせる」(バウマン〔2001〕、42頁)。

戦後の経済的先進諸国においては、「高い物質的生活水準と社会的保障の推進を背景に」、人々は「伝統的な階級による諸制約や家族による扶養から解放され」、「前代未聞の射程範囲と力学をもった社会の個人化」が進行したが(ベック〔1998〕、138頁)、私が理解するところでは、この「個人化」こそがポストモダニティの中核である。以下では、いかにして「個人化」が生じ、「個人化」がどのような帰結をもたらしているのかについて、注意深く議論を展開していくことにしたい。



*1:この語は元々、「一九六〇年代に始まり、一九七〇年代に一気に顕在化した様々な社会的変化を名指す、曖昧な言葉のひとつ」として1970年代の米国で使われ始めたものであり、極端な主義主張とは無縁な「ニュートラルな表現」であった。この概念が美学的な意味を含むようになったのは77年のC.ジェンクス『ポストモダンの建築言語』からであり、同時に思想的性格を帯びるようになったのは79年のJ.F.リオタール『ポストモダンの条件』からである(東〔1999-2001=2007〕、464-466頁)。いわゆる「ポストモダニズム」や「ポストモダン」論が、一方で高度消費社会を追認するものとして嫌われ、他方で思想左翼の観念論として敬遠されるのは、こうした二重の再解釈がもたらした帰結だろう。

*2:ここで「ポストモダニティ」を云々する議論と見做しているのは、「ポストモダン」なる語を直接に用いるかどうかは別にして、「後期近代」「近代成熟期」「第二の近代」「超近代」「リキッド・モダニティ」「再帰的近代」など、それが近代の延長にせよ近代からの逸脱にせよ、従来の近代的原理や近代的枠組みとは異なる事態が具現化しつつあるとの認識を示す議論の全般である。

*3:再帰的近代化の基本命題は、次のように表現できる。社会の近代化が進めば進むほど、行為の担い手(主体)は、みずからの存在の社会的諸条件に省察をくわえ、こうした省察によってその条件を変える能力を獲得していくようになる」(ベック〔1997〕、318頁)。

*4:「脱社会的存在」に対して、アダルトチルドレンは、承認が欲しくて社会に過剰適応しようとする点で親社会的な存在であり、ひきこもりは承認が欲しいけれども物理的には退却するという意味で、両者の中間に位置するとされる(藤井・宮台〔2003〕、174-176頁)。ただし、宮台〔2007c〕では、ひきこもりは「脱社会的」であると規定されており、やや揺れが見られる。なお、いわゆる「ニート」には、承認を必要とする者とそうでない者(「脱社会的存在」)の両方が含まれているとされている。

*5:戦後日本においては、第1期と第2期が大澤真幸の言う「理想の時代」(1945-70)と「虚構の時代」(1970-95)に概ね対応している。東〔2001〕、107頁。

*6:個人の存在を大きな社会の存立と関係付けることで、個人の存在に社会的な意味を付与する機能。

*7:ニュー・アカデミズム」とは、浅田彰に代表されるように、主としてフランス現代思想に依拠しながら、従来の学問的領域にとどまらない言論活動を展開し、一般の人々から広い支持を獲得した人文社会科学系の研究者たちを包括した呼称。

*8:東は「イデオロギーは2度死ぬ」というS.ジジェクの言葉にこだわり、[1999=2007]では68年と89年に、[2001=2002]では第一次世界大戦後と60年代後半に、それぞれ2度の死を割り当てている。これを整理して読もうとすれば、イデオロギーは3度死んでいると考えておくのが自然だろう。なお、[1999=2007]では、68-89年がポストモダン第1期、それ以降が第2期とされている。

*9:90年代には既に各個人の生を超越的に意味付け得る「ハルマゲドン」は到来しないことが誰の目にも明らかとなっており、無意味な日常が終わりなく続くという認識が一般化した(宮台〔2007b〕)。

*10:したがって、個別のイデオロギーを信じている人々が広範に存在していることを理由にして「大きな物語」は衰退していないと主張することは、失当である。