倫理つれづれ話


2006/10/06(金) 19:49:59 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-282.html

http://d.hatena.ne.jp/dojin/20060923#p1


上でのコメント欄のやりとりをぼんやりと読みながら思い巡らしてみて、私に言える程度のことを書いてみる。


まず、cruさんの「あらゆる所作が決まっている世界というのはラクチンで落ち着きます」という言はすごくよく解る。私がずっと前によく考えていたことでもある。宮台的に言うと、「終わりなき再帰性」に対する「終わりある再帰性」となるのだろうか。絶え間ない流動性再帰性はしんどいからどこかでそれをストップして、よりかかれる対象をつくっておく。で、どこかで流動性(自由=自己決定)をストップする選択を可能にするためのメタ的な自由=自己決定を可能にするインフラを整える、と。ま、別に宮台的に言う必要はないんだけど。


これは個人レベルの話だけど、社会レベルに拡張すると、社会を運営するための制度や規範そのものについての決定をどのように行うか、という話になるのかな。私は政治的な合意形成しかないと思うし、一般世間的に考えてもそうだろう。それが討議デモクラシー的になるかどうかはともかく、政治的な合意形成を可能にするシステム自体についての決定を可能にするのは政治的な合意形成以外にないだろう。この点については『論座』先月号の杉田敦の書評を再度参照せよ。


少し論点を移動して、議論の本筋になっている優生学などについて若干。とりあえず、ピーター・シンガー『実践の倫理』新版(山内友三郎・塚崎智監訳、昭和堂、1999年)


苦しみを感じる能力――より厳密に言えば、苦しみを感じ、かつ快楽または幸福を感じるか、そのどちらか一方を感じる能力――は、言語能力や高等数学の能力のような他の性質とは違うのである。(中略)何かを苦しんだり楽しんだりする能力は、そもそも利益を持つための不可欠の要件、つまり利益を云々することが無意味にならないために先ず満たさなければならない条件である。路上で小学生にけとばされることは石の利益ではないなどと言うのは、無意味であろう。石は苦痛を感じることができないのだから、石に利益などはない。石に対して何をしようと、石の福祉にとって何の違いもないであろう。他方、苦しめられないということにマウスの利益が確かにあるのは、もし苦しめられれば、マウスたちは苦痛を感じるからである。[70頁]


有名な動物解放論の一節。シンガーは動物にも人間と平等の「配慮」(「扱い」ではない)を、と言うが、その範囲は感覚能力を持つ動物に限られる。けれど、その根拠は大して説得的なものではない(と私は思う)。感覚能力が欠如していれば自動的に(狭義の)「利益」を持たないことになるとは思えないし、(狭義の)「利益」を持たないからといって「配慮」をしなくてもいいことになるかどうかも疑問だ。現実に「自然の権利」を云々する人々や人間以外の生物・無生物に深く共感する人々がたくさんいるように、「配慮」すべき対象の範囲は無限に広げていくことができる。「配慮」の中身など、細かい話をしようとすれば色々複雑ではあるが、基本的にはどんな存在でも当該社会のメンバーという意味での「ニンゲン」に含むことは可能だ。その上で実際に誰/何をメンバーに含めるかは政治的な決断でしかない。


そういうふうに私は一種割り切っているので、規範の具体的な中身については正直あまり興味が持てない。シンガーなどは感覚能力はじめ、どこに境界線を引くべきかについてグダグダといろいろなことを言っているがどれもどうかと思う。もちろん私もそういう倫理学的な規範的議論の重要性を否定しないし、五十歩と百歩を区別することはTPOに応じて必要だと思うが、結局「主観」や「経験」に基づいた政治的決断が決定を下すんだよな、という思いが常に先に立つ(もちろん政治過程には規範的議論も影響を及ぼすわけだが)。だからずっと前から倫理学的な議論はその筋の人に任せている。特に生命倫理について言えば技術の進歩がその分野にもの凄く大きな動揺を与えるわけだが、この点についても私はほぼ諦めている。使える技術があれば人は使いたがるし、その内慣れる。技術に慣れるとそれに応じて倫理や規範も変化していく。臓器移植なんかもその典型で、臓器を売買して何が悪いの?と普通に言う人々がこれからどんどん一般的に増えてくるのではなかろうか。


ネオコンニヒリズムと呼ばれても別に構わないが、実際政治的に決定する以外ないのだから、理論上はどこに線を引いても同じなわけだ。だから、例えば動物の権利や優生学に関して政治的な主張をするとすれば、ヒトであることだけを以て社会のメンバーと見做すべきで、ヒト以外にヒト同様の「配慮」を与える必要は無い(翻ってヒトは平等に「配慮」されるべきだ)、と私は言うだろう。そういう意味では私も人間中心主義者だし、種差別主義者だ。理論上は動物解放論者などに一定の正当性を認めつつ政治的にはその主張を握りつぶす(道徳的正しさを追求しようとすればヒト以外の生物・無生物にも「配慮」すべきなのは当然であるから、私達は自らの生のために「正しさ」を部分的にとはいえ断念することになる)。


この辺で冒頭の方の話とも繋がる。ここでの政治的合意のグロテスクな部分を敢えて言えば、それは動物や自然にヒト同様の価値を感じている人々が身を引き裂かれるような思いをすること(あるいは当然動物や自然そのものの身を引き裂くこと)を多数者の暴力によって継続させることであり、「医療や介護など社会保障や再分配」などの対象の基準を当事者・関係者の意に反しても暴力的に画定することである。政治は排除と同義であるから、排除された者にしてみれば自らを排除した者たちによる合意などクソクラエだろう。それでも私たちは政治から逃れられないから、政治的なるものへの意識を常に保っておくべきだし(政治参加しろということではない)、合意の精度を上げる工夫を凝らしていくべきなのだ。何だかいつも同じような結論になって申し訳ないが、うん。


ところで「コミュニケーション可能」かどうかという点で一つ思ったのだが、コミュニケーションが誤解(誤配)可能性によって担保・継続されるとすれば、理論上は何を相手にしてもコミュニケーション可能ということになるのかもしれない(もちろんここで問題になっているコミュニケーションはもっと狭い意味が主だろうが)。実際、第三者から見ればホントにコミュニケーションできてんの?と思うようなコミュニケーションもあるわけだから。例えばシャープペンを指で回している男が「俺はこのペンとコミュニケーションしているんだ」と言ったとして第三者がそれを否定できるだろうか、などと考えるのはぶっ飛びすぎだろうか。この辺りは完全に勉強不足なので、何か面白い議論があればどなたでもご教示くだされば。ハーバーマスでも読むか。それよりも分析哲学系かな、これは。


実践の倫理

実践の倫理

コメント

トラバどうも。何も教示できませぬが、大方そういうことなのかな、と思いました。


>動物解放論者などに一定の正当性を認めつつ政治的にはその主張を握りつぶす


となると今度は、規範的正当性と政治的合意可能性との関係について、もう少ししつこく考えることはできないのでしょうか?何が規範的に正当であり(現在、または未来に)政治的に合意可能なのか。何が規範的に正当であるにもかかわらず(現在、または未来に)政治的に合意不可能なのか。これはある種の実証研究になるのでしょうかね。


コミュニケーションに関してはおっしゃるとおりで、私はヘッセの「シッダールダ」を思い出しました。ストーリーは完璧に忘れましたが、最後のほうで彼は「一つの石を私は愛することができる」(高橋健二訳P153)と長々と語っております。私は全くわかりませんが、きっと仏教やアミニズム系では馴染み深い発想だと思いますので、そちら方面を当たればよいかと笑。


でもほんと、シンガーの上記の推論の仕方にはある種の人はまったく共感しないでしょう。何がだめなんでしょうね。
2006/10/07(土) 01:22:56 | URL | dojin #- [ 編集]


どうもどうも。


個人的には「道徳的直観」と言うのか、世間一般の多数派がどういう場合に規範的な「正しさ」を感じるのかという部分に注目したいと思っています。意識と言うのか、経験的感覚と言うのか。それはあくまで事実的なもので、非常に流動的ですけど、合意可能性はそれに支えられるわけですからね。


でもそれをどう取り出すのかは難しい。私も方法論を模索しているところです。事実的なものは社会単位でも異なりますから比較研究なども必要でしょうし、まさに実証研究が要請される段階が必ずあるでしょう。あるいはもちろん、(こちらを想定されているのかもしれませんが、)規範的正当性と政治的合意可能性の間に横たわる実行(不)可能性のレベルでは実証研究が必須でしょうね。
2006/10/07(土) 16:56:06 | URL | きはむ #- [ 編集]


追加して言うと、その「道徳的直観」の領域に原理的には別のものであるはずの実行(不)可能性(についての感覚)が入り込んで影響を及ぼしてくるわけですよね。ややこしい。
2006/10/07(土) 16:58:57 | URL | きはむ #- [ 編集]


最近『行動経済学 経済は「感情」で動いている』光文社新書という本を途中まで読んだんだけど、人間の規範意識や公正観に関する実験はすでにいろいろ行なわれているみたい。参考までに。
2006/10/08(日) 00:02:31 | URL | dojin #- [ 編集]


ありがとうございます。見てみます。
2006/10/08(日) 14:04:41 | URL | きはむ #- [ 編集]