エドマンド・バーク『フランス革命についての省察』抜粋


フランス革命についての省察〈上〉 (岩波文庫)

フランス革命についての省察〈上〉 (岩波文庫)

フランス革命についての省察〈下〉 (岩波文庫)

フランス革命についての省察〈下〉 (岩波文庫)


 この王家を特定して継承を認めた法律は、ウィリアム王第十二年、十三年の法である。この法律の条項は以前に我々をウィリアム王とメアリ女王の子孫に結びつけてきたあの権利宣言と全く同じ文言のもとに、「我々とその子孫ならびに後継人を、彼らとその子孫ならびに後継人」がプロテスタントである限り、未来永劫にわたって結びつける。それは、世襲的な王冠と世襲的な忠誠の両方をひとしく確保する。民衆の選択権を永久に排除する、この種の継承の確立を目指す立憲的政策以外のどんな理由にもとづいて、この時の立法府は、我々自身の国土が彼らに提起した広範かつ有望な選択権を入念に拒絶して、今後我々の将来の統治者の王統が長い時代にわたり何百万の国民を統治する資格をその母胎から引き出すべき外国の王妃を、わざわざ異国の地に探し求める手数を費したであろうか?


(上巻48-49頁。イタリックは原文傍点。以下同様)


 かくして我々の自由は、過去に一度危機に瀕したにせよ、あらゆる大権と特権をめぐる抗争の嵐の中でもその都度保持されてきた。彼らの見通しは的確だった。実際に我々は、この世襲的王冠以外のいかなる手順、もしくは方法によっても、我々の自由が我々の世襲的権利として正規に恒久化されて神聖に保持されうるとは、経験から学ばなかった。不正規な突発的病気の退治のためであれば、不正規で突発的な対策も或いは必要とされるだろう。だが継承なる方針こそは、ブリテン憲法の健全な習性である。[中略]――彼らはこの種の外国人の統治が生み出すであろう弊害を、充分に、否、充分過ぎるほど正しく理解していた。だが彼らは、それが外国人の家系となることの危険性と不都合のすべてが予想されて彼らの心に多大の影響を及ぼしたであろう状況下で、なお敢えて世襲にもとづくプロテスタント継承たる旧来の方針の採用を堅持した。名誉革命の原理は、古来の統治の基本的原理への配慮抜きで、好き勝手に自分の手で国王を選ぶ権利などをブリテン国民に与えなかった、という彼らの深い確信を表わす決定的な証拠として、これ以上に有無を言わさぬ事実はありえない。


(上巻50-51頁)


 先へ進む前に、私はここで貴下の許しを得て、選挙を王冠への唯一合法的な資格と喧伝する徒輩が、我が国の憲法の正当な原理への支持を多少とも厄介な課題へと仕立てる魂胆から好んで提起する二、三のけち臭い策略について一言したい。これらの詭弁家は、我々が王冠の相続に関する属性の擁護に乗り出す場合には、あたかも我々が肩入れしていると想像される架空の大義や偽りの人物を必ずや持ち出してくる。つまり彼ら一味の常套の手口は、彼らが、「王冠は神聖で不可侵な世襲的相続権によって保持される」と言う、今日では誰一人として主張しない言説を以前に唱えていた一部の時代後れの奴隷制の狂信的支持者を相手に論争しているかのように見せかけることである。これら一個人の恣意的権力の旧套な熱狂家は、ちょうど我々の民衆の恣意的権力の新しい熱狂的な信者が、民衆の選挙を権威の唯一合法的な源泉であると主張するのと全く同様に、世襲的な王統が世界で唯一合法的な統治であるかのように、独断的に立論してきた。事実、これら旧時代の国王大権の熱狂家は、愚かしくも、また多分不敬にも、君主政体がまるで他のどんな統治形態よりも一層多く神による裁可を得ているかのように思弁してきた。その結果、この相続による統治権は、たまたま王位継承の権利を持つどんな人物、どんな状況であっても厳密に破棄不可能となるが、そのような個人的政治的権利なるものは最初からありえない。


(上巻52-53頁)


 確かに社会は一つの契約である。従属的で単なるその場限りの利益のための契約は、任意に解除されてもよいだろう。だが、国家は例えば胡椒やコーヒーの、キャラコや煙草の取引やその他の卑俗な用途の物品のように、細かい一時的利益のために締結されて当事者の意向一つで解約される程度の共同事業協約と考えらるべきではない。それは、別種の崇敬の念でおのずと仰ぎ見らるべきである。事実、これは一時的な壊れ易い本性の粗野な動物的存在に資するに過ぎない物事の共同事業では断じてない。それはあらゆる学問、あらゆる芸術の共同事業、すべての美徳、すべての完徳における共同事業である。この種の共同事業の目的は、数多の世代を経ても達成されないから、それは単に生きている人々の間のみならず、現に生きている者とすでに死去した者や今後生まれる者との間の共同事業となる。個々の特定国家の個々の約定は、永遠な社会の偉大な原初契約の単なる一条項に過ぎない。それらは下位の本性を高位のものと、可視の世界を不可視の世界と連結して、あらゆる物理的本性とあらゆる精神的本性をその定められた場所に配置する不可侵の制約が裁可する、確乎たる盟約に依拠している。それ故に人々は、自己を遥かに越えた高次の義務にもとづいて、彼らの意思をこの法に従属させる責任を有し、決してこの法を彼らの意思に従属させてはならない。同時にこれら普遍的な王国内の自治的な団体も、彼らの気まぐれ一つで、偶然的な改善の思惑にもとづいて、任意にその従属的共同体の紐帯を残らずずたずたに切断して原始的要素の非社会的で粗野な個々ばらばらの混沌へと解消する真似は、道義的に許されない。


無秩序への復帰を辛うじて正当化しうるのは、選択されるのでなく選択する第一の至高な止むなき必然性、如何なる考慮をも超越して一切の論議を許さず、何一つ証拠を要求しない非常事態だけである。この最終的な必要性は、決して規則への例外ではない。何故ならば、この止むをえない必要性そのものが、合意と強制の区別なく人間が服従せねばならぬ、事物のあの道徳的物理的な配置の一部を形成するからである。もしもこれと逆に、必要性への単なる服従に他ならないものが選択の対象にされるならば、法は破壊されて自然な人情は無視され、その結果これら叛乱分子はこの理性と秩序、平和と美徳、そして稔りある悔悟の世界から狂気や不和と悪徳、そして詮ない悲嘆という対照的な世界へと法外化され、追放され、配流される。


(上巻177-178頁。一部改行を加えた)


 人間の道徳的な条件や傾向を入念な正確さで追跡する古代の共和国の何人かの立法者によるこの有能的な配置とは正反対に、彼らは、自分たちが君主政体の質朴で粗野な組成の下にさえ見出した、あらゆる身分階層を残らず平準化して圧殺した。実はこの種類の政体では、市民たちの分類は共和国におけるほどには重要でないにせよ、これらの個々の分類は、もしも適正に配置されればあらゆる統治の形態で有効であり、これは共和国に効力と永続性を与える必要な手段であるのと同程度に、過度の専制への強力な歯止めを間違いなく形成する。この種の何かが欠如しているために、もしも現在の共和国の計画が失敗するならば、適度に抑制された自由のあらゆる保障もそれとともに消滅するだろう。専制政治を緩和するすべての間接的な抑制は消滅して、その結果、今後万一にも、現在もしくはそれ以外の王朝による君主制が再びフランスを完全に支配する事態にでもなれば、それは、発足に際して、君主の聡明で有徳な助言によって自発的に和らげでもされない限り、恐らく歴史上未曾有の完全な恣意的権力となるであろう。これは全く絶望的な賭事を弄ぶにひとしい。


(下巻95頁)


私は、我々の幸福な状態が我々の憲法に由来すると確信するが、それは、これの単一な特定部分でなくてその全体に、つまり、我々が変更もしくは追加してきた要素と並んで、我々の何度かの点検と改革の際にも敢えてそのまま保存してきた要素に大部分由来している。我が国民は、彼らが保有する財産を侵害から防衛するための真に愛国的な自由で独立的な精神を、今後も充分に発揮するだろう。私は変更を必ずしも排除しない。だが、変更を加える場合にも、それは保存のために行なわるべきである。私は非常な苦痛に接して初めて、私の救治策を講ずるだろうが、それを実際に行なう場合にも、私は我が祖先の手本に見習いたい。私は、補修を加える場合にも可能な限り旧来の建物の型に似せて行ないたい。賢明な用心、周到な用意、気質的というよりも道徳的な臆病心等々は、我々の先祖が彼らの最も決然たる行動に際して依拠した原理の一つであった。


(下巻199-200頁)