未来世代の権利と過去世代の権利


2007/06/16(土) 23:15:37 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-346.html

未来世代の権利について少しだけ書いたことがあるが*1、今日は過去世代の権利について少し書こう。と言うより、話題としてこんな議論があるよ、ということで情報だけ書き付けておこう。


せっかくだから先に未来世代の権利について参考文献を書いておく。とりあえず鈴村興太郎編『世代間衡平性の論理と倫理』(東洋経済新報社、2006年)鈴村興太郎ほか編『世代間関係から考える公共性』(東京大学出版会、2006年)の二冊を手に取るのが手っ取り早い。と言うか、私はそれ以外知らない。前者所収の森村進「未来世代への道徳的義務の性質」と、後者所収の宇佐美誠「将来世代をめぐる政策と自我」が必読。過去世代の権利についての議論も含む古典(?)としてはジョエル・ファインバーグ「動物と生まれざる世代のさまざまな権利」(鵜木奎治郎訳『現代思想』第18巻第11号、1990年)。未来世代に対する道徳的配慮義務についての学説史の整理としては、宇佐美誠「将来世代・自我・共同体」(『経済研究』第55巻第1号、2004年)が詳しい。


過去世代の権利ないし死者の権利については、まずファインバーグ前掲論文。それから森村進が『財産権の理論』(弘文堂、1995年)111‐112頁や『自由はどこまで可能か』(講談社、2001年)153‐154頁などで死者の権利を否定している。関連で、森村進「「大地の用益権は生きている人々に属する」」(『一橋法学』第5巻第3号、2006年11月)も面白いかもしれない。これはトマス・ジェファーソンの翻訳とコメントからなる論文で、立憲主義への考察も含んでいる。学説の整理などの面で参考になるのは、宮崎真由「死者の人格権の可能性」(『現代文明学研究』第4号、2001年)と工藤達朗「死者の取り扱いに関する若干の考察」栗城壽夫ほか編『未来志向の憲法論』(信山社、2001年)。あとは大屋さんが森村などリバタリアニズムの相続否定論への批判をブログに書いているが、それは自分で探してもらえれば。


最近は未来世代への配慮義務が云々されることが多いが、どうして死体論もなかなか面白い議論の蓄積があるのだな。私はあんまり深く突っ込む気がしないが、以上の書誌情報にちょいちょいとコメントを加えたようなことを修論の脚注に書きつけるつもりではいる。ところで、死者の権利を云々する人はそれなりに居ても、過去世代の権利を云々する人はほとんどいないようだ。保守主義者とか右翼とかナショナリストとか、過去世代の権利とまではいかなくても、過去世代への配慮義務とか主張しないのかなぁ、面白そうなのに。


世代間衡平性の論理と倫理

世代間衡平性の論理と倫理

世代間関係から考える公共性 (公共哲学)

世代間関係から考える公共性 (公共哲学)

財産権の理論 (法哲学叢書)

財産権の理論 (法哲学叢書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

未来志向の憲法論

未来志向の憲法論

コメント

お〜
またお久しぶりです。僕は死者に権利などないという立場ですが、いろいろ考察はされているようですね。いや、ただ、今度勉強してみようってだけなんですけど、うれしくなってコメントしときます。
(それどころか僕は、年長者の生は年少者の生より劣っていると決め付けて生きようとしているのですが、まぁそれは別の話です。)
2007/06/20(水) 10:21:54 | URL | ろりー #dXngx1UA [ 編集]


何かね、読んでみるとなかなか面白いですよ。私も深く立ち入って検討しているわけではないですけど。ちなみに私の立場は、相手が死んだからといって権利を奪う必然性など無いけれど、生きている者達の都合によって権利を剥奪せねばならないのだ、という感じですかね。
2007/06/20(水) 19:51:46 | URL | きはむ #- [ 編集]