神と正義について・1


2006/07/17(月) 16:47:13 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-249.html

相対主義的民主主義


思想はすべからく相対的であり、神々は延々と争って止めない。このような世界でも神や正義について未だに真剣に考えている人々がいる。せっかくだから少し彼らの背中を追ってみたいと思う。さしあたり、私とあなたが今居る地点、相対主義を出発点としよう。例えば、代表的な価値相対主義者であるハンス・ケルゼンは、次のように述べている。


人知の歴史が、われわれに、何物かを教えることができるとすれば、それは、合理的な方法で、絶対的に有効な、正しい行動の規範、つまり、反対の行動も正しいものとする可能性をなくしてしまうような規範を発見しようという努力が空しいものである、ということである。もし、われわれが、過去の知的経験から、何物かを学ぶことができるとすれば、それは、人間の理性が、相対的な価値しかとらえることができないということ、つまり、何物かを正しいとする判断は、決して、それと反対の価値判断の可能性を排除する資格がない、ということである。
(ハンス・ケルゼン「正義とは何か」宮崎繁樹訳、『ケルゼン選集』第3巻、木鐸社、1975年、45頁)


絶対的真理、絶対的価値の認識可能性を否定するケルゼンは、相対主義の立場から民主主義を帰結し、それを彼自身の「正義」として選び採る。


 絶対的真理と絶対的価値とが、人間の認識にとって閉されているとみなす者は、自己の意見だけでなく、他人の反対の意見をも少なくとも可能であるとみなさければならない。この故に相対主義は民主主義思想が前提とする世界観である。デモクラシーは、あらゆる人の政治的意思を平等に尊重する。どんな政治的信念でも、どんな政治的意見でも、その表現が政治的意思でありさえすれば、同じように尊敬する。
(ケルゼン『デモクラシーの本質と価値』西島芳二訳、岩波文庫、1966年、131頁、傍点を省略)


あらゆる政治的意思を平等に尊重すると称する民主主義そのものが有する政治性(それはケルゼンが明確に認識し示唆しているところでもある)については後に検討するとして、ここで確認しておきたいことは次の点である。すなわち、以上のように相対主義から帰結され選び採られた民主主義は、必然的に多数決原理を良い=正しいと考える価値理念としての性格を帯びる。民主主義者は人々が自己決定によって自由を実現することを願う。だが、政治的共同体のメンバー全ての意見が平等に扱われねばならず、かつ全ての意見が一致することはおよそ想定し難い以上、民主主義者は「できるだけ多数の人間が自由である」ような仕方で満足しなければならない(同、39頁)。


ケルゼン的民主主義の立場―そしてそれは私も含めて現在多くの人々が共有する支配的民主主義観でもあるのだが―を敷衍して多少厳密に述べればこうなる。対等なメンバー間による討論と投票によって「人々の意見が対立する問題、しかも社会全体として統一した決定が要求される問題について、結論を出す」政治的決定方式および政治体制が民主政であり、そこでは自由で平等な個人の自己決定権をできるだけ多く実現する多数決方式がしばしば用いられる(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』ちくま新書、2004年、39頁)。両者は形式上相互に独立のものだが、民主政が政治的権利の平等を基礎にしている以上、多数決原理との結びつきは必然的と言える。そして、全てのメンバーの参加可能性を確保した上で多様な政治的意見を平等に扱うために民主政を良いと考え、各個人の自己決定権をできるだけ多く実現するために多数決原理を良いと考える価値理念こそが民主主義にほかならない。したがって、民主主義にとっての正しさが質的ではなく量的なものであるのは必然である。


ここまで明確に意識するかどうかは別にして、読者の多くも大まかに言ってケルゼン的意味での民主主義観を共有し、これを支持するだろう(私は支持はしない―「利害関係者による討議と決定」第3章第2節参照)。だが、同じように民主主義を支持しながらも、このような相対主義的民主主義観を共有しない人々が少なからず存在する。そのような人々にとっての民主主義は、相対主義的民主主義以上の何かであり、民主主義の正しさは量的ではなく質的なものに求められるだろう。おそらく彼らの民主主義観は、ケルゼン的な価値相対主義を拒むところから発している。われわれにとって避けがたいものに思える相対主義を乗り越えて、何らかの正義の可能性を切り開こうとする立場。こうした立場は一様ではないが、次回は、その一例について検討を加えてみよう。(続く)




神と正義をめぐる議論のいくつかを整理・分析する。不定期連載予定。


正義とは何か (1975年) (ケルゼン選集〈3〉)

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デモクラシーの本質と価値 (岩波文庫)

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憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

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