沖縄戦における住民集団自決に何を見るか


2007/06/25(月) 13:55:57 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-348.html

沖縄戦集団自決について」と題する文章。


http://www.res.otaru-uc.ac.jp/~egashira/diary/20070330.htm


こういう言説はダメだ。「政府の役割は「国民の生命と財産を絶対的に守ることにある」」という規範命題が当然のように前提とされていて、国家と軍隊の性質への洞察が無い。


国家の役割についてそのような規範的主張を為したい気持ちは解るが、それでは沖縄戦における住民の集団自決という問題の「本質」なるものに迫れたことには全然ならない。


高橋哲哉の護憲論への批判の中で少し書いたように、国軍というものは、当該国家の「体制」を護持するものであり、その体制が君主制であろうが民主制であろうが、軍隊は国民を守る性格を持たない。より正確に言えば、国軍は、自国の国民の生命及び財産を保護するということを本来的な目的とはしない、ということである。


沖縄の集団自決に私たちが見出すべきなのは、そうした軍隊の性格がクリアに現れた実例である。そこでは、国家の不利益になり得る存在であると見做されたことを以て、自国の民間人に死が求められた。同じことは、政府の役割を「国民の生命と財産を絶対的に守ること」に求める民主制国家においても起こり得る。なぜなら、それが国家/軍隊/戦争の本質的性格だからである。


こうした観点からすれば、おそらく「政府の役割は「国民の生命と財産を絶対的に守ることにある」」という規範命題とイコールに結ばれるであろう「近代国家の基本」という用語も、誤りでないとしても、あまりにナイーブに映る。そのように主張したい気持ちは解るし、こうした規範命題を支持している国民が多い国家においては、政府及び軍隊の行動がある程度抑制されやすいことは確かであると思うが、それは国家/軍隊/戦争の「本質」を何も穿っていない。


付言するなら、「天皇制国家日本」という国家像が一部の人間の「仮想」であったといった(旨であると思われる)見方も、妥当とは言えない。それは後代からするアナクロニズムであり、当時の状況においては、大日本帝国陸海軍が護持すべき国家とは、紛れもなく皇統および天皇によって体現されるところの国体=国家体制であったのだから。