現代日本社会研究のための覚え書き――セキュリティ/リスク(第2版)

1.治安悪化言説の浸透と治安実態


現在の日本では、社会全体の治安が悪化しているとの認識が一般的になっている。2006年の世論調査では、最近10年間で日本の治安が「悪くなったと思う」人が約84%を占め、11%余りの「よくなったと思う」人を圧倒している(内閣府〔2006a〕、図2)。少なくとも1980年代のある時期まで、世界一の優秀さを誇る警察によって世界一良好な治安が保たれた国家こそが日本であるとの「安全神話」に疑いを差し挟む者は存在しなかった。社会全体の治安が悪化しているとの認識が人々の間に浸透したのは、概ね90年代半ば以降であると思われる。95年の地下鉄サリン事件を契機として、政府は警察官の増員計画を決定(久保〔2006〕、221頁)。以降、財政再建の名の下に公務員総数が減少する中、警察官だけは増加を続けてきた(下図)。地方の警察職総数は、85年から06年までの間に約3万3千人増員されている(総務省統計研修所〔2008〕、第24章*1


 (久保〔2006〕、220頁)


90年代末には凶悪な犯罪が連日センセーショナルに報道されるようになり、2000年代に入る頃には治安問題が本格的に政治イシュー化する。03年8月、警察庁は「緊急治安対策プログラム」を発表。翌月には政府が犯罪対策閣僚会議を組織し、同年12月に「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」(以下、「行動計画」)を策定している。それに先立つ同年11月の総選挙では、自民党の公約の第二に「国民の安全を守ります」との宣言が掲げられ、5年間で「治安の危機的状況を脱し」、「不法滞在外国人を半減」すること、「警察官の数を思い切って増員」して「3年で空き交番ゼロ」を目指すことがうたわれた(「小泉改革宣言 自民党政権公約2003」@自民党)。同じく民主党も「犯罪に厳しく対処し、安全な地域を取り戻します」と宣言し、警察官3万人の増員、仮釈放のない終身刑の導入、凶悪犯罪の罰則強化を公約しており(「マニフェスト 2003」@民主党)、公明党も空き交番ゼロ、地域パトロールの強化、外国人犯罪対策の強化などを掲げていた(「マニフェスト進捗」@公明党)。


人々の不安を裏付けるように、統計上、犯罪は増加している(下図)。刑法犯の認知件数は1970年代後半から徐々に増加していたが、1996年から2002年にかけて、7年連続で戦後最多記録を更新し続けた。2003年以降はやや減少し、2006年は約205万件であったが、これは依然として1970年代前半までの水準の1.5倍を超える数である。また、検挙率は1980年代末から急激に下降し、従来は60%前後で推移していたのが、2001年には19.8%まで落ち込み、戦後最低を記録した。その後は上昇に転じ、2006年には31.2%まで回復したが、過去の水準には遠く及ばないものとなっている。


 (警察庁〔2007a〕、第1章第1節1
 (法務省〔2007〕)


しかしながら、統計資料を詳しく検討していくと、日本の治安が本当に昔と比べてかなり悪化しているのかどうかについては疑問の余地が大きく、一般に流通している治安悪化言説のほとんどは否定せざるを得ないものであることが分かる。まず、そのことを示しておこう。

1-1.犯罪数の増加


認知件数の推移を見る限りでは、現代の治安は終戦直後の混乱期よりも悪いように思えてしまうが、それは錯覚に過ぎない。終戦直後には警察力が十分でなかったため比較的軽微な事件は見逃されており、主に重大犯罪が記録されているだけで、暗数が膨大にあったと考えられるからである(河合〔2004〕、30頁)。したがって、高度成長によって経済状況の改善と雇用の安定などが実現される60年代には統計上の犯罪件数が減少しているが、犯罪実数においてはより一層顕著な幅で犯罪減少が進行したはずである。いわゆる「安全神話」が形成されたのは、こうした環境による。その後、70年前後には交通関係業過の増大によって認知件数が伸びを見せるが、一般刑法犯の認知件数は低い水準を保ったままである(河合〔2004〕、29頁)。80年代に入る頃になって一般刑法犯の認知件数が増加を始めるのは、窃盗の増加、とりわけ自転車盗の増加によるものである。これは、80年に自転車防犯登録制度がつくられた結果として自転車盗の被害を警察に届ける人が増えたことの影響が大きく、実数増加と言うよりも暗数の顕在化が主因である(河合〔2004〕、31-33頁)。自転車盗を除いて一般刑法犯の発生率*2を算出すると、80年代の犯罪増加傾向は消滅することがそれを証している(下図)。


 (河合〔2004〕、32頁)


すなわち、ひとまず90年代前半頃まで、犯罪実数は一貫して減少を続け、客観的な治安が改善の一途を辿っていたことに関しては、ほぼ疑い得ない。強盗を除けば、90年代半ばまでの主要犯罪の発生率は軒並み減少傾向であった(河合〔2004〕、41-43頁)*3


 (河合〔2004〕、42頁)
 (同、43頁)


97年頃から微増傾向となっているのは、おもに強盗の急増によるものであるが(後述)、それ以外の犯罪もわずかながら増加していることと併せて考えると、経済状況の悪化がもたらす影響が大きかったものと思われる。90年代後半以降の刑法犯認知件数の増減と失業率の上下は概ね対応していることが指摘されており(門倉・賃金クライシス取材班〔2008〕、147-149頁)、90年代後半から00年代初頭にかけて犯罪実数がわずかに増加したと認めるとしても、その原因は経済状況に求めるべきである。少なくとも、「治安悪化の原因」として世論調査で(景気の悪化よりも)上位に挙げられている外国人犯罪の増加、地域の連帯意識の希薄化、青少年の教育の不十分、多様な情報の氾濫と入手の容易化、規範意識の低下、などが犯罪増加をもたらしていると考えるべき根拠は乏しい(内閣府〔2006a〕、図3)。


 (門倉・賃金クライシス取材班〔2008〕、149頁)


その後、00年に認知件数が軒並みジャンプしているのは、警察の方針転換によるものであることが、複数の論者によって指摘されている(河合〔2004〕、42-44頁、谷岡〔2004〕、190頁、浜井・芹沢〔2006〕、24-27頁)。1999年10月の桶川ストーカー事件において適切な対応を取らなかったとして世論の批判にさらされた警察は*4、それを機に、市民からの困りごとへの相談体制を強化したり、市民が犯罪被害を警察に相談するように積極的に働きかけたりするようになった。方針転換の現れは、99年以後に警察への生活相談件数が激増していることから見て取れる(下図)。


 (警察庁〔2007a〕、第1章第3節3


警察が犯罪被害を積極的に発掘する方針に転換したことにより、従来行われていた「前さばき」(証拠不十分などで逮捕が困難と見られる事件の届け出を最初から受理しないこと)が撤廃され、軽微な事件が数多く届けられる/受理されるようになった。一般刑法犯の認知件数の8割程度は窃盗が占めているため、窃盗事件の増減によって認知件数全体の増減や検挙率の上下も左右される。近年の認知件数の増加に寄与しているのも窃盗の増加であるが、これは従来は届け出/受理されなかったような事件の増加によるところが大きい。

また、90年代末以降に顕著な急増を見せている犯罪として、「その他の犯罪」に分類される強制わいせつと器物損壊が挙げられる。まず強制わいせつに関しては、96年の「被害者要綱」策定に伴い、警察は既に積極的な犯罪被害の掘り起こしに取り組み始めていた(浜井・芹沢〔2006〕、30-31頁)。さらに、痴漢撲滅キャンペーンやストーカー防止法の制定などによる影響もあったと思われる。そこに市民相談の拡大による被害届受理の増加が重なり、急激な伸びに繋がったのだろう。


 (河合〔2004〕、40頁)


もう一方の器物損壊を押し上げているのは、「朝、駐車場にいったらフロントガラスが割られていたという類の事件」や落書きなどの検挙困難な事件であるとされる(河合〔2004〕、39頁)。従来は受理されることの少なかった犯罪であり、「前さばき」を取りやめたことによる影響が現れていると考えられる。また、こうした軽微な犯罪の届け出が増えていることの背景には、応報感情・処罰感情が強まっていることが考えられるとの指摘もある(久保〔2006〕、50-51頁)。さらに、窃盗と共通の背景として、保険制度の発達が被害の届け出を促し、認知件数を押し上げているとの指摘もある(谷岡〔2004〕、190-191頁、河合〔2004〕、39-41頁)。


窃盗犯が93年から02年までの一般刑法犯認知件数の増加に占める割合は75.4%であり、「その他の刑法犯」が19.4%である(角田〔2005〕、237頁)。したがって、近年の認知件数増加の大半はこの二つの罪種の増加による。いずれの罪種も「前さばき」廃止の影響をかなり受けているため、90年代末から認知件数が急上昇したのは、総じて今まで暗数であったものが警察の方針転換によって「発掘された」結果であり、社会全体での事件の発生数そのものが大きく変化しているわけではないと言える。

1-2.検挙率の低下


国際的に見て良好な治安を保っていた日本の警察は、70年代後半には欧米からも注目を浴びることになる*5。自信を深めた警察は、地域社会の中に積極的に介入していく独自の行政警察路線を強化していく(渡辺〔2004-05〕)。

しかし、80年代に入ると、黒田清率いる読売新聞社会部による大阪府警察官汚職事件の追及や、グリコ森永事件などの重大事件を解決できなかったことなどから、警察の権威は失墜し始めていた。また、検挙率上昇のために各県警が競って犯罪統計を改作している――「前さばき」等――事実も明らかとなり、警察に対する国民の信頼は揺らいだ(渡辺〔2004-05〕)。国民の信頼を回復すべく、88年に就任した金澤昭雄警察庁長官は、自転車盗のような「被害者意識が希薄で軽微な事案」に労力を割いて検挙実績を積み上げるよりも、市民が不安を感じるような重大犯罪の解決に捜査力を振り向けるように指示した(久保〔2006〕、45-46頁、浜井・芹沢〔2006〕、33-34頁)。80年代末の検挙件数・検挙人員の急落がこうした方針転換によるものであることには、合意がある(角田〔2005〕、227-228、230-231頁)。

検挙率は93年に一旦上昇するが、これは92年に就任した城内康光警察庁長官が検挙率向上への取り組みを強化した影響があると考えられる(角田〔2005〕、233頁)。この時期には検挙件数が上昇しているものの検挙人員は横ばいのままであり、余罪の追及を厳しく行うことで検挙率を引き上げたことがうかがわれる。


90年代後半になると、検挙率は再び大きく低下する。この時期の低下については、二段階の説明を必要とする。まず99年以前については、検挙件数も検挙人員も減少していないことから、認知件数の増加によるものだと考えられる(河合〔2004〕、78-80頁)*6。次に検挙件数のみが低下している99年以降については、前述のように警察が市民相談の拡充や犯罪被害の発掘に力を入れるようになったために認知件数が急増したことと、増大する市民相談を通じて対応せざるを得なくなった民事的性格の強いトラブルに人員を割くために人手が足りず、余罪の追及が十分に行えなくなったことによると考えられる(浜井・芹沢〔2006〕、28-30頁)*7


前述のように一般刑法犯に占める窃盗の割合は極めて高いため、一般刑法犯における検挙率の低下も、窃盗犯の検挙率低下を反映したものとなる(河合〔2004〕、76頁)。窃盗事件の検挙件数と検挙人員を見ると、件数は低下しているものの、人員は変わっていない。ここから、検挙されなくなった事件の大半が、既に逮捕されている犯人による余罪であることがうかがえる(浜井・芹沢〔2006〕、32-33頁)。


 (浜井・芹沢〔2006〕、33頁)


また、殺人事件については認知件数・検挙件数・検挙率のいずれも横ばいが続いている(下図)。比較的に捜査人員を削減されにくいと思われる重大犯罪ほど変化が見られないことからも、近年の検挙件数の増減は、余罪の追及がどの程度行われるかによって左右されている部分が大きいことが分かる。


 (浜井〔2008〕、113頁)


以上から総合的に判断すれば、警察の捜査能力・検挙能力に落ち込みが見られるとは考えられない(河合〔2004〕、81頁、浜井・芹沢〔2006〕、34頁)。

1-3.凶悪化


犯罪の実数が増えておらず、警察の捜査能力も低下していないとしても、犯罪が凶悪化していることは否定できないのではないか。最近の犯罪の傾向として「残酷になっている」点を挙げている6割以上の人は、こう考えるだろう(内閣府〔2006a〕、図7)。以下で否定する。


警察が「凶悪犯罪」としてカウントしているのは殺人・強盗・強姦・放火だが(警察庁〔2007a〕、第1章第1節2)、放火は社会状況の変化を反映する性質が希薄であるためか、年ごとにばらつきが大きく、長期的な増減傾向を読み取ることができないため、ここでは取り扱わないことにする。


まず殺人は、50年代前半をピークとしてその後一貫して減少を続け、90年代にはピーク時の3分の1以下にまで減少した。90年代後半からごくわずかに増加しつつあるが、極めて低水準にあることは変わらない(下図)。


 (河合〔2004〕、34頁)


次に強姦は、40年代末に急増して後、売春防止法が施行された58年に再び急増している。60年代前半をピークとして減少傾向を明らかにし、90年代半ばにはピーク時の3分の1以下にまで減少した(同、35-37頁)。


(同、36頁)


最後に最も重要な強盗を扱う。強盗は経済状況の改善とともに減り続けており、90年から増加傾向に転じた後、97年以降に急増している。90年からの増加傾向はバブル崩壊に伴う経済状況の悪化によるものと思われる。強盗致死、強盗致傷事件ともに97年から急増しており、やはり経済状況の一層の悪化が影響していると思われる(同、60-63頁)。


 (同、34頁)
 (同、61頁)
 (同、63頁)


80年代末に強盗致死事件が低下していることを見ても、経済状況の影響が大きいことが推測される。強盗致死は死亡者が存在するため暗数がほとんど存在しないし(同、62頁)、また強盗致傷に関しても「前さばき」の影響は限定的であるとされており(同、67頁)、元々金銭目的の犯罪であるだけに、社会構造や経済状況の変化を反映し易いものと思われる。


 (同、65頁)


強盗事件の内、少年の検挙人員は97年に急増した後横ばいになっているのに対して、成人の検挙人員は97年から98年にかけて比較的緩やかに継続的に増加している。ここから、少年については警察の取り締まり姿勢が、成人については経済状況の影響が大きいことが推察される。後述するように、97年には警察が少年非行に対して厳正な姿勢で臨む方針を打ち出している。近年になって「荒っぽいひったくり」が強盗に分類されるようになっていることが指摘されているが(同、64頁)、これは少年への厳罰姿勢と無関係でないと思われる(同、66頁)。成人については、92〜93年にも継続的な増加を経験しており、経済状況の悪化時期と検挙人員の伸びる時期が重なっている*8

凶悪犯罪とは規定されていないが、暴力的な犯罪である「粗暴犯」の内、傷害、暴行、恐喝、脅迫の発生率の推移は以下のようである(下図)。いずれも50年代末から60年代初頭をピークとして、高度経済成長期を通じて減少。90年代にはピーク時の概ね4分の1から5分の1に減少している。00年に一斉にジャンプし、増加傾向に転じているが、これは前述の警察の方針転換による「前さばき」廃止の結果である。


 (河合〔2004〕、43頁)


以上、全体として凶悪な犯罪が増えているとは言えない。強盗はやや増加しているが、増加分の中身は「荒っぽいひったくり」のような比較的「凶悪性」が低いものを多数含んでいると思われるし、増加の理由としては経済状況の悪化が最も大きいと思われることから、人格的に凶悪な犯罪者が増加しているとは考えられない。凶悪化については、「凶悪犯罪」の増加という量的側面よりも、個々の犯罪が「悪質化」しているという質的側面を重視するべきであるとの見解が示されることがあるけれども、「悪質化」をどのような方法で立証することができるのかは明らかでない。

1-4.少年犯罪の増加・凶悪化・低年齢化


97年に当時14歳の少年が起こした神戸児童殺傷事件は、社会に極めて大きな衝撃を与えた*9芹沢一也によれば、この事件を契機として、少年犯罪に対する社会の視線が決定的な転換を迎えたと言う(芹沢〔2006〕、90-92頁)。凶悪な犯罪に手を染める少年の動機を解明することの困難さや、並行して拡大する被害者への注目と共感の中で、社会が少年犯罪に対して払う理解努力が急速に衰えていく。少年に対する社会の目は厳しさを増し、同年中に、警察は悪質な非行への厳正に対処する姿勢を打ち出した(久保〔2006〕、98頁)。00年5月の17歳少年によるバスジャック事件など、神戸児童殺傷事件以降に少年による重大事件が相次いでセンセーショナルに取り上げられたこともあり、00年11月に少年法が改正され、刑事処分可能な年齢の14歳への引き下げや、犯行時16歳以上の少年が故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた事件については原則として逆送する(家庭裁判所から検察官への事件を送致して刑事事件として扱う)ことなどが定められた*10。かくして少年犯罪への厳罰姿勢は揺るぎないものとして確定され、世紀の変わり目の前後に、少年が「モンスター化」した。


内閣府世論調査によれば、少年犯罪が増加していると考えている人は全体の9割を占めている(内閣府〔2005〕、図1)。こうした認識は正しいのだろうか。長期的推移を見ると(下図)、戦後、少年犯罪は増減を繰り返していることが分かる。交通関係を除く少年の検挙者数が最も多いピークは1983年の261,634人であり、その後は減少し、96〜98年にやや増加したものの、99年以降は再び減少傾向にある。06年の検挙者数は131,604人(「少年犯罪統計データ」@少年犯罪データベース)。したがって、少年犯罪一般が増加しているとは言えず、むしろ減少していると言うべきである。97年以降に打ち出された少年非行への厳罰姿勢が少年刑法犯の検挙件数を押し上げていることは間違いない。また、前述のように従来なら窃盗と見做されていたような事件が強盗として処理されるといったカテゴリ変更も影響しているだろう。


 (警察庁〔2007a〕、第1章第4節1
 (法務省〔2007〕)


少年犯罪についても、凶悪化を指摘する声は強力である。世論調査によれば6割の人が「凶悪・粗暴化した」少年犯罪が増加したと考えている(内閣府〔2005〕、図2)。しかしながら、犯罪一般同様、凶悪化は否定される。

まず、10〜19歳の殺人検挙者数を人口比で測ると、ピークは51年で人口10万人当たり約2.5人。60年代後半から急激に減少し、70年代半ばから97年ごろまではほぼ横ばいであり、90年代末からやや増加したが、それでも人口10万人当たり0.6〜0.8人程度である(「少年による殺人統計」@少年犯罪データベース)。


 


次に、10〜19歳の強姦検挙者数を人口比で測ると、ピークは58年で10万人当たり約25人。やはり60年代後半から急激に減少し、90年代以降は人口10万人当たり1〜3人ほどで推移している(少年によるレイプ統計@少年犯罪データベース)。



強盗については、既に見たように97年以後の厳罰主義や窃盗からのカテゴリ変更が件数を押し上げていることが明らかである。


 (久保〔2006〕、95頁)


以上から、凶悪犯罪は全体として増えておらず、少年犯罪が凶悪化しているとする根拠は乏しいことが分かる。


なお、動機らしい動機の無い犯罪や、スリルを楽しむなどの動機による「遊び型」犯罪こそが、現代の少年犯罪の特徴として指摘されることも多い。だが、複数の論者が実例を挙げて指摘しているように、さしたる理由もなく凶悪な犯罪に手を染める少年や、「遊び型」犯罪は数十年前から一貫して存在していたし、そうした事件を憂う声も昔からあった(鮎川〔2001〕、125-129頁、芹沢〔2006〕、69頁)。したがって、客観的事実に立脚する観点からすれば、「動機なき」犯罪や「遊び型」犯罪が現代の少年に特有の犯罪であるとは言えない。こうした事実を認めつつ、それでも何らかの「質の変化」はあるのではないかとの感触を抱く人は多いと思われるが、少なくとも統計資料から「質の変化」を導き出すのは難しいだろう。

また、少年犯罪について6割以上の人が「低年齢層による」ものが増加していると考えていることを、世論調査が明らかにしている(内閣府〔2005〕、図2)。さらに、最近の犯罪一般の傾向を聞いた場合にも、7割を超える人が「低年齢化」を挙げている(内閣府〔2006〕、図7)。実際に統計を見てみると、70年前後から年少少年(14〜15歳)・中間少年(16〜17歳)と年長少年(18〜19歳)の検挙人員に差がつき始めていることから(下図)、長期的に低年齢化が認められる可能性はある(ただし60年代半ば以前の状況はこのグラフでは分からない)。しかし、少なくとも90年代に限っては年少・中間少年と年長少年との検挙人員の乖離は大きくなっていないし、80年代と比較すればむしろ縮まっていると言える(久保〔2006〕、118頁)*11


  (久保〔2006〕、119頁)


また、非行少年率(12〜19歳の間に非行で検挙・補導される少年の割合を人口比で生年別に図示したもの)の推移(図)を見ると、より若い世代ほど、非行のピークが右側に移ってきていることが分かる(久保〔2006〕、121頁、浜井・芹沢〔2006〕、45-46頁)。低年齢化を否定するに留まらず、暴走族における成人比率が高まっている事実なども指摘しながら、現在進行しているのはむしろ非行の「高齢化」であると主張する論者もいる程である(浜井・芹沢〔2006〕、47-48頁)。もっとも、低年齢層の少年による非行の割合がより高かった80年代前半は、自転車盗などの取り締まりが強化されるとともに、校内暴力や家庭内暴力が大きく取り上げられていた時期であったので、過去の「低年齢化」そのものが警察の取り締まり姿勢によって演出されたものであった可能性も否定できない(久保〔2006〕、121頁)。ひとまずは、統計資料を見る限り低年齢化を裏付けるデータは出てこないと言うに留めておくのが無難だろう(久保〔2006〕、123頁)。


 (浜井・芹沢〔2006〕、46頁)
 (久保〔2006〕、120頁)

1-5.外国人犯罪の増加・凶悪化


92年頃から、警察は「ボーダレス時代の警察」論を唱え、犯罪の広域化・国際化への対応が必要であるとの主張を始める。警察庁には国際部が設置され、外国人犯罪対策への取り組みが強化された(渡辺〔2003-04〕)。「行動計画」も、治安悪化の原因に「来日外国人犯罪の凶悪化・組織化と全国への拡散」を挙げており、外国人犯罪が「深刻化」しているとの認識を示している。

近年、不法滞在者の取り締まりが強化されているのは、こうした認識に基づくものである。04年6月には入管難民法が改正され(同年12月施行)、不法滞在者に対する罰金上限の引き上げや、繰り返し強制退去処分を受けた者に対する再入国拒否期間の延長などが定められた。06年5月には再度同法が改正され、16歳以上の外国籍者の入国に当たって、顔写真の撮影と指紋の採取が義務付けられた(同年11月施行)。

また、06年の世論調査では、最近の犯罪の傾向について、40%以上の人が「外国人による犯罪が増えている」と回答しており(内閣府〔2006a〕、図7)、治安悪化の原因として「来日外国人による犯罪が増えたから」は55%を超えて1位となっている(内閣府〔2006a〕、図3)。政府においても世論においても、外国人の犯罪は単に増加しているだけでなく、それが社会全体の治安悪化の主因の一つとなっていると認識されていることが分かる。


確かに、外国人による犯罪は実際に増加している(下図)。「来日外国人」の検挙件数は80年代後半から上昇し始めるが*12、91年頃から顕著な伸びを見せ始める(警察庁〔1999〕、図1-10)。93年および95〜97年にはさらに急増し、「その他の外国人」の検挙件数を引き離すようになる*13


 (法務省〔2007〕、第3編1)


とはいえ、日本に居る外国人の総数が増えれば、外国人犯罪の総数が増えるのは自然である。特に80年代末以降、入国者、外国人登録者ともに顕著に増加している(下図)。外国人犯罪が増加していること自体を問題視するのであれば、こうした流れを押し留めて、外国人の入国制限を主張するしかないだろう。



  (法務省入国管理局〔2007〕、3&20頁)


そうした主張をしないとすれば、焦点は(1)日本に滞在する外国人が社会全体の治安を乱すような規模で犯罪を行っているのか、(2)彼らは日本人より犯罪を行い易いのか、(3)彼らは日本人より凶悪な犯罪を行い易いのか、といったことに限定される。


(1)については、外国人の検挙人員が全体の検挙人員に占める割合とその推移を見ればよい。中島〔2008〕によれば、刑法犯全体の検挙人員に占める来日外国人の刑法犯検挙人員は、93年から07年の間に概ね2%台前半で推移している。不法滞在者に限れば、全体の0.2〜0.5%程度である。このようなわずかな割合の犯罪が全体の治安を悪化させる程の影響力を有しているとは考えられないし、近年になって割合が増加しているわけでもない。

来日外国人犯罪の増加を示すグラフにおいて注目されるのは、94年から03年頃までの検挙件数の著しい伸びに、検挙人員の伸びが伴っていない点である。集団による反復的な窃盗が多いため、検挙人員一人当たりの検挙件数が日本人と比べて多いのが外国人犯罪の特徴である(久保〔2006〕、151-153頁)。したがって、検挙された外国人の総数が変わらなくても、余罪の追及を厳しく行えば、検挙件数は増加する。少なくとも90年代半ば以降の検挙件数の伸びは、こうした取り締まり姿勢の変化によって説明できるところが大きいと思われる。


(2)に移ろう。ここでは、日本の総人口に占める刑法犯の割合と*14、来日外国人全体に占める来日外国人刑法犯の割合を比較する。算出した数値は表にまとめた。なお、来日外国人の総数は明らかになっていないので、推計とならざるを得ない*15。また、来日外国人総数の4分の3程度は、外国人登録が為されない90日以内の滞在者が占めており、その内の9割以上は15日以内の滞在である。したがって、こうした極めて短期の滞在者の数値をどう扱うかによって結論が左右されかねない。そこで以下では、来日外国人の数値に関して、90日以内に出国している者を含める場合と含めない場合の二種類を算出した*16。90日未満や15日未満しか滞在しないからといって犯罪を行い得ないというわけではないので、必ずしも後者の数値を用いて考えるべきだということではない。上限と下限の値を示すものだと考えられたい。

総人口(千人) 刑法犯検挙人員(人) 刑法犯人口比(%) 来日外国人(総数/90日未満の滞在者を除く数) 来日外国人検挙人員 来日外国人刑法犯人口比(総数/90日未満の滞在者を除く数)
1993 124,938 297,725 0.23 7,276
1994 125,265 307,965 0.24 6,989
1995 125,570 293,252 0.23 6,527
1996 125,859 295,584 0.23 4,255,850/1,072,774 6,026 0.14/0.56
1997 126,157 313,573 0.24 4,890,073/1,141,811 5,435 0.11/0.47
1998 126,472 324,263 0.25 4,578,518/1,164,138 5,382 0.11/0.46
1999 126,667 315,355 0.24 4,509,826/1,195,204 5,963 0.13/0.49
2000 126,926 309,649 0.24 4,611,594/1,283,785 6,329 0.13/0.49
2001 127,316 325,292 0.25 5,020,897/1,328,461 7,168 0.14/0.53
2002 127,486 347,558 0.27 5,885,323/1,363,651 7,690 0.13/0.56
2003 127,694 379,602 0.29 5,872,303/1,394,127 8,725 0.14/0.62
2004 127,787 389,027 0.30 6,597,197/1,417,373 8,898 0.13/0.62
2005 127,768 386,955 0.30 7,168,349/1,418,351 8,505 0.11/0.59
2006 127,770 384,250 0.30 7,842,725/1,439,193 8,148 0.10/0.56


この表に従えば、来日外国人全体の中で犯罪に手を染める人間が現れる確率は、日本全体で考えた場合よりも低い。ただし、90日以上滞在している来日外国人に限れば、その内部に犯罪者が現れる確率は日本全体における確率よりも高くなっている。考えられる理由としては、就労・研修・留学などを目的とする来日外国人集団において、児童や高齢者が比較的少数であることの影響が大きいと思われる。活動的な年齢層の人々が高い割合を占める集団では、そうではない集団と比べて、犯罪を行う人間の割合も高くなることは避けられない。参考までに、日本に住む15歳以上人口に占める刑法犯比率を算出してみると、95年=0.57%、00年=0.58%、05年=0.72%であり、来日外国人の刑法犯比率と概ね同水準となった。無論、この数値を単純に比較することはできないが、来日外国人が日本人と比べてとりわけ犯罪に手を染め易い性向があるわけではないことは十分に知れよう。


(3)については、(2)と同様の計算と比較を行う。結果は表の通りであるが、これによると、凶悪犯を輩出する確率を来日外国人全体と日本全体で比較した場合、後者の方がやや高めである。ただし、90日未満の滞在者を除いて計算した場合には、やはり来日外国人の方が高くなる。こちらも参考のために15歳以上人口を用いた場合の日本全体の凶悪犯比率を計算してみたが、95年=0.010%、00年=0.014%、05年=0.013%と、90日未満の滞在者を除く来日外国人に占める凶悪犯の比率と比較して、やや低水準であった。

凶悪犯検挙人員(人) 総人口比(%) 来日外国人凶悪犯検挙人員(人) 来日外国人総数比(%) 90日未満の滞在者を除く来日外国人比(%)
1993 5190 0.0041 218
1994 5526 0.0044 221
1995 5309 0.0042 176
1996 5459 0.0043 162 0.0038 0.015
1997 6633 0.0052 187 0.0038 0.016
1998 6949 0.0054 228 0.0049 0.019
1999 7217 0.0056 267 0.0059 0.022
2000 7488 0.0058 242 0.0052 0.018
2001 7490 0.0058 308 0.0061 0.023
2002 7726 0.0056 323 0.0054 0.023
2003 8362 0.0065 336 0.0057 0.024
2004 7519 0.0058 345 0.0052 0.024
2005 7047 0.0055 315 0.0043 0.022
2006 6459 0.0051 270 0.0034 0.018


これを以て、来日外国人には比較的凶悪犯罪に手を染め易い性向が(わずかながらでも)認められると断じてよいのかどうかは解らない。判断は留保しておこう。なお、仮にそのような性向が認められるとしても、来日外国人凶悪犯の検挙人員は(来日外国人の増加にもかかわらず)00年代前半をピークとして減少傾向にあることからも、外国人による凶悪な犯罪が増加しているわけではないことは確かである(警察庁〔2007b〕、第2)。


以上、外国人犯罪はそもそも犯罪全体の中で極めて小さな割合をしか占めておらず、その割合は増加していない上に、来日外国人に日本人よりも犯罪を行い易い性向があるわけでもないことを明らかにした。日本人よりも凶悪犯罪を行い易い性向があるとの主張を為し得る余地は残されたが、外国人による凶悪犯罪は減少している。したがって、日本の治安は外国人によって悪化させられているわけではない。



2.体感治安の悪化と刑事政策のパラダイム転換


以上、犯罪実数は増加しておらず、警察の捜査能力が低下しているとも考えられないため、日本の治安が悪くなっているとの主張を支持する根拠は乏しいと言える。また、少年や外国人による犯罪が増加ないし凶悪化しているわけでもないことも明らかになった。しかしながら、客観的に見れば日本の治安は悪化していないとしても、それならばなぜ治安の悪化を問題視する声が強いのだろうか。実際の治安が悪化しているかどうかはともかく、主観的に感じられる「体感治安」は、確実に悪くなっている。犯罪実数ないし凶悪犯罪がさして増加しているとも言えないのに不安を感じる人が増えているとすれば、そうした事態がなぜ生じているのかは、解くべき独立した問いである。

例えば、前述のように少年犯罪が増加していると考えている人は9割にも上っているが、「周囲で起こり問題となっている少年非行」について聞くと、最も多い回答は「特にない」34.9%である(内閣府〔2005〕、図4)。重大な犯罪事件と言えそうな「強盗・恐喝事件」や「殺傷事件」を挙げた人は4〜6%に留まる。また、浜井浩一の調査によれば、2年前と比較して犯罪が増えたかどうかを「日本全体について」聞くと約90%の人が増えたと答えるが、同じ質問を「自分が住んでいる地域について」聞くと、増えたと考える人は27%まで減り、「同じくらい」との答えが64%で最も多くなると言う(下図)。


  (浜井・芹沢〔2007〕、52頁)


このように、自分の身の回りでは大きな事件や変化は起きていなくても、日本全体では「なんとなく」治安が悪化しているような感覚が抱かれているとすれば、その原因を問わねばならない。本連載の観点からすれば、考えられる原因は「社会の流動化が引き起こす不安」と言うに集約される。既に各々の項で見たように(「テクノロジー/メディア」「経済/労働」「家族」「共同体/市民社会」)、都市化・郊外化によって地縁的な人間関係が希薄化し、雇用が不安定化して職業的な人間関係が流動化し、家族の個人化が進み、個別の趣味共同体に閉じたコミュニケーションが一般化した現代社会では、見も知らない隣人への信頼を形成・維持することが困難であり、不安が惹起されやすい。体感治安の悪化は、こうした現代社会のポストモダン的条件によって規定された社会の「自己参照」に基づいて生じているのである。

既に述べたように、「動機なき」犯罪や「遊び型」犯罪を起こすのは現代の少年に特有の傾向とは言えないが、そうした犯罪が現代の少年犯罪の特徴であるという認識が社会一般に受容されているとすれば、そうした社会の姿勢こそが現代的特徴と言える。少年が「モンスター化」していると言っても、少年そのものが変化しているわけでは必ずしもない。変化しているのは、少年よりもむしろ社会の認識枠組みの方である(鮎川〔2001〕、154頁、芹沢〔2006〕、69頁)。マスメディアで取り上げられるような事件は社会全体から見て本来特殊な事件であるはずであり、そうした特殊例を社会がどのように捉えるかによって、社会が自分たちの社会をどのように捉えているのかを知ることができる。たとえ同じような事件であっても、社会そのものの変化や、社会が有する「自己認識」の変化によって、取り上げられ方や語られ方は全く違ったものになる(芹沢〔2006〕、76-77頁)。体感治安の悪化の原因について、多くの論者はマスメディアのセンセーショナルな報道姿勢(のみ)を指摘するが、マスメディアが提供する情報パッケージは、それを受容する社会が有する認識枠組みから大きく隔たることはできない。マスメディアの報道姿勢を問題視するならば、そうした報道を促すような認識枠組みが社会の側になぜ形成されたのかを問わなければ、問題に接近したことにはならない。体感治安の悪化の背景に社会の認識枠組みが変化したことがあるのならば、単に客観的な事実を指摘するだけでは不安を解消する効果は期待できない。繰り返すように、事実が同じでも、それを解釈する認識枠組みが異なれば、抱かれる感情や考えは変化せざるを得ないからである。事実(のみ)に着目する議論が果たしうる社会的機能の限定性は、ここにある。


さて、体感治安の悪化に対して、現在提示されている対応は大きく二つに分かれる。一つは、治安が悪化していないのに体感治安が悪化しているとしたら、それは間違った認識だから、正しい情報を広めることによって不安を解消していく必要があると考える立場である。直前で述べたように、社会の認識枠組みが変化した後では、このアプローチには限定した効果しか期待できない。第二の立場は、客観的な事実がどうあれ、体感治安が悪化していて実際に不安が高まっているならば、厳罰化や警察官の増員などによって、治安対策を強化するべきであるというものである。こうした考え方を是とするべきかはさておき、当局はこの立場を採っている。警察がある時期から「安全」とともに「安心」を掲げているのは、客観的な治安情勢のみならず、主観的な不安にも対処することが必要とされているとの認識を反映したものである。

現に、体感治安の悪化への手当てとして、 04年の刑法改正により、幾つかの法定刑が引き上げられた。不安を膨張させた世論は、厳罰化を後押している。内閣府世論調査によれば、死刑の存置に賛成する人は年々増加しており、04年には80%を超えている(内閣府〔2004〕、図2)。世論の厳罰主義への傾斜は司法にも反映され、死刑判決が03年以降に急増している(浜井〔2008〕、113頁)。無期刑判決については98年頃から急増しており、無期刑囚の仮釈放に至るまでの期間も長期化し、半ば終身刑化している(同、115頁)。


厳罰主義が支持され、犯罪被害者の感情への配慮が強調される中で、性犯罪者や触法精神障害者への視線も厳しくなっている。04年11月の奈良女児誘拐殺害事件を直接の契機として、05年6月に法務省が性犯罪者の出所情報を警察庁に提供する制度を開始。同時に警察庁は、13歳未満の児童に対して性犯罪を行った者の情報を登録して出所後も所在を継続的に確認する旨、通達した。自民党の治安再生促進小委員会は、08年4月に発表した提言で、常習的な性犯罪者にGPS装置の取り付けを義務付ける措置を検討課題に挙げている(芹沢〔2008〕)。また、精神鑑定の信頼性への疑念が強まるに伴って、心神喪失による刑の免除と心神減耗による刑の減軽を定めている刑法39条の削除を求める主張が少なからず表明されるようになる一方*17、「再犯のおそれ」なる曖昧な理由に基づく精神障害者の拘束を可能にした心神喪失者等医療観察法が2003年7月に成立している。立法の背景には、01年に大阪府池田市の小学校に侵入して無差別殺傷事件を起こした犯人が、過去に精神障害を理由とする刑事起訴猶予処分(措置入院)を経験していた事実が重視されたことがあった。

注目すべきなのは、法を犯したあらゆる人間に対して同様の処罰を与えることこそが、彼らに「一人前」の地位ないし権利を認めることであり、その尊厳を確保することであると見做す見解が現れていることである(高山〔2002〕など)。少年に対して成人同様の処罰を与えるべきであるとの主張はもとより、刑法39条の削除を求める主張の中にも、「裁判を受ける権利」や「法の下の平等」を触法精神障害者に保障するためにこそ、一般の犯罪者と同様の刑罰を与えるべきであるとの見解が少なからず見られる。ここには、「保護」の対象と見做されてきた「弱者」を弱者と見做さない決断、保護思想からの転轍が捉えられる。これを単に厳罰主義・応報主義の優勢と見るだけではおそらく不十分であり、人権思想が浸透した――ないしは個人化が進行した――帰結の一面であると、両価的に捉えるべきである。


さて、「行動計画」では地域防犯活動の強化もうたわれているが、地域警察路線の強化は90年代の警察が一貫して進めてきた方向性である。92年に外勤課が地域課に名称変更、94年には警察庁に生活安全局が、都道府県警に生活安全部が設置された。各自治体でいわゆる「生活安全条例」の制定が始まるのは、この頃である(「生活安全条例」研究会編〔2005〕、8-9頁)。「防犯」「治安回復」「安全・安心」「地域安全」「まちづくり」など、看板となる言葉はそれぞれであっても、自治体・事業者・住民の「防犯」についての責務を規定している点が、「生活安全条例」の共通の特徴である*18。地域パトロールなど「民間防犯活動」の広がりが、「地域安全活動」の促進によって積極的な予防警察活動を可能にしようとする警察の意図に沿うものであることは疑い得ない。地域住民との協働は地域への積極介入を容易にするし、住民の「警察化」を通じた地域共同体への治安維持のいわば「丸投げ」は、公共部門のコストを削減せよとの現代的要求にも適う。しかし他方で、子どもや家族を犯罪から守りたいという住民の善意や、かつて存在したはずの地域の「ふれあい」を取り戻したいとの共同性の希求こそが地域安全活動の隆盛を支えていることは否定することができない(浜井・芹沢〔2006〕、156頁)。

むろん、こうした善意や欲求は、多分に危険を含んだものである。「防犯を軸に地域コミュニティの再生」が目指される「治安共同体」の形成は、地域の防犯活動に参加しないこと自体によって、不審者と見做されかねない状況を招く(浜井・芹沢〔2006〕、177頁、「生活安全条例」研究会編〔2005〕、25頁)。いまや挙証責任は転嫁され、誰かを「不審者」と名指す方ではなく、自分は「不審者」ではないと主張する側にこそ、その証明が求められる*19。また、地域防犯活動・生活安全活動によって喚起された秩序意識は、地域のルールやモラルからの軽微な逸脱行為にも過敏な反応を為すように促す。夜中に若者がたむろしている、ゴミが散乱している、落書きが目立つ、酔っ払いが徘徊している、ホームレスが横たわっている、など・など。それが違法であるかどうかなど、もはや問題ではない。地域住民にとって目障りなモノ/ヒトは、全て排除されるべき対象となっていくのである(芹沢〔2006〕、198-200頁)*20


このように単なる逸脱行動を犯罪同然に取り締まり、排除していくことを、犯罪学における新たなパラダイムが正当化可能にしている。70年代初頭に起源を持ち、80年代に発展した「環境犯罪学」は、伝統的な犯罪学のように、犯罪の原因を犯罪者の異常な人格(精神病理)や劣悪な境遇(社会病理)に求め、それらの原因を取り除くことで犯罪を防止できると考える立場に反対する(小宮〔2005〕、27-29頁、谷岡〔2004〕、188-189頁)。犯罪の原因よりも、犯罪の機会、可能性にこそ注目すべきだと言うのである。伝統的な立場では、何らの病理ともかかわりのない人間は犯罪を起こさないと考えられがちであったが、環境犯罪学は犯罪者と非犯罪者の間にそのような境界を設けることはほとんど無意味だとする。すなわち、環境による誘因が存在し、犯罪に踏み出す主観的合理性が認められれば、誰もが犯罪を実行し得るのであり、犯罪を減らすために必要なのは適切な環境設計によって犯罪機会を減少させることである。

環境犯罪学においては、犯罪者の社会背景や生育・教育環境、人格や性格は問題にされず、ある犯罪がどのような状況ではどのぐらい起こりやすいかという可能性、確率、リスクだけが問題とされる。環境犯罪学は犯罪者よりも犯罪の方に興味を持つと言われる所以である(谷岡〔2004〕、188頁)。日本では、犯罪事実だけでなく犯罪者の人格を考慮して適切な処罰を施そうとする現行刑法が1907年に制定されて以来、刑事政策の照準が「犯罪から犯罪者へ」と転換されたが(芹沢〔2006〕、32-35頁)、環境犯罪学の台頭は、一旦犯罪者に移された関心を逆方向に振り向けることを促し、「犯罪者から犯罪へ」の再転換を迫っている。もっとも、これを単なる先祖返りと見做すべきではない。犯罪学の現代的シフトにおいてはむしろ、「関心は犯罪それ自体ではなく、ひたすら犯罪の可能性に向けられ、違法であるかどうかを問わずあらゆる反社会的行為を対象とする」点が特筆される(ヤング〔2007〕、119頁)*21。つまりパラダイムの移行は、「犯罪事象から犯罪者へ、犯罪者から犯罪可能性へ」とでも描くべきものである。犯罪の可能性(リスク)に注目する立場からすれば、軽微な逸脱行為であろうとも犯罪同然に対処することを迷うべきではないのだ――排除と分離は最善のリスクヘッジである*22


環境犯罪学の発展は、体感治安の悪化に対応している*23。犯罪の原因となる精神/社会病理ではなく犯罪を誘発する物的/人的環境に着目する環境犯罪学においては*24、誰もが犯罪者予備軍と見做されるようになる。これは、いつどこで犯罪に遭遇するかもしれないという不安の高まりへの対処としての恒常的なリスク管理を導く一方で、あらゆる人を犯罪者予備軍と見做すことによって却って不安を掻き立てるマッチポンプ的機能を果たしている。

また、「犯罪者」に注目する伝統的なアプローチでは被害者へのケアが不十分になりがちであったが、犯罪者への「理解」を放棄して犯罪そのものに照射する新たなアプローチにおいては、被害者へのケアが重視されるようになる。既に犯罪者への共感の回路は断たれている。なぜなら「あなたにとっては事件を理解することよりも、事件を避けることのほうが重要なはずだ」から(ヤング〔2007〕、172頁)。もはや物語を共有できるような社会の統合性は期待できない。犯罪の背景とされる物語は、複数の方向から切り分けられて個別に消費されるか、端的に無視されるかしかない。視座は、社会から個人に移された。犯罪の意味が解釈される文脈が個人化されたのである。


ただし、誰もが犯罪者予備軍と見做されるようになるとしても、犯罪リスクが高いと見做されやすい種類の人々は厳然として存在する。2004年末時点での行刑施設における既決囚の平均収容率は117.6%であり、9割の刑務所では過剰収容に陥っていると言う(浜井〔2006〕、7頁)*25。しかし、これは決して凶悪な犯罪者が増加したからではない。体感治安の悪化と厳罰主義の浸透、治安共同体の形成が、いわゆる「社会的弱者」=「リスク高」な人々を刑務所へと追いやっているのである。受刑者の高齢化は最近20年程度の間に急速に進行しており、特に90年代後半以降は社会全体の高齢化を遥かに上回る速度となっている。また、同時期に精神障害を持つ受刑者も増加している。さらに職や家庭を失った受刑者も増加しており、長期不況による雇用環境の悪化の中、社会からはじき出された人々が「最後のセーフティネット」としての刑務所に流れ着いたことがうかがえる(浜井・芹沢〔2006〕、205-217頁)。過剰収容を根拠にした厳罰主義への傾斜は、更なる社会的排除をもたらすマッチポンプにほかならない。


 (同、207頁)
 (同、211頁)
 (同、209頁)


前述の治安共同体の形成が治安対策の「共同体化」を体現しているとすれば、「市場化」を体現するのはセキュリティ産業の拡大である。警備業者数、警備員数ともに80年代から顕著な伸びを見せており、警備業者数は2000年代に入って横ばいとなっているものの、警備員数はなお増加を続けている(「警備業の概況」@全国警備業協会、警察庁〔2006〕、図2-34警察庁生活安全局生活安全企画課〔2008〕 )。警備業の市場規模は3兆5千億円を超えており、ここ数年1兆2千億円前後の規模で推移している防犯設備市場と合計すると(「防犯設備推定市場の推移」@社団法人防犯設備協会、警察庁〔2006〕、図2-35)、少なくともセキュリティ産業は5兆円の市場規模を誇っていることになる。

近年、日本でも現れつつあるセキュリティタウンやgated communityは*26、民間警備会社の協力を得ながら強力な治安共同体を構築することを目指している点で、治安の共同体化と市場化が結託している象徴的な例であろう。特定の地域を物理的に区切ってセキュリティを上昇させることは、他の地域への「犯罪の転移」を招く危険性があり、セキュリティに支出を振り向ける経済的余裕の程度が、治安の格差をもたらしかねない(谷岡〔2004〕、192-195頁)。


セクリティタウンまで至らずとも、既に全国各地の自治体や商店街では、公共施設や街路に監視カメラの設置が一般化している。ビデオカメラによる監視装置が公共機関や金融機関などで採用され始めたのは60年代からであり、83年までに15台設けられた大阪釜ヶ崎のカメラについては、90年代を通じて撤去訴訟が争われている(浜島〔2003〕、154-155頁)。しかし、公道を歩く人々を監視するカメラが一般化したのは、02年2月に警察によって新宿歌舞伎町に50台のカメラが設置されたことを契機とする(斎藤〔2004〕、118頁、小笠原〔2003〕、56頁)。以降、警察のみならず自治体や商店街が独自にカメラを設置する例が多く現れ、04年7月には東京都杉並区が初めてカメラの設置と運用に関する基準についての条例を設けた(斎藤〔2004〕、127頁)。

複数の調査によれば、あらゆる空間にカメラが設置され、犯罪や問題行動を監視することについて、圧倒的多数の人々は肯定的である(斎藤〔2004〕、122-126頁)。「やましいことがないのなら、撮られても問題ないはず」であると、ここでも挙証責任は転嫁される。商店街をはじめとする民間領域における監視は、記録された映像が適宜捜査機関に提供されることを通じて、公権力と結び付き得る。公権力による監視としては、70年代から登場した道路の自動監視・記録システム(オービス)と、その進化形として86年以降に全国配備された自動車ナンバー自動読み取りシステム(Nシステム)が代表的である(浜島〔2003〕、154-156頁)。Nシステムのカメラによって撮影された情報は、瞬時に専用のデータベースと照合され、手配車両のナンバーと一致したものについては、撮影端末付近の警察機関への通報が行われるようになっている。現在では乗車している人間の顔も識別可能であるとされ、全国数千ヶ所にまで増加していると言われる端末を駆使することで、犯罪者に限らない特定人物の行動を逐一把握することも技術的に可能であると考えられている(大谷〔2006〕、120頁)。民間による無数の監視カメラによる記録と、Nシステムのような公権力の監視記録および個人情報が結び付けば*27、極めて精緻な個人監視が可能である*28。それでも、「やましいことがないのなら」、格別の問題は無いのかもしれない*29。かくして、監視カメラ市場もまた、拡大の一途を辿っている。


 (「拡大する防犯カメラ市場」@SAFETY JAPAN)


体感治安の悪化が、職場・地域・家庭などにおける流動化や島宇宙化によって惹起される不安に起因するものだとすれば、失われた共同性、連帯、安定性、統合性を求めて治安共同体の形成による共同性の疑似創出が行われたとしても不思議ではない。だが、共通のアイデンティティを強調し、共有された規範意識に訴えることで治安の「復興」が可能であるとは、今や誰にも信じられてはいない。周囲は得体の知れない他者=「不審者」ばかりであるとの実感を前提としている治安共同体の運営は、市場や技術を通じた隔離や排除――環境管理――によって支えられる部分が大きい。公権力の治安活動が共同体と市場の両方に外注されていくとともに、三者が協働することで共同体と市場にとって危険/不要な人間が公権力によって社会から放擲されていく。現在生まれつつあるのは、そうした事態である。



3.ナショナルセキュリティの新局面と多面的なリスク管理


ところで、日本において1990年代半ばを境に大きく変容したのは、国内のセキュリティ環境だけではない。ナショナルセキュリティ環境もまた、大きな変容を経験している。90年代以前の日本において、ナショナルセキュリティ領域での議論基調を支配していたのは(その内実はともあれ)平和主義――ないしは軽武装主義――であった。戦後の短くない期間における左派勢力(「平和勢力」)の間で強い魅力を保っていたスローガンは「非武装中立」であったし、50年以降の再軍備を支持する勢力にしても、「専守防衛」を強調することなしには国民に訴える言論の構成は不可能であった。


例えば67年、佐藤栄作首相が武器輸出の相手国を制限する旨を答弁(武器輸出三原則)、71年に非核三原則が国会決議され、76年には国防費をGNP比1%の枠内に制限することが閣議決定された。この間、国会議席の三分の一を平和勢力が占め続けた事実は、こうした政治的決定の背景を成している。GNP比1%枠は既に87年の時点で撤廃されていたが、事態の変化を決定づけたのは89年末の冷戦終結と、91年初の湾岸戦争であった。冷戦の終わりは安全保障面での楽観論を生起させたが、湾岸戦争における米ソをはじめとする各国の共同行動は、新しい時代の容易くない意味を印象付けた。東西に分裂していた世界の統合は、常にグローバルな規模範囲を前提とした対応を迫り、あらゆる地域の紛争や危機への迅速な行動を求める。かくして「専守防衛」を国是としてきた日本でも「国際貢献論」が高まり、92年のPKO協力法成立により、自衛隊の海外派遣の道が開かれた。

対ソ防衛に眼目を置いた冷戦期の「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」(78年)は、97年に新ガイドラインとして更新される。冷戦終結に伴うグローバル秩序防衛の必要性に直面した米国をバックアップする役割を日本にあてがう、「日米安保の再定義」である。新ガイドラインの方向性を具現化するべく、99年5月に周辺事態法が、2003年6月に武力攻撃事態対処法が、04年6月に有事関連7法が、それぞれ立法される。この間、98年8月には北朝鮮によるミサイル発射が、01年9月には米国での同時多発テロが、国民の恐怖と不安を掻き立てた。同時多発テロの翌月には米国のアフガニスタン攻撃を後援するべくテロ特措法が可決成立され、自衛隊の派遣が根拠づけられた。03年3月のイラク攻撃に際しては同年7月成立のイラク特措法が04年1月の自衛隊派遣を可能にした。

大国としての存在感を増す中国や、05年2月に核保有を表明した北朝鮮が脅威と見做される中、人々の危機意識や国防意識が高まっている。世論調査によれば、日本が戦争に巻き込まれる危険性があると感じる人は増加しており(内閣府〔2006b〕、図24)、自衛隊・防衛問題に対する関心が高まっているとともに(内閣府〔2006b〕、図1)、自衛隊に対して好意的な印象を抱く人が増えている(内閣府〔2006b〕、図4)。こうした世論の動向に呼応するように、戦後一貫して阻止されてきた憲法改正にも現実味が増している。00年に設置された衆参両院の憲法調査会は、05年にそれぞれ報告書を提出。同年、自民党は新憲法草案を取りまとめている。07年5月には、憲法改正発議に基づく国民投票の手続きを定めた国民投票法が初めて制定された。


こうしたナショナルセキュリティ環境の変化は、固定的な二極構造が瓦解したことによる不確実性の増大に伴う、「リスク」意識の高まりに対応している。そして、リスク意識という点では、衣・食・住・健康福祉など、生活にかかわるリスク情報への敏感さが高まっていることも無関係ではない。BSE鳥インフルエンザSARSなど、グローバル化が呼び寄せるリスクが市民の不安を喚起する。情報化は、食の安全や健康、環境ホルモンや防災など、多面的なリスク情報を膨大な規模で氾濫させ、不安を掻き立てると同時に、ビジネスチャンスを創り出す(ベック〔1998〕、29頁)。安全と安心はブランド化し、付加価値となって市場を拡大させる。他方、企業の経済活動が何らかのリスクを生じさせている疑いを持たれれば、市民による厳しい責任追及を避けることはできないため、現代の企業においては、世論への弁証を生業とする広報部門の地位が上昇する(ベック〔1998〕、43-44頁)。各領域の専門家は、そうした世論への弁証を担う弁護士として、しばしば企業のお抱えになる。


多くのリスクは目に見えないものであり、直接には全く認識できないので、専門家の判断を仰がなければならない(ベック〔1998〕、35-36頁)。自らがさらされているリスクの存在や程度・範囲・形態などを自分では知り得ず、他者の知識に依存せざるを得ないことは、それだけで不安を喚起する(同、82頁)。しかも、専門家なる人々の見解は、往々にして一致しないものであり、最終的にはリスクの存在は「信じられる」しかない(同、38頁)。もとより何をどの程度危険であると見做すかの判断においては、価値観の介入は避けることができないのであって、何を守るべき価値として措定するかによって、リスク認識は左右される(同、38-40頁)。この点では専門家も市民も同様の地平に立っているのであり、それゆえ、「市民的合理性」が科学的合理性の観点からしていかに「非合理」に見えたとしても、そのことを以て市民を侮り・笑うのは愚かなふるまいである。「危険について述べる場合には、われわれはこう生きたい、という観点が入ってくる」(同、90頁)*30


食にせよ住にせよ、企業や商品への信頼は、元々無根拠なものでしかない。だが、社会は無根拠な信頼に基づいて成り立っているものであり、その信頼が掘り崩されることは、不安の極大化を招き、市民生活を困難にする。不安ゆえに安心を求め――この食品の生産者は誰で何を原料にしてどのような工程を経ていかなる流通経路によって此処に至っているのか――、求めるがゆえに不安になる、マッチポンプ機能が働き出す。そして、不安を解消するためにリスクを抑制せよとの声が高まり、様々な領域で規制の強化や基準の創設が求められるようになる*31。かくして「評価国家」が形成されるが、国家が市民よりも専門的な情報に通じているとは限らない。普遍化し、膨張する多面的なリスクの管理を国家に委ねることは、知らないのに裁可し、どうでもいいのに推進し、わからないのに評価する、無責任な権力機関を生み出す危険性は否定できない。それでも、個人化された社会で不安にさいなまれる個人に手を差し伸べられるのは国家でしか在り得ない以上、人々は国家を頼らざるを得ないのである。



4.国家の役割の限定化と肥大化――市場化・共同体化と予防国家


リスクと危険は違う。リスクとは、選択・決定に伴う不確実性の認知に関連している。天災や外敵、暴政などは自らの選択の帰結とは認識されていないので、リスクではない。規範や秩序が選択の結果だと認識される近代以降でないと、リスクは出現しない。リスクは再帰性を必要条件とするのである(大澤〔2008〕、129-130頁)。したがって、リスク社会の到来は再帰性の上昇によって引き起こされている。伝統が崩壊し、社会が流動化することで、全てが自分の選択の結果だと考えられるようになったため、不確実性への不安が惹起され、リスクが認識されるようになった(大澤〔2008〕、136頁)。そして、このように様々な領域で自分が何をするかを自由に選べるようになればなるほど、結果を外的要因のせいにすることは難しくなり、自己責任と見做されやすくなる(山田〔2004=2007〕、44-45&60頁)。かくして、リスクを自らの責任で引き受けなければならなくなった人々の不安は増幅する一方となる *32

恐怖が具体的・現実的対象に向けて抱かれるのに対して、「不安は起るかもしれないことと結びついている」(セネット〔2008〕、56頁)。リスクは未来についての認識であり、予防されるもの、食い止められるものである(ベック〔1998〕、47頁)。職場・地域・家庭が流動化を余儀なくされ、情報化が膨大な量の情報を氾濫させる中、「不確実性は不安となって、あらゆる地位の人々のまわりに蔓延する」(セネット〔2008〕、57頁)。だから、リスク社会における人々の行動は、未来についての不確実な予測――すなわち不安――によって規定され、組織される(ベック〔1998〕、47頁)。リスク社会の特徴は、「不安の共有」であり、不安ゆえの連帯が生じるケースもある――治安共同体――のである(ベック〔1998〕、75頁)。


犯罪者への理解努力が虚しいものであることが誰の目にも明らかになる程に、今や社会の統合性が消え去りつつあるのにもかかわらず、治安維持や国防において共同性の疑似的な復興現象が見られるのは、こうした文脈から部分的に理解可能であるかもしれない。一体性を失いつつある社会はもはや連帯が困難となっているはずであるが、不安の共有や共通の「敵」の存在をテコにすることで、辛うじて繋がることができる。セキュリティイシュー、「安全・安心」の問題であれば繋がることができる――逆に言えばそうしたイシュー以外には連帯が不可能になっている――現状があるのかもしれない。

いずれにせよ、そうした不安を基盤として、国家の役割が変容している。歴史的に言えば、現代の国家が多面的なセキュリティ政策に多大な力を注ぐようになっていることは、戦後の福祉国家体制の樹立と無関係ではない。ソーシャルセキュリティを充実させる国家が同時に市民を監視・管理する統制国家でもあるように、国民を保護すべき「安全国家」は、国外からの脅威を防ぎ、国内の安全を確保しなければならない(森〔2008〕、64頁)。同時多発テロを機に「テロとの戦争」「テロ対策」が唱えられるようになって以来、例外状態は常態化され、国防と治安の境界が消し去られつつある*33。政府は04年12月に「テロの未然防止に関する行動計画」を策定。05年4月の旅館業法施行規則の改正では外国人が旅館などに宿泊する際に旅券の提示による本人確認が求められ、06年5月には前述の入管難民法改正によって外国人の入国に際して顔写真撮影と指紋採取が義務付けられた。バイオメトリクス技術が実用化されるに従って、あらゆる個人があらゆるシーンで位置と行動を同定=捕捉されるようになるであろうことは想像に難くない。今や私たち一人一人の全てが、犯罪者予備軍であると同時にテロリスト予備軍であり、リスク情報として管理されなければならなくなっている*34


リスクが一度認識されたら、後戻りすることはできない。リスクは常にどこにでも存在するため、リスクの管理がアジェンダに上った後には、リスクの不在や危険の軽微さを主張する側にこそ挙証責任が求められるようになる。あなたがそれを立証できないのであれば、安全を確保するために国家が介入することを拒むことはできない(白藤〔2007〕、53頁)。

新しい犯罪学のパラダイムは、犯罪の原因となる病理を治療するよりも、「ただリスクを最小にすることだけを考える」ものだった(ヤング〔2007〕、119頁)。セキュリティを確保するために重視されるべきなのは治療よりも予防であり、過去に遡及するよりも、未来を統御すべきである。「リスクは常に存在するために事前の配慮が国家に求められる」(大沢〔2007〕、5頁)。かくして、国民のセキュリティを確保「しなければならない」国家には、予見されるリスクを排除する「予防原則」に基づくことが迫られる。「個人aが将来、他者の権利を侵害するであろうという予測は、aの基本権を現在制限する正当性を基礎づける」ことを「主張する予防原則の命題は、それを唱えるだけで、確立した憲法学の知見に対する大胆な挑戦を意味する」(西原〔2008〕、76頁)。

この挑戦を基礎付けるのは、安全を「個人の権利自由の行使の前提」として位置付けながら、個人が有する「基本権」としての安全を確保することが「国家の義務」であると見做して「自由の制限は安全の確保のために行われる」のだから正当化し得ると主張する「安全の中の自由」論である(大沢〔2007〕、5頁、白藤〔2007〕、55頁)。いかにもナイーブに見えるこのような主張はしかし、「親密圏/人権」で見たような実質的自己決定の困難なケースを考慮に入れれば簡単に論駁することができるものではないし*35、高度の流動性ゆえの不安にさらされている現代社会においては極めて説得的に響くものであることは想像するに容易い。


かくして挑戦は一定の成果を得て、国家のメタモルフォーゼは進む。安全国家の現代的形態である「予防国家」の登場は、国家役割が社会的/福祉国家的に拡大するに伴って、個人の自律を基礎とする形式的な法の安定性――自由主義的命題――よりも実質的法益としての安全の確保――社会正義の実現――が国家の任務として引き受けられていくことの現れなのである(大沢〔2007〕、5-6頁、白藤〔2007〕、52頁)。たとえ予防国家が全体主義的な傾きを見せたとしても、「安全」――ひいては「安心」――の確保という「正当性」を覆すことができない限り、私たちはその傾きに身を任せるほかないいだろう(ベック〔1998〕、127-128頁)。

まさに危険の増大のゆえに危険社会において、民主主義に対する全く新しい種類の挑戦が生まれる。危険社会は危険に対する防衛のためという「正当な」全体主義的傾向を持っている。この全体主義は最悪の事態を阻止するためによくあることだが、別のもっと悪い事態を引き起こす。文明のもたらす「副作用」は政治的な「副作用」であり、政治上の民主主義体制の存続を脅かす。組織的に生み出される危険に直面して、二者択一の窮地に陥ることになる。民主主義体制が機能不全に陥るか、あるいは、権威主義的で公安国家的な「支柱」によって民主主義の基本原則を失効させてしまうかどちらかを選ばねばならない。このような事態を打破することこそが、当面する未来の危険社会における民主主義的な思考と行動に課せられた基本的課題である。

*1:なお、95年から06年までの間に、地方公務員総数は約28万人削減されている。

*2:人口10万人当たりの認知件数

*3:詐欺や横領などの「知能犯」は、50年前後をピーク(20万件超)として減少を続け、70年代半ばからやや増加するものの、80年代後半以降再び減少局面に入り、6万件前後で推移している(角田〔2005〕、203、207頁)。

*4:99年には神奈川県警での不祥事揉み消しや桶川ストーカー事件での埼玉県警の対応の不手際などが問題視され、警察に対する国民の信頼は一挙に失われた。批判を受けて00年8月、警察改革要綱が策定された。

*5:D.H.ベイリー『ニッポンの警察』(77年)、E.F.ヴォーゲルジャパン・アズ・ナンバーワン』(79年)など。

*6:認知件数が増えれば、検挙件数が変わらなくても検挙率は下がる。

*7:親密圏/人権」で論じたように、公権力に期待される役割が拡大し、警察が介入可能な範囲と程度が拡大したことによる仕事増加に対応し切れないことが、公権力の機能不全として認識され、不満と不安が増幅するという過程がここでは重要である。

*8:92年に警察庁長官が打ち出した検挙率向上の取り組みが影響している可能性もある。

*9:それ以前の流れは以下の様である。76年、警察庁に少年課が新設されるとともに、全国の都道府県警察でも一斉に新設され、予算と人員が付けられた。82年に少年非行総合対策要綱が策定される。84年には風俗営業取締法の全面改正に伴って警察の行政権が拡充され、深夜飲食店などに対して営業禁止権限を盾に時間制限や年少者立ち入り禁止などの規制を指示可能になった(渡辺〔2004-05〕)。

*10:07年5月に再度の改正が行われ、児童自立支援施設ではなく少年院に送致する年齢の下限が、14歳以上から「おおむね12歳以上」に引き下げられた。

*11:80年代における年少少年検挙人員の異常な伸びは、自転車盗の増加が主な原因であろう。

*12:来日外国人≒在日外国人−(永住者+永住者の配偶者等)−在日米軍関係者−在留資格不明の者≒外国人登録者−(永住者+永住者の配偶者等)+90日未満の滞在者+不法滞在者

*13:「その他の外国人」は来日外国人以外の在日外国人、すなわち永住者やその配偶者等および在日米軍関係者などを指す。

*14:ここでの「刑法犯」は、交通関係業過などを除いた「一般刑法犯」を指す。

*15:来日外国人総数は、「外国人登録者−(永住者+永住者の配偶者等)+90日未満の滞在者+不法滞在者」の式によって算出した。90日未満の滞在者は、その年に再入国の許可を得ずに出国した90日以内に出国した外国人の数を用いている。不法滞在者は、不法残留者・不法入国者・不法上陸者を合計して算出している。資料は、「統計」@入国管理局、総務省統計研修所〔2008〕、などを参照した。

*16:90日以内の滞在者数を日割で圧縮することによって1年当たりの実質滞在者数を算出する方法を採る論者もいるが、外国人登録者とて1年間滞在すると決まっているわけではないので、そうした方法が正しいのか、私には解らない。

*17:議論の詳細については「刑法39条を擁護してみる」を参照。

*18:中には、路上喫煙やつきまとい、ペットの糞尿についての規制にまで対象が拡散する例もある。「生活安全条例」研究会編〔2005〕、10頁。

*19:治安共同体化によって不審者視される可能性が高いのは、フリーター、ニート、ホームレス、移民、外国人、障害者などであり、彼らは後述する犯罪リスクが高い(と見做される)層と重なっている。

*20:私の家の近くにある小学校の門扉には、「公衆道徳を見つめる防犯カメラ」なる文句が掲げられている。語義矛盾が矛盾と感じられない程に、モラルに反していることは既に犯罪を意味しているのだ。

*21:強調は原文傍点。以下同じ。

*22:こうした考え方を象徴するのが今や有名になった「割れ窓理論」である。簡潔な紹介は、浜井・芹沢〔2007〕、162-163頁を参照。

*23:「行動計画」では、「国民が自らの安全を確保するための活動の支援」とともに「犯罪の生じにくい社会環境の整備」を強調して掲げており、環境犯罪学が当局に大いに取り入れられていることが分かる。

*24:環境犯罪学においては、単に物理的環境(アーキテクチャ)の設計に留まらず、地域の団結心や防犯意識を高めるなどの「人的環境」を整備することも犯罪機会を減少させるとして奨励される。

*25:06年末時点での平均収容率は115%(法務省〔2007〕、第2編)。

*26:gated communityとリバタリアニズム」を参照。

*27:99年に通信傍受法が成立(00年8月から施行)。同年には、住民基本台帳法が改正され、住民基本台帳の電子化が定められた(02年8月に第一次稼働、03年8月に第二次稼働)。

*28:犯罪に強い社会の実現のための行動計画では、携帯電話やカーナビゲーション装置による位置情報の発信を防犯・防災に役立てる取り組みが挙げられている。

*29:なお、少なくとも01年以降、国会の外周などにカメラが設置され始めていると言う。小笠原〔2003〕、74頁。

*30:客観的事実に反して体感治安が悪化している事態を「非合理」と言って笑って済ませることの愚昧さは、ここからも明らかである。体感治安の悪化を訴える市民は、そうした不安も感じずに生活したいという価値観を表明しているのであり、他方、事実を重視する人々は、統計的な悪化が認められないならば生活上の不都合は存在しないはずである(事実に見合わない不安は社会的対処に値しない)との価値観を表明しており、両者は同レベルに位置する。ここでは異なる価値観が衝突しているに過ぎず、どちらかが正しいとか間違っているなどということが一義的に決定できるわけではない。結局のところ、社会的に何を問題と見做してどこまでの対応を為すべきかの判断は、何らかの形での政治的決定に委ねられるしかなく、科学的合理性によって自動的に解が出るものではないのである。また、リスクは一般的・統計的に測定されるものであり、本来ゼロにすることはできないために政策的にはコストに応じた対処が求められるべきであるが、一人一人の当事者にしてみれば自分や身の回りの被害や危険が全てであって、その領域においてリスク・ゼロが求められがちである(中西〔2004〕、100-101頁)。ここにリスクへの社会的対処の困難がある。

*31:例えば05年に発覚した耐震偽装問題を契機とする建築基準法の改正がそれに当たる。

*32:また、一方では自己関係領域をコントロールしたいと言う欲求は高まっているのに、同時に不確実性が高まっていることによってリスクが大きく感じられるため、リスク低減の求めが強まっている。

*33:92年には暴力団対策法が、99年には組織的犯罪処罰法が制定され、03年には、組織的犯罪を計画段階から取り締まり対象とする「共謀罪」を新設する法案が国会に提出された。同法案は二度の廃案後、06年に修正を経て再提出され、継続審議中である。

*34:同時多発テロは個人のエンパワーメントによって可能になり、その遂行によって個人の地位を更に高めた。私たちにとって光栄なことに、「テロとの戦争」――非対称な戦争――においては、たった一人の個人が国家の対等な敵と見做され得る。

*35:この意味で、「安全なくして自由なし」との主張は、自由主義から逸脱するような命題でありながら、紛れもなく自由主義から生まれ出てきたものであるとも言える。