現代日本―ポスト福祉国家


2005/05/01(日) 17:12:26 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-56.html

余裕があるときにもう一度まとめて考え直す為の整理。


希望格差社会
階層化=大衆社会の到来
サンヘドリンの法理
ニーチェとオルテガ 「貴族」と「市民」
以上、@内田樹の研究室。


何かが違う!
自己肯定の自画像
希望格差社会
誤読ではないともう一度考える
センセーそれはあんまりじゃございませんか………その1
以上、@祭りの戦士。


新自由主義改革(渡辺治)や個的社会論(高田一夫)や学力低下ゆとり教育論争、島宇宙化(宮台真司)や環境管理型権力東浩紀)、メタ・ユートピア(ロバート・ノージック)などを頭にめぐらしながら、色々と考えるところはあるわけですが。
ここにさらに、各所でホット・イシューとなっているニート・フリーター・引きこもり論争なども加わってくるわけで、この問題を考えることは日本社会およびポスト福祉国家世界の現状と未来を総合的に考えることを意味しますねぇ。
とても容易に扱えるものではないです。しかし、それが同時代社会論を語る者の宿命であって、この困難は不可避的に引き受けなければなりません。


あまりに多様な条件が錯綜し、左右対立の枠組みは雀の涙程にしか役に立たない為、各テーマで呉越同舟や分裂が複雑に発生するはめになって、全体的にめんどっくさい混乱をきたしています。
こうだ、いやそうじゃない、と語る人達は、それぞれ違うことを語っているようで、同じことの別の側面を語っているように過ぎないようです。全てを解りやすく整理してしまうことは不可能であり、また安易にするべきことでもないように思います。


唯、回顧的にならず、夢想的にならず、何物も無視・捨象することなく冷徹に現状を見つめ、有り得べき理想も確認しつつ、どうすべきか、どうしないべきかを探りましょう。

コメント

ちょっとだけ考えた
araikenさんは、内田さんは「競争社会」を問題にしていないと言って批判しているけど、そうじゃないと思う。
内田さんが、皆が望んだからこうなった、と言っているのは何も競争社会のことだけではなくて、個人の自由や諸権利を認めるとか多様な価値を保護するとかということで、そういったものを望む個人とそれを保障する国家がそれぞれ浮き上がり肥大化してきたことを示している。
競争社会は資本の要請によるもの、という見方は一昔前の印象が拭えず、そういう前フーコー的な権力観、被害者的捉え方では十分でない。仮に競争社会のきっかけをつくったのが資本の要請だったとしても、それに乗っかって利益を享受したヒトが大多数なわけで、この共犯性を見つめるとともに双方向的権力観を抱いておくことが不可欠。
(あんまり丁寧には読んでいないので、誤読がかなり有り得ます。お叱り下さい。)
新自由主義後は、中間諸団体の瓦解と一層の権利保護(例えばプライバシーとかね)が加わって、個人と国家の二者関係という構図はますます強化された。個人はますます国家への依存を強めていき、新自由主義のスローガンとは裏腹に実は国家の潜在力は肥大化する一方。この状況を読み解くには、上記以外にオーウェルフーコープルードン森岡正博が役立つでしょう。
2005/05/01(日) 22:21:07 | URL | きはむ #- [ 編集]


ちょっとといわずもっと考えて
きはむさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
お若いのによく勉強なさってるようで驚きです。私の方は、フーコーすら読んだことがなく(読まなきゃいけないよな〜って思ってるんですが)、ちょっと、きはむさんのコメントにどう答えたらいいかもわかりません。
ただ、なんかちょっとズレを感じるなあ、ってのはあります。たとえば、(私の方に書き込んでくれたことですが)「競争」社会そのものを問題にするってことは、なんら社会の土俵から離れた議論ってことにはならないと思うんですよね。


ま、そのへんのことを含めて、これからも内田批判をねちっこくやってきますので(笑)、気になることがありましたらどんどんコメントいただけるとうれしいです。
2005/05/02(月) 03:24:50 | URL | araiken #gdfzbshI [ 編集]


いいわけ
失礼をば、致しまして。ご丁寧なお返事ありがとうございます。
断片を聞きかじったものをフル稼働して書き散らしているハッタリですので、あまり勉強はできていません。フーコー本人の著作もまだ読んでいませんので、雰囲気で書いてます。
私が言いたかったのは資本・国家の思惑と労働者・個人の利己心が合致して相互作用が働いたところにこそ(大雑把な意味での)権力が出現するのだという視点が必要だということで。
競争社会そのものを問題にするのは私も全く問題ではないと思いますが、そうした競争社会やその他のあらゆる現状は、各個人の利己心(それ自体なんら悪いものではない)や要求から望まれた結果導かれたものだという認識は必要不可欠です。そうしたものを望んでしまう「弱い個人」である私たちの現実を無視・捨象しては社会のことを語ることはできないし、してはいけないというのが私のポリシーでして。
だから内田氏擁護も多分に自分の視点から強引矢の如しに行った可能性が高いです。実際内田さんがどういう意図だったか明確ではありません。同様に、araikenさんに以上のような視点が欠けているかどうかもよくわかりません。
改めて読み直してから出直しすことができればと思っとります。

2005/05/02(月) 13:19:38 | URL | きはむ #- [ 編集]


追加
センセーそれはあんまりじゃございませんか………その2
http://araiken.exblog.jp/1896985/
@祭りの戦士
「降りる」ヒト、自称「中道」のヒト
http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-31.html
大衆、市民、もっと別の無いの?
http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-34.html
@此処
2005/05/03(火) 13:41:28 | URL | きはむ #- [ 編集]

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解釈について考える http://tamanikan.exblog.jp/519675


祭りのあと―世界に外部は存在しない http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070121/p1