情況と理想


情況 2009年 06月号 [雑誌]

情況 2009年 06月号 [雑誌]


『情況』の最新号に千坂恭二という方がシュティルナーについて書いています。これは、いわゆる「マルクスシュティルナー」が語られる際の議論水準に比すると割と良い内容なので、読まれてよいと思います。私自身も、ある筋に対してシュティルナーを語る際にはどういった文脈を踏まえて見せればいいのか、という点について勉強になるところがあるような気がします。

この千坂という人は、70年代の第一期『情況』にもシュティルナーについての論文を書いておられる方で、ヘーゲル左派研究や初期マルクス研究の近辺では最もまともな部類のシュティルナー理解をお持ちです。人物詳細を知りませんが、廣松的な立場とは距離を置いていますし、かといってフォイエルバッハに入れ込んでいるわけでもない、なかなか面白い人みたいです。

『情況』では佐藤優の連載に『ド・イデ』を扱っている関係でシュティルナーの名前が出てくるようですが、ちゃんと見ていないので、よく分かりません。どっちにしろ『情況』には名前だけチラチラと出てくることが多いのです。だから退屈だなぁと思いながらも、一応新しい号が出たらパラパラとめくってみないわけにもいかない。今回みたいに正面から扱った論文が載ることは滅多にありませんが。


それから『理想』の方では、滝口清栄が最近書いているようです。この方もヘーゲル左派研究者の中ではシュティルナーを扱う頻度が高い書き手で、やはり理解の水準は比較的良好です。

しかしながら、千坂にしても滝口にしても、従来書いている書き手がまた書いたな、というだけのことで、特に新鮮味があるわけではありません。最近の風潮の中ではシュティルナーに関心を持つ人も増えていくかもしれませんが、今のところ新しい書き手はほとんど見当たりませんね。法哲学の方では住吉雅美以降、誰か出てこないのでしょうか。


海外ではどうなのかな。今年も折り返し地点に差し掛かるし、そろそろ英語圏だけでも渉猟し始められたらいいな、と思っている今日この頃です。