公共性の再転換をめぐって


2006/12/06(水) 21:02:28 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-298.html

恥ずかしながら、レポートから流用してみる。ハーバーマスの書評など本来恐れ多いし、後半に関わっては政治思想史と民主主義理論史をもう一度しっかり勉強し直す必要がある。統治機構と政治過程論の勉強もしなければ。ところで、ステークホルダー・デモクラシーというのは何モデルになるのだろうか。色々突っ込んでくだされば嬉しい。




ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』第2版(細谷貞雄・山田正行訳、未来社、1994年)


1.公共性の構造転換
 近年の政治学社会学において、市民社会論および公共性論は一種流行の様相を呈しているが、そうした議論における準拠点の一つとして大きな役割を果たしているのが、J.ハーバーマスの『公共性の構造転換』(1962年)である 。今や20世紀の古典として扱われる本書は、近代国家成立期から第二次大戦後の福祉国家体制確立期までの、国家と市民社会との関係性の変容を鮮やかに描き出している。
 近代的な中央集権国家は、封建的諸勢力から国王へと権力が収斂され、公権力の一元化が進むことによって成立した。国家権力は、重商主義政策に象徴されるように、市民の経済活動へ積極的に関与していく向きを強めたため、従来私的なものとされてきた経済活動に公共的な性格が付加されるようになる。これが公権力と私生活との間に在るものとしての市民社会の芽生えであり、H.アレントが言うところの「社会的なるもの」の誕生である(ハンナ・アレント『人間の条件』(志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年)、59頁以下) 。
 ハーバーマスによれば、新聞などメディアの発達が公権力による情報発信の受け手としての公衆を形成し、諸自由および財産権の保障といった基本権体系の確立が彼らの私的自律と公的参加に制度的保障を与えた。こうして17世紀から18世紀にかけて、英仏独などの西欧諸国では公論による公権力の制御可能性が育っていったとされる。
 とはいえ、当時の公衆を構成していたのは財産と教養を持ち合わせたブルジョワのみである。カフェで政治談議に没頭したり、読書会を催したりすることが可能であるような一部の市民だけがこの時代の市民的公共性の担い手であり、公権力を制御する公論とされるものは、彼らの利害関心だけに基盤を有していた。「市民」の範囲の限定性と、その内部の同質性の高さこそが、現代からしばしば羨望の視線を向けられる積極的な政治参加を支えていたのである。
 しかしながら、時代が下って次第に社会内の階層分裂がより深刻さを増して受け止められるようになってくると、従来の「公益」が有産者の特殊利害の集積にすぎないことが暴露され、「市民」の外からの異議申し立てが激化する。こうして公衆の範囲は拡張されていくが、その際、社会内の分裂が公論の中にもそのまま持ち込まれることになった。かつての同質性――A.スミスに「共感」による秩序形成への楽観的な期待を抱かせる背景となった同質性 ――は姿を消し、敵対性が公論を支配するようになる。社会内の利害の衝突は政治の場にも持ち込まれ、利益調整の役割を担うようになった国家は、社会圏への介入を強めていく。その結果、国家と社会の境界線が曖昧さを増してくると同時に、公衆は公論形成の担い手としてよりむしろ、公権力による保護と分配の受け手としての性格を強め、メディアの商業化も手伝って消費する主体へと転化していく。かつての担い手を失った公共性はこうして構造転換を遂げ、公権力を制御する市民的公共性は公権力による操作的公共性に取って代わられるようになったのである。


2.再転換の試み
 以上、本書初版の時点でのハーバーマスの議論の概要を見てきたが、その論旨をより抽象的に図式化すれば、「自由主義モデル」の公共性から「自由民主主義モデル」の公共性への構造転換、と言い換えられる。自由主義モデルとは、元々財産を有して自律している一部の市民が、自らの利益を守るために公的空間や政治的舞台へと出かけて行き、理性的討論を通して合意形成を図ろうとする、近代初期の公共空間の姿を表す。一方、自由民主主義モデルとは、政治参加による自律を主張するJ.J.ルソーに代表されるような、より政治的・社会的平等を重視する立場からの自由主義に対する異議申し立てへの対応の結果として生まれた、折衷的なモデルである。このモデルは、政治的平等に基づく代議制民主政を通して、広い意味での福祉国家体制を確立・維持することによって社会経済的平等を一定程度実現しようとする社会の姿を表している。20世紀の西側諸国は、社会民主主義を標榜する政治勢力も含めて、概ねこの立場を採ってきたと考えてよい。ハーバーマスが本書で問題にしたことを簡潔に述べれば、自由民主主義モデルの採用がもたらした介入国家と大衆社会状況が、私的自律と公的参加を困難にしているということに尽きる。
 初版での悲観的な結論に反して、1990年の新版に付した序言では、ハーバーマスは状況の変化についての認識を表明する。彼は70年代以降の新しい社会運動の盛り上がりなどを背景に、従来の「市民社会(bürgerliche Gesellshaft)」とは異なる、自発的結社などを中心とした非経済的な新しい「市民社会(Zivilgesellshaft)」へ期待を寄せるようになったのである。もちろん、ただ期待を寄せているだけではない。この間の、あるいはこの後の彼の仕事は、討議倫理学の構築と討議民主主義の提唱によって、市民的公共性復権を理論的かつ制度的に支えようとする明確な目的意識に貫かれている。それは、自由民主主義モデルの問題を踏まえて、公共的討議への参加によって個人の自律を実現しようとするとともに、討議プロセスによって公権力の正統性を担保しようとする点で、「新しい共和主義モデル」を提示する試みと言えよう(この点につき、大森秀臣『共和主義の法理論』(勁草書房、2006年)が参考になる) 。
 さて、討議民主主義によって公共性の復権を目指すハーバーマスの試みは非常に意義深いものであり、また基本的に支持可能な立場であるが、問題が無いわけではない。とりわけ最大の問題は、政治的無関心を指摘されている大衆を公共的討議に参加するように動機付けることはいかにして可能なのか、という点にある。共和主義者ルソーは、「自由への強制」が答えになると考えた 。旧来型の共和主義者や共同体論者を中心として、現在でも少なくない理論家が基本的にルソーと同様の立場を採るだろう。だが、「手続き」を重視するハーバーマスは、ルソーに連なる共和主義者とは袂を分かつ。それでは、大衆社会下における政治参加への動機付け問題は、いかにして解決が可能なのだろうか。


3.stakeholder democracyという方法
一つの答えは、参加可能性の制度的整備そのものが参加意欲を促進する、というものである。政治的テーマについての公共的討議を重視しながら、道徳的強制を禁欲しようとするならば、基本的にこの立場が採られるであろう。少なくない理論家が禁欲を保ちきれない現状では、まずこの立場を貫徹することによる効果を十分に見極める必要がある。とはいえ、これだけでは対応策として十全とは言いにくいのも確かである。
 それゆえ、もう一つの答えを準備しなくてはならない。それは、経済的・社会的参加を政治的参加への触媒とする方法である。自由主義モデルにおける公共性が有産者の利害関心に基づいていたように、公共性の基礎となるのは私的利害である。私的利害をめぐる公開の討議と合意が公共的利益を見出すのである。価値が多元化した現代において、何が政治的であり何が公共的であるかについては争いが避けられないが、経済的な利害の基準は今なお比較的高い共通性が保たれている。自らの経済的利害に直接関わる討議への参加可能性が開かれているならば、多くの人々が強い参加意欲を持つだろう。こうした個々の地域や場面における経済的利害の争いにおける討議の実践を通じて、より公共的性格が強い討議や政治的決定に関わる討議への参加意欲も高まっていくことが期待できる。
 そうした経済的・社会的参加を考えていくためには、経営学を中心として展開されているstakeholder論が導きの糸になってくれるだろう。stakeholderとは、企業活動に何らかの影響を与える主体および企業活動によって何らかの影響を被る主体の総称であるが、原語には、自らが関係する事象についてリスクを負って主体的に関わっていくという意味合いも含まれている。経営学では、企業の役割を、stakeholderによる企業活動への主体的な関与やstakeholder相互の折衝を調整することに求める議論も有力になりつつあり、そうした議論を地方政治における地域住民と行政機関の関係に置き直して援用する議論もある 。
 政治的領域に限らず経済的・社会的領域における民主主義を要求する議論は長い伝統を持っており、討議民主主義をstakeholderの観点から捉え返すことは民主主義理論史においても十分に意義ある試みであろう。ただ、そうしたstakeholder democracyを構想するには、未だstakeholderという概念の含意と射程は明らかとは言えない。したがって、stakeholderという概念が意味するものを明確にすることが現在必要とされることであり、それこそ私がさしあたり取り組んでいる研究課題でもある。


公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究

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