現代日本社会研究のための覚え書き――家族(第3版)

家族の形成と機能――家族への内閉


家族とは何だろうか。家族が果たしている機能について、複数の社会学者が与えている分類を私なりに再整理するなら、以下のようになる*1

名称 家族の構成員に対する機能 社会に対する機能
(1)性的機能 性的欲求や情愛の充足 性行動の統制
(2)生殖・養育機能 子孫を持つ欲求の充足 社会成員の補充と社会化
(3)生産機能 収入獲得の単位 労働力の提供と生産
(4)消費機能 基本的欲求の充足(家事や娯楽の単位) 生活の保障と労働力の再生産
(5)教育機能 知識と技能の伝達 文化の継承
(6)保護・福祉機能 生命や財産の保護と扶養・介護 社会秩序の安定化と生活の保障
(7)休息・精神安定化機能 活動エネルギーの補充と情緒の安定化 労働力の再生産と社会秩序の安定化
(8)地位付与機能 社会的地位(肩書き)の付与 社会秩序の安定化


しかしながら、現代において、これらの機能の多くは家族の外で肩代わりすることができるか、家族によって果たすことが難しくなっている。

(1)=性的欲求や情愛を満たすだけなら夫婦になる必要はないし、性的欲求に限れば市場でも代替可能。また、恋愛と結婚との必然的な結び付きが失われても性的放縦状態が一般化しているわけではない以上、性的統制のために結婚が必要かは疑問。セックスには愛が伴うべきで、その相手は特定の一人であるべきという規範が維持されれば十分ではないか。
(2)=結婚したら子供を持つべきであるという規範は薄れてきており、家族であるためにどうしても子どもが必要とされる状況ではなくなっている。そもそも子を生み、育てることは家族でなければできないわけではない。
(3)=農家や自営業など、家族集団そのものが収入を獲得する単位となっている生産活動は、産業全体の中での割合が著しく小さくなっている。
(4)=家事の機械化が進み*2、単身者向け市場サービスが発達している現代では、日常生活における欲求充足は一人でも可能になっている*3。また、一人でも楽しむことのできる娯楽が増え、家族が共同で娯楽を享受することは少なくなっている。
(5)=知識の伝達は、その大部分を教育機関が担うようになっている。農林水産業や手工業、伝統芸能など、限られた分野については家族内における継承が行われ得るが、家業が世襲されるとは限らない。
(6)=生命や財産の保護は、警察や社会保障制度を中心とした公的サービスと、病院や福祉施設、警備会社などの民間サービスによって大部分を担える。同様に、扶養や介護の機能も、行政や市場のサービスに委ねられる部分が拡大している。
(7)=以前と比べると各構成員の生活時間は異なってきており、家族が共同で休息をとることは難しくなっている(ex.「家族そろって夕食をとる頻度は減少している内閣府〔2007a〕」)。
(8)=現代では身分や家門、家族内部の肩書きよりも、学歴や企業内部での地位などの方が社会的には重要になっている。


以上示してきたように、(政府・市場・技術など)多面的な「システム化」によって家族が果たしている/果たし得る機能の固有性への疑問が強まるならば*4、最終的に家族は不要になるのではないかと思われる。しかしながら、人々の意識の面を見る限り、実際に表れているのはそうした印象とは全く別の事態である。自分にとって「一番大切なもの」を聞いているアンケート調査においては、「家族」と答えている人は戦後一貫して増加しており、83年にトップになってからも増加を続けているのだ(下図&「家族が一番大切と思う人は増加している内閣府〔2007a〕)*5


 (山田〔2005〕、6頁)*6


この結果をどのように見るべきなのだろうか。現実には家族関係が希薄化しているがゆえの願望の現れである、と見ることも可能かもしれない。だが、必ずしもそのようにアイロニカルな読み方をせずともよいのではないか。ここに、より長いスパンでの連続性を見出すこともできるのだ。家族の意味は団らんや安らぎ、愛情や育児などに求められる傾向が強いようであるが(「家族には精神的なやすらぎを求める人が多い内閣府〔2007a〕)、そもそも家族がそのように情緒的な要素によって結び付くようになったのは近代以降のことである(石川編〔1997〕、第1章)。

第一に、伝統的な夫婦関係は、生計を立てるためや、一族の資産や家系を維持するために結ばれる性格が強く、私的な情愛によって結び付くとされるようになるためには、個人主義の浸透を待たなければならなかった*7。近代以前においては、夫婦の感情的な結び付きよりも、より広い範囲の親族や、地域共同体との血縁的・地縁的結び付きの方が重要な意味を持っていた。

第二に、子どもが教育の対象、愛情を注ぐ対象として見做されるようになるのは、産業の中心が農業から工業に移ることで、農作業を手伝っていた女性が労働から退いて家庭に入り、母として振る舞う余裕ができてからのことであるとされる。社会学では既に常識に属するが、16〜17世紀までのヨーロッパでは、手のかかる乳幼児期を過ぎれば「子ども」という独自のカテゴリは観念されなかったので、子どもは「小さな大人」として農作業を手伝ったり、職人としての修行を積んだり、奉公勤めをしたりしながら成長したのである。加えて、医療と公衆衛生が未発達な時代には、子どもはたくさん産まれてたくさん死ぬものであって、愛情を注ぎにくい存在だったことも重要だろう。

総じて言えば、夫婦関係にせよ、親子関係にせよ、近代以前の家族は、内部における結び付きがそれほど密接なものではなく、外部に対して相対的に開かれた集団だった。それが近代における個人主義の浸透や産業構造の変化などを通じて、感情的な結び付きを強めるようになり、家族外部との隔たりを設けるようになっていったのである*8。いわば「家族への内閉」であるが、これが近代化の帰結であるとすれば、近代化が一層進行し、地域や職場における結び付きが弱まってきた*9とされる現代において、家族への内閉傾向が強まるのは自然なことだ*10。たとえ、その家族が内部において個人化を進展させていても、である。



戦後家族の歴史と現状


家族に関しては、いわゆる「核家族化」が語られることが多い。三世代以上が同居する大家族が減ったというのである。確かに、日本の家族全体に対する拡大世帯の割合は、戦後を通じて減っている。だが、世帯の数そのものは大して変わっていない。一方、核家族の数は増えているものの、全体に対する割合としては6割前後をキープして動かない(下図)。したがって、戦後になって「核家族が増えた」とか「核家族化が進行した」などといった指摘は、間違いとまでは言えないにせよ、かなりの留保を要する*11


 (落合〔2004〕、81頁)


また、核家族が増えたのは親との同居を嫌う夫婦が増えたためだと言われることがあるが、核家族世帯が60年代以降に増加を始めた主な原因は、兄弟が多い1925-50年生まれの世代の内*12、親の後を継げない地方の次三男が働き口を探して都市に移住したことにほかならない(落合〔2004〕、81-82、87-88頁)。56年に日本住宅公団が最初の団地を売り出して以後*13、地方から都市に流入してきた多産少死世代が標準的な核家族(サラリーマンの夫と専業主婦の妻)を形成して団地に居住し始めたのである*14

彼らは戦前の遺制たる「イエ」制度を否定して飛び出したわけではないから、むしろ自身が生まれ育った環境と同じ三世代同居という家族の形態に親しみを覚えていただろう。60年代の初めまで、自前のソフトが不足していたTV局が米国のホームドラマを中心に放送していた頃には、米国風の核家族が一種の理想として現れたものの*15、64年以降に放送が始まる国産ドラマでは、三世代同居の家族を中心とする物語に移る。そこでは家父長の権威などのイエ制度的な色彩は薄められ、核家族の中に生きる人々の価値観とも融和可能な形で民主化された大家族が描かれたのであり、それは主な視聴者である「大家族を夢見る核家族」の姿に対応していた(落合〔2004〕、83-85頁)。


高度成長期に標準的な核家族が形成されたということは、この時期に専業主婦化が進行したということでもある。「戦後になって女性の社会進出が進んだ」とはしばしば語られる神話だが、(「社会進出」の意味をどうとるかにもよるものの)こと就労に関する限りでは、この常識は明確な誤りである。世代別に女子労働力率を見ると、20代に結婚した人の内で30代半ばから仕事に復帰してくる女性の割合は、戦後生まれの世代(46-50年生まれ)よりも戦前生まれの世代(26-30年、36-40年生まれ)の方が大きい(落合〔2004〕、16-21頁)。したがって、その部分だけを取り出すなら、「女性は戦後になって働かなくなった」と言う方が正しい*16。工場労働者や会社員などの勤め人が増えたのに伴い、主婦になって夫の労働を家庭から支える女性が増えたためである。第一次産業が中心である社会においては、住居と労働の場は一体であることが多かったし、夫婦が共同で労働にいそしむ方が一般的であったため、「家の外で働く夫」と「家を守る妻」による夫婦の形は、近代的な在り方である。高度成長期は、近代家族が成立していく過程でもあった。


さて、拡大家族世帯の割合が減り、核家族世帯の割合が変わらない中で、数も割合も増えているのは、単身者世帯である。これは一面で、後述する未婚化、晩婚化、離婚の増加などと結び付いていると思われる。他面、高齢者の子どもとの同居率が減少傾向にあることも指摘すべきだろう(下図)*17。子どもと同居せずに二人で暮らしている高齢者夫婦の場合、一方が死亡すれば直ちに単身者世帯に移行することになるのだから*18


 (落合〔2004〕、201頁)


思うに、一般に言われる「核家族化」は、少子化と混同されている場合が多い。「昔のような大家族が減った」などと、「大家族」の定義が明らかにされぬまま言われるとき、その傾向は顕著である。つまり、核「への」縮小と、核「の」縮小が取り違えられているわけだ。しかしながら、核の縮小そのものも継続的な現象ではないことには、注意が必要とされる。少子化は50年代に入ってから急速に起こり、49年には約4.32であった合計特殊出生率(女性が一生の間に産む子供の数の平均)が、57年には半分以下に下がる。以後、70年代前半までは出生率2前後で横ばいが続くものの、74年からは再び緩やかな低下が始まり、2005年には戦後最低の1.26を記録した(「出生数及び合計特殊出生率の年次推移内閣府〔2007b〕)*19

つまり少子化は二度にわたって起こっているのだが(落合〔2004〕、53頁)、重要なのは二つの少子化が持つ意味の違いである。完結出生児数(結婚持続期間15〜19年の女性が産んだ子どもの数の平均)の年次推移を見ると、72年まで減少が続いてからは2002年まで横ばいである(下図& 「完結出生児数(夫婦の最終的な出生子ども数)」国立社会保障・人口問題研究所〔2005〕)。横ばいが始まる72年の被調査者は53-57年に結婚しているので、夫婦がもうける子どもの数はこの時期から30年程度は変化しなかったことになる。したがって、家族の核「の」縮小は、50年代半ばまで、すなわち第一の少子化の時期を中心とする現象である*20


 (山田〔2007〕、22頁)


さて、完結出生児数の推移を見る限り、70年代半ば以降の少子化の原因を、夫婦が持つ子どもの減少に求めることはできない。そこで、第二の少子化の主因は、未婚化に求められることになる。婚姻率を見ると、1970年代初めから一貫して下落している(「婚姻件数及び婚姻率の年次推移内閣府〔2007b〕)。未婚率は、男女ともに70-75年に上昇を始めて、75-80年からは急上昇を見せており(下図&総務省統計局〔2005a〕、3)、2005年のデータでは、30代前半での未婚率は、男性で47.1%、女性で32%に達している(1975年には男性14.3%、女性7.7%)。


 (湯沢〔2003〕、103頁)


晩婚化も進んでいる。平均初婚年齢は、1950年には男性で25.9歳、女性で23歳だったが、2004年には男性29.6歳、女性27.8歳となっている(下図)*21。同時に男女の年齢差が縮まってきていることも分かる。


  (山田〔2005〕、183頁)*22


ただし、この間に結婚を望まない人が大幅に増えているわけではないので(「結婚をする意思をもつ未婚者は9割で推移」国立社会保障・人口問題研究所〔2005〕)、未婚化や晩婚化を意識的に選択されたものとして捉えることはできない。未婚化・晩婚化の原因を断定することは難しい。否定できるものから挙げておくと、例えば、魅力のある男性/女性がいなくなったとか、若者のコミュニケーション能力が低下したなどの理由が挙げられることが無いわけではない。しかし、少なくとも20代前半までについて言えば異性のパートナーを持つ割合はむしろ増えているし、パートナーを持たない人の割合が微増している20代後半から30代前半についても、それと同じかそれ以上に、非同居の交際相手を持つ人の割合を増やしている(下図)。


 (岩澤〔2001〕、60頁、調査対象は女性)


未婚化の原因を詳細に検討している山田昌弘によれば、結婚を望む人が多数であるにもかかわらず結婚しない/できない人が少なくない最大の理由は、70年代半ば以降の低成長時代の到来に伴う若年男性の収入伸び悩みである(山田〔2005〕、第5章。山田〔2007〕、第5章)。未婚化が始まる世代は高度成長の中で育ち、結婚後の生活への期待水準が高いために(山田〔2007〕、95-96頁)、生活を支える男性の収入がそれに見合うだけの水準に届く見込みが得られない限り、結婚に踏み切るのは難しくなったのだと言う。未婚化の進行を経済状況によって説明する議論に対しては、バブル期に未婚化が緩和されなかったのはなぜかという疑問が直ちに思い浮かぶが、これに対しても山田は、彼が「パラサイト・シングル」と呼ぶ未婚で親と同居する若者の増加を挙げつつ、基本的に生活への期待水準の上昇によって説明を与える(山田〔2007〕、114頁)*23。経済状況だけを以て説明を加えるのはいささか無理があるとの感を抱かずにはいられないが、否定的な判断を下すべき有力な根拠もとりたてて無いため、ひとまずはこの説を踏襲しておこう*24


山田は、未婚化をもたらした背景として「恋愛と結婚の分離」も挙げている。山田によれば、1970年頃までは恋愛と結婚は分かち難く結び付いているものとされていたが、70年代を通じて両者の分離が進み、80年代までには「恋愛をしたら結婚をしなければならない」という意識は過去のものになったと言う(山田〔2007〕、169-173、178-179頁。山田〔2005〕、2-4頁)。だが、この見解は妥当なのだろうか。1960年代末に恋愛結婚の割合が見合い結婚を逆転したことからすれば(国立社会保障・人口問題研究所〔2005〕、1-(2))、70年代とは「恋愛のゴールが結婚であり、結婚するためには恋愛しなければならない」という意識が定着した時代なのではなかろうか*25。そんな時期に恋愛と結婚の分離が進んだと言うのはにわかには受け入れ難く感じる。けれども、NHK放送文化研究所が5年毎に行っている世論調査に基づくなら、この主張は支持し得るようだ(下図)。


 (NHK放送文化研究所編〔2004〕、47頁)


調査結果によると、1973-2003年の間に「結婚式がすむまでは、性的まじわりをすべきでない」と答える人は半数以下に減っているし、「深く愛し合っている男女なら、性的まじわりがあってもよい」と答える人は2倍以上に増えている。さらに、後者の回答を年齢階層別に見ていくと、愛情があればセックスをしてもよいと考える人の割合が3割を超えるのが、2003年時点に男性55〜60歳、女性50〜55歳と63-73年に成人した世代であり、過半数を占めるようになるのが、男性45〜50歳、女性40〜45歳と73-83年に成人した世代である(NHK放送文化研究所編〔2004〕、48頁)。したがって、山田が示すところの、恋愛やセックスを結婚と分離して捉える意識が70年代を通じて拡大し、80年代に入ると若者の間で多数派を占めるようになった、という見解は支持するに十分だろう*26

なお、山田と同様の見解は、宮台真司からも示されている *27。そこで宮台は、70年代後半以降には「結婚と結びつかない愛」が当たり前になると同時に「愛と結びつかないセックス」も当たり前になったかのように書いているが、これは正確性を欠く。先の世論調査によれば、1973-2003年の間に、「性的まじわりをもつのに、結婚とか愛とかは関係ない」と答える人は、全くと言っていいほど増えていない。つまり、セックスは結婚と切り離されたが、愛情とは切り離されていないのが現状である。結婚と恋愛の分離が進んだからといって、恋愛とセックスの分離も進んだとは言えない*28

ところで、恋愛と結婚の分離は、なぜ恋愛結婚が主流となる70年代を期に進んだのか。この疑問は解消されていない。山田の記述を追うと、若年男性の収入伸び悩みや、男女の接触機会の増加による「魅力格差」の顕在化など、結婚しない/できない状況が「恋愛はそれとして楽しむ」姿勢を強めたと考えているように読める(山田〔2007〕、174-185頁、山田〔2005〕、204頁)。「魅力」の大部分は経済力が占めるようなので、結局は恋愛と結婚の分離も経済状況から説明されていることになる*29。私はこの説明では十分に納得することはできないが、確かな代替的説明を展開する準備も無いため、ここでは問題の所在だけを示して、議論を先に進めることにしよう*30


さて、70年代後半から80年代は、「家族の危機」が喧伝された時期でもある。宮台によれば、団地への居住によって地域から切り離されて孤立した専業主婦への「過重負担」は、70年代後半になって問題を顕わにし始め、専業主婦の無能に問題をすり替えた「母原病」の主張や、連続して起こった家庭内暴力事件、家族への幻想の崩壊を描くドラマ『岸辺のアルバム』などは、その証しにほかならない(宮台〔2000a〕、宮台〔2004〕)。ここで言う「母原病」とは、79年に小児科医が書いたベストセラーの題名となった言葉で、50年代後半から子どもがかかる病気の種類が変化したことの原因を母親の子どもへの接し方に求めたものだと言う(落合〔2004〕、68-69頁)。母親への帰責の是非はともかく、その変化と因果関係が事実だとすれば、50年代後半=第一の少子化終結=近代家族成立期という時期からして、非常に示唆的ではある。

ただし、落合恵美子の認識に基づいた場合、通俗的な意味での「家族の危機」は、80年代にずれ込みそうだ。落合は、80年代初めの「主婦アル中」「台所症候群」「キッチンドリンカー」、82年のベストセラー『妻たちの思秋期』、83年のドラマ『金曜日の妻たちへ』などを、専業主婦の不安や不満を映し出したものとして採り上げる(落合〔2004〕、157-161頁)。70年代の後半はむしろ、「イエ」的なものからの解放を強め、「民主的で、夫婦も親子も台頭で、愛によって結ばれた」家族としての「ニューファミリー」が喧伝されたことに着目することから、近代家族の確立期として捉えられているように思える(落合〔2004〕、152頁)。無論、これが宮台の歴史認識と矛盾を来たすということでは必ずしもない。確立期=ピークにこそ危機がはらまれるというのは世の常であるし、落合が注目する80年代に騒がれた「家族問題」は宮台が指摘する70年代末の「問題」に連続すると思われる。


なお、70年代後半以降には、再び女性の結婚後の労働復帰割合が高まっている*31。前述のように一旦縮小した女性の社会進出は、高度経済成長期以後に再び拡大した*32。現在では、子どもが手を離れた母親の7割が、家庭の外で就労している。近代的な夫婦の在り方が壊れたと言うことは未だできないにせよ、ある程度の変化が見られることは確かである*33

離婚率は1960年代後半から1980年代初めにかけて上昇している(下図)。その後やや低下したが*34、80年代末から再び上昇。2005年の離婚件数は約25万組に上っている(1970年は約10万組)*35


 (山田〔2005〕、150頁)*36


一人親世帯は増加の傾向にあると見られるが、著しい増加を示すデータは見当たらない(下図)。「世帯構造別、世帯類型別にみた世帯数及び平均世帯人員の年次推移厚生労働省大臣官房統計情報部〔2007〕を見る限りでは、母子世帯・父子世帯ともに、世帯全体に占める割合の変化はほとんど見られない*37。一人親となった理由では、少なくともここ25年程度の間に、死別の割合が著しく減少するとともに、離婚による別れの割合が増加している(「母子世帯になった理由別 構成割合の推移厚生労働省雇用均等・児童家庭局〔2007〕)。また、母子世帯*38の内、母親が未婚のケースは1990年に1万7千人であったのが2000年には3万6千人にまで増加している(西・菅〔2006a〕、3頁)。「未婚の母」が増えているのは確かである*39


  (湯沢〔2003〕、161頁、注記は引用者による)


婚外子率は、一夫多妻的な性慣行が残っていた明治期には高かったが、愛情によって結ばれる近代的な家族(後述)の形成時期たる大正期から下降を始め、近代家族の成熟期たる80年代以降から上昇に転じている(下図)*40。ただし、欧米諸国と比べると日本の婚外子率の上昇は著しく抑制されている。60年まで概ね10%以下であった欧米諸国の婚外子率は、95年にはスウェーデンで53%、デンマークで46%、フランスで36%、90年のアメリカで28%、イギリスで27%にまで上昇している(湯沢〔2003〕、129頁)。なお、婚外子の数は事実婚夫婦の数と密接に結び付いていることが推測されるが、事実婚夫婦の実数を把握することは難しいようである*41


 (山田〔2005〕、152頁)


国際結婚が増加していることも指摘しておこう。「夫妻の国籍別婚姻数:1965〜2006年」国立社会保障・人口問題研究所[2008]によれば、夫婦のどちらか一方が日本国籍で他方が外国籍である婚姻が全体に占める割合は、1965年に0.43%だったものが、2006年には6.08%に増加している*42



家族の現代的位置――多様化と個人化


ここまでデータによって跡付けてきたのは、子どもの数が減り、パートナーや子どもを持たない人生が選び得る選択肢になり、相対的に男女の役割が固定されにくくなり、離婚が珍しくなくなり、一人親が増え、未婚の母が増え、一人暮らしが増え、国際結婚が増え、結果として「サラリーマンの夫と専業主婦の妻、2〜3人の子どもによる核家族」といった「標準家族」を当然のように想定することができなくなっている事態である。これを家族の「多様化」と「個人化」によって特徴付けることができる(落合〔2004〕、242頁以下)。

ここで特に重要なのは後者である。家父長的な権威が失墜した現代においては、家族集団の内部においても、以前より個人の意思と権利が尊重されるようになっている。また、前述のように、福祉国家の成立による公的社会保障給付の拡充や家事の機械化・市場化など、多面的な「システム化」により、家族に固有の機能は縮小の一途を辿っている。今や、標準的な家族の姿を想定することが難しくなっているがゆえに、国家や企業の側も、家族を単位とした統治やサービスが行いにくくなっている。「核家族はもはや分割不能な単位ではなくな」り、家族を基礎単位とする社会から、個人を基礎単位とする社会への移行が生じている(武川〔2004〕)*43


この変化を実感的に理解し易くするため、再び宮台の議論に目を向けよう。宮台によれば、高度成長期の「団地化」を経て「内閉化」が進んだ戦後家族は、80年代初めから始まった「コンビニ化」により、更なる変質を経験している。82-86年にコンビニが急増し、24時間営業化が進行。83-84年にはワンルームマンションブームが起きて各地で地域住民の反対運動を巻き起こす。84年にはテレビが安価になって、複数台所有と個室への設置が始まる。85年にはコードレスホンの登場によって、個室からの電話が可能になった。これらの背景から、80年代の家族は構成員各自が「別々のチャンネルを通じて別々の世界に繋がる状況」となってしまったと宮台は語る。そして、この変化によって「核家族の空洞化」が引き起こされたと論じるのである。

宮台が描き出す「コンビニ化」は、近代家族成熟期以降の「個人化」過程に対応しているが、「個人化」=「空洞化」と結ぶのは短絡に過ぎる。それなりの年齢になったら子どもでも個室を使いたいとか、複数のTVを所有して最終的な決定権を父親が握るチャンネル争いから解放されたいとか、友達や恋人と連絡を取るのにいちいち親を通したくないなどといった欲求は、一応の権利や尊厳の裏付けを持っている。それは一面で民主化や自由化が公共圏のみならず親密圏にまで及んでくるという変化であって、直ちに家族の「空洞化」や「機能不全」と結び付けられるべきものではない*44

「個人化」そのものは、家族構成員相互の関係を希薄化させる必然性までを持つものではない。変化した家族の在り方に応じて新たな関係性の結び方が現れることは当然予想されることであり、現に現れているだろう。それは個々の構成員の意識的選択ないし努力によって維持されている関係なのかもしれないし、無意識の内に成立したものなのかもしれない。いずれにせよ、「個人化」に応じた家族内部の新たな関係性が過去の家族よりも希薄であるとか弱体であるなどとは、一概に言えない。この点、宮台による「変形家族」への期待は、過剰なペシミズムに基づく短絡によって、却って不必要な回り道をしているように思える。詳細は本連載の結論部に譲るとして、この項の最後に、近代萌芽期からポストモダン期に至る家族の変遷を表にまとめておく。

時期 経済 子ども 結婚・恋愛 家族 位置付け
20年代終戦 都市化 やや少子化 一対一の近代的恋愛が拡大 核家族・専業主婦は少数 近代家族の萌芽期
45年〜50年代半ば 戦後復興 第一の少子化 見合い結婚が主流 未だ三世代同居が主流 近代家族の準備期?
50年代半ば〜70年代半ば 高度成長 夫婦の子ども数が2〜3人で安定 恋愛結婚が普及(恋愛=結婚) 核家族世帯の増加、専業主婦化(団地化) 近代家族の成立期
70年代半ば〜90年代半ば 低成長 第二の少子化(86-90年から「核」の再縮小?) 未婚化・晩婚化、恋愛と結婚の分離、性の低年齢化 家族の危機?、多様化・個人化(コンビニ化) 近代家族の成熟期(動揺期?)
90年代半ば〜 長期停滞 第二の少子化(「核」の再縮小中?) 未婚化・晩婚化、恋愛の自由化、性の低年齢化 危機の継続?、多様化・個人化 近代家族の解体期?

*1:石川編〔1997〕、第4章の分類を基礎に、野村〔1998〕や宮台〔2004〕も参考にした。

*2:50年代後半には「三種の神器」(冷蔵庫・テレビ・洗濯機)が一般に普及し始め、家事の機械化が本格化する。

*3:「家事」とは、「あらゆる労働の中で市場化されていないもの」の謂いであり、クリーニング店に洗濯を頼んだり、コンビニやスーパーで弁当を買って食事を済ませたりする割合が大きくなればなるほど、家事は失われていく(落合〔2004〕、36-38頁)。

*4:もっとも、例えば山田は、現代の日本社会においては「子どもを産み育てる責任をもつこと」((1))と「生活リスクから家族成員を守ること」((6)の一部)の二つの社会的機能は、政治的に合意されていると見ており、この点に関しては私もあまり異見は無い(山田〔2005〕、24頁)。

*5:余暇の過ごし方についても、73年から03年の間で、男女ともに「友人・家族」と過ごす人が増加している(NHK放送文化研究所編〔2004〕、166-167頁)。

*6:統計数理研究所[2004]」は、統計数理研究所〔2004〕「国民性の研究 第一一次全国調査」。

*7:もっとも、ここでの「個人主義」が男性=家父長によって体現されるものであることには、注意が必要である。ゆえにこそ、さらに時代を下って家族内部での「個人化」が起こる理由が残されているのである。近代的な(家父長)個人主義と現代的な個人化の差については、山田〔2005〕、122-123頁、落合〔2004〕、242-244頁、武川〔2004〕を参照。

*8:落合〔2004〕、103頁では、近代家族の特徴として(1)家内領域と公共領域の分離、(2)家族構成員相互の強い情緒的関係、(3)子ども中心主義、(4)性別役割分業、(5)家族の集団性の強化、(6)社交の衰退とプライバシーの成立、(7)非親族の排除、(8)核家族、の8つが挙げられている。この点については野村〔1998〕も参照。

*9:共同体/市民社会」を参照

*10:米国で発生し、近年は日本でも建設されつつあるgated communityは、こうした「内閉」の一つの極端な在り方として捉え得るのかもしれない(「gated communityとリバタリアニズム」を参照)。

*11:この点については家族社会学内部で論争があり、必ずしも合意ができているわけではないが(落合〔2004〕、酛-醃頁。山田〔2005〕、96-97頁)、加藤〔2005b〕は、核家族化の傾向が確認できるのは結婚直後の時期に限られており、結婚年数が長くなるに伴って親との同居率が上昇する点を挙げて、単純な「核家族化」説を否定している。

*12:ベビーブーマー世代(1947-49年生まれ)はここに含まれる。

*13:住宅公団が建設した賃貸住宅は、60年には1万700戸、65年には2万9千戸、71年には4万5千戸にまで上ってピークに達した。「カギっ子」という言葉が流行したのは63年頃であると言う(三浦〔1999〕、22-24頁)。

*14:宮台真司はこの現象を「団地化」と呼び、その帰結として「家族への内閉」が進行し、地域共同体が空洞化したと論じている(宮台〔2000a〕、宮台〔2004〕)。その詳細と評価については「共同体/市民社会」を参照。

*15:53年に放送が開始されたTVが本格的に普及するのは59年の皇太子結婚以降だが、当時は米国製のホームドラマが主力ソフトで人気を誇ったので、米国風の民主的な核家族の近代的な郊外生活に憧れが高まった(三浦〔1999〕、17-18頁)。

*16:女子労働力率は、60年に54.5%、65年に50.66%、70年に45.7%となっている(落合〔2004〕、21頁)。

*17:親世代と既婚の子ども世代の別居化が進展している内閣府〔2007a〕も参照。

*18:配偶者との死別を機に子どもと同居するようになる高齢者も多いだろうが、そうしない/できない高齢者も一定割合で存在するはずである。

*19:子どもがいる世帯は1980年代には40%台だったが、2000年代以降には、30%を切っている(「児童の有(児童数)無別にみた世帯数の構成割合の年次推移内閣府〔2007b〕)。

*20:ただし、2005年調査における完結出生児数の低下は、86-90年に結婚した夫婦がもうける子どもの数が減っていることを示しているので、ここに新たな変化の兆しを見ることはできる。

*21:2006年には男性30歳、女性28.2歳にまで上昇している。「全婚姻および初婚の平均婚姻年齢:1899〜2006年」国立社会保障・人口問題研究所〔2008〕参照。

*22:内閣府[2003]」は、内閣府〔2003〕『平成15年版 国民生活白書』。

*23:パラサイト・シングル」についてここで詳しく触れることはしないが、この議論について私が疑問なのは、生活水準を高く保ちたいがために結婚せずに親と同居し続けるのだとしたら、結婚した上で親と同居し続けないのはなぜか、ということである。なお、内閣府〔2001〕のコラムでは、山田の説を補強するような調査結果が提示されている。

*24:ただし、例えば都市化と「家族への内閉」に伴う地縁的人間関係の相対的希薄化や、家父長的権威の相対的衰退、男女同権意識の相対的浸透などにより、外部からの結婚圧力が低下したことなど、他の可能性を考慮する余地は残しておくべきである。

*25:この意識の定着は、後述する近代家族の確立に対応する。

*26:同時期に思春期を過ごした世代の実感も、こうした見解と合致するようである(高崎〔2008〕)。なお、山田や後述する宮台も当該世代(50年代末生まれ)であることを付言しておく。

*27:もっとも、宮台が「性愛コミュニケーションの自由化」を見出すのは70年代後半であり、山田よりも限定されている(宮台〔2000b〕、197-198頁)。

*28:とはいえ、恋愛と結婚の分離、恋愛の自由化に伴って、セックスの低年齢化が進んでいることは確かである。セックスの経験率は、20代後半以上ではあまり変わらないが、10代〜20代前半では、男女ともにほぼ一貫して増加している(山田〔2007〕、181-182頁、宮台〔2000a〕、148-149頁)。

*29:それゆえ、未婚化・少子化についての山田の説明はほぼ経済一元主義と言ってもいい。

*30:ただ、恋愛と結婚の分離とは「恋愛をしたからといって必ずしも結婚しなくてよい」という意識の拡大だが、その背景は、見合い結婚が減り、恋愛結婚が増えた背景と重なっているのかもしれない。

*31:もっとも、この時期における女性の労働復帰はパートとしての就労が中心であり、彼女たちの自己規定は依然として「主婦(のかたわらパート)」であった。

*32:山田によれば、これも低成長時代への移行による賃金伸び悩みを反映した結果である(山田〔2005〕、167頁)。

*33:性別役割分業意識と実態の推移については、「親密圏/人権」を参照。

*34:低下の時期はバブル期に重なっている。

*35:加藤〔2005a〕は、近年の離婚増加の背景に経済の低成長や階層的要因を強く読み込んでいる。

*36:「利谷[2005]」は、利谷信義〔2005〕『家族の法』第2版(有斐閣)。

*37:総務省統計局〔2005b〕、4も参照。

*38:ここでは、母親の配偶関係が未婚・離別・死別のいずれかで、世帯員の構成が母親と20歳未満の未婚の子のみからなる世帯、を言う。

*39:「シングル・マザー」という言葉には、「子と同居している配偶者のいない女性」(離別・死別含む)を指す場合と、未婚の母のみを指す場合の両方がある。離別については離婚率を見ることもできるので、ここでは未婚に注目した(西・菅〔2006b〕、1頁)。「シングル・ファーザー」については、西・菅〔2007〕を参照。

*40:嫡出でない子の出生数および割合」国立社会保障・人口問題研究所〔2008〕も参照。

*41:「非親族の男女の同居」については西・菅〔2008〕の研究があり、2005年に47万3千人であると報告されているが、ここには事実婚夫婦は含まれていない。

*42:国際結婚については、山田〔2005〕、194-198頁も参照。

*43:「介護の社会化」が訴えられ、介護保険が成立したのは、その実例の一つである。

*44:親密圏/人権」を参照。