現代日本社会研究のための覚え書き――共同体/市民社会(第2版)

地域共同体の変容の実態と背景――地域の流動化


現代では地域社会が空洞化しており、かつてのような少し息苦しいかもしれないけれども人の温もりが感じられた隣近所の濃密な結び付きは失われた、とは頻繁に語られる常識となっている。しかしながら、そのような地域社会の空洞化や地縁的人間関係の希薄化といった言説は、どこまで実態に即しているのだろうか。また、そうした変化は、どのような要因によって、どのような過程を経て、進行してきたのだろうか。このような疑問について正面から詳細に検討を行っている議論に出会うことは、なかなか無い。ここではそうした作業を試みてみよう。

地域社会に変化が生じているとすれば、それは近代化の過程と密接に結び付いている。一般にはそうした長いスパンを視野に収めた議論は低調であり、戦後の経済成長(物質主義)や「アメリカ化」、利己心の増長を促す憲法道徳心の荒廃などが採り上げられがちである。しかしながら、例えば2007年の『国民生活白書』では以下のような記述が為され、地域社会の変化とは少なくとも戦後の変化として片付けられるようなものではない長期的な変動であることに注意が促されている(内閣府〔2007〕、第2章第1節2)。ここでも、そのような長期的視野に基づいた議論を展開していくことにしよう。

しかし、地域のつながりは、昔から希薄であったわけではない。むしろ極めて強い地域のつながりの下、人々は、生産、教育、福祉など生活にかかわる多くのことを地域住民と共同で行っていた。ところが、このような強いつながりは、経済・社会環境が変化するとともに希薄化していった。1952年に公表された「地方自治世論調査」には、「近所づきあいをしないと毎日の暮らしで早速困ると言うものが約27%であり、大多数(70%)のものは日常生活に困らないと言っている」、「約半数のものは同地域に住む隣人間にあっても余り深くつきあわない方がよいとの態度をとっており、深く交際することを望んでいるものは38%である」との調査結果の概要が記されている。これは今から50年以上前においても、農業時代の「村」に代表されるような、地域のつながりなくしては生活が成り立たないといった状況からは、既に大きく変化していたことを示している。また69年に公表された「コミュニティ―生活の場における人間性の回復―」(国民生活審議会調査部会編)では、近隣の人々との結び付きが次第に希薄化している点が指摘されたとともに、地域のつながりの希薄化により生ずる問題について懸念が表明された。つまり60年代後半においては、地域のつながりが一定程度希薄化していたことがうかがえる。


まず、地方の農村に象徴されるような伝統的地域共同体の解体を促した要因として第一に挙げられるのは、産業化である。「経済/労働」で論じたように、日本では19世紀末から進行した工業化は、第2次産業の従事者を増加させ、第1次産業の就業者数を減少させた。第2次産業就業者が増加すると、都市への人口流出によって後述する都市化が起こり、離農と賃金労働者の増加によって職住の分離が進むことになる。就業者に占める雇用者の割合は一貫して拡大しており、現在では8割以上の就業者がサラリーマンである(内閣府〔2007〕、第1-2-35図)。第1次産業が中心である社会では、労働と生活の場は一体であり、地縁的人間関係は職業的人間関係とほとんど重なっていた。過去の農村共同体において濃密な人間関係が維持されていたのは、そうした条件に依存している。したがって、職住の分離が進行すれば、人間関係が相対的に希薄化することは避けられない。

国勢調査に基づいて従業地・通学地ごとの人口分布を見てみると、1990-2005年の期間に限っても、より遠隔地で就業ないし通学している人が増えていることが分かる*1。今や就労または通学している人の3割は、居住地とは異なる自治体に通っているのである*2

従業または通学している人の総数 自宅で従業 自宅外の自市町村で従業・通学 県内の他市町村で従業・通学 他県で従業・通学
1990 85,035,058 11,777,523/13.9 50,839,573/59.8 16,800,957/15.8 5,817,005/6.8
1995 85,010,070 9,560,142/11.2 50,566,002/55.5 18,237,182/21.5 6,246,744/7.3
2000 81,531,609 8,784,788/11.9 48,308,687/55.3 18,476,614/22.7 5,961,520/7.3
2005 78,232,051 7,722,432/9.9 47,477,487/60.7 17,156,104/21.9 5,876,028/7.5

(人/%)


まして、70年代半ば以降に第3次産業へのシフトが生じると転勤や単身赴任が増え、90年代に日本的雇用慣行が衰退すると社宅や寮における「職住の一体」が崩れ、非正規雇用が拡大すると一つの職場に勤続する期間の短縮に伴って同じ地域に居住する期間も短縮する。居住の流動性が上昇して地域社会における人口の流出入が盛んになれば、近隣の人々と強固な結び付きを形成することは困難になるし、結び付こうとするインセンティブも弱まる。産業構造や経済構造が変化すれば、地域社会の結合力や人間関係の濃度が影響を受けることは避けられないのである。


「地域の空洞化」をもたらし得ると考えられる要因の第二は、「都市化」である(佐藤〔1998〕、35頁)。「テクノロジー/メディア」や「経済/労働」で述べたように、交通手段や通信技術の発達と産業の発展は、都市の爆発的な人口拡大を促す*3。前近代においては、生まれ育った土地から移動するということそのものが危険や困難を伴うものであった。だが、交通手段の発達によって比較的容易かつ安全に移動が可能になると、都市への、あるいは都市間の人口移動は不可避となる。これは、先祖代々同じ土地に暮らし、同じ職業を営み、同じ権利を得て、同じ義務を果たす、身分秩序に支えられた前近代的な共同体の拘束力が弱まるということを意味する(流動化)。こうして農村からの人口流入によって都市の拡大が進めば、周辺地域は過疎化へ向かうことになる。また、都市の発展が都市の物理的拡大に結び付くなら、周辺地域は都市の「郊外」として都市に吸収されていくことになる*4。多数の人口を抱える近代的な都市は、互いに「顔の見える」共同体ではなく、相対的に匿名性の高い空間である(匿名化)。加えて、市民の多くは他の都市や地方から流入してきているので、同じ土地に住み続ける人々によって構成される農村共同体と比べれば地縁的結合が弱くなりがちである。

以上のような議論に触れる人の中には、このような思いを抱く向きもあるかもしれない。すなわち、「都市化」と言っても、近代以降にも農村は存在しているし、地方に居住する人口は無視できるような規模ではないのだから、都市だけに注目して社会全体を語るような真似はすべきでない、と。もっともである、が、事はそう単純ではない。近代においては、既述のような交通手段の発達による移動の高速化だけでなく、後述するような通信手段の発達による通信の高速化も生じる。すると、たとえ農村に住む人々であろうとも、都市と無縁ではいられなくなる。都市文化は絶えず地方に発信され、都市的な生活/消費様式や価値観は少なからず非-都市にも流れ込む。非-都市は都市=「中心」との関係性によって社会に位置付けられる「周辺」であることを余儀なくされ、非-都市の住民は伝播して来る「都市的なもの」への追従/黙過/対抗などの態度決定を通して自らの生活/消費様式や価値観を構成しなければならない。ここに示されているのは、通信手段の発達によって日常的に都市文化に触れることができ、交通手段の発達によって何時でも都市に移住することが可能な状況においては、それでも非-都市に住み続けるということが「敢えて」する意識的な選択にならざるを得ないということ(再帰性)である。


第三に、「郊外化」の影響を指摘しなければならない。郊外化とは、広い意味では都市化の一環と捉えることが可能な現象であり、日本では「団地化」の形をとって進行したとされる(宮台〔2000a〕、宮台〔2004〕)。

家族」の項で触れたように、56年以降に日本住宅公団が建設した賃貸住宅は71年までに4万5千戸に達し(三浦〔1999〕、22-24頁)、地方から都市に流入してきた多産少死世代が高度成長期に近代的な核家族を形成する際の住環境を提供した。宮台真司によれば、この帰結として「家族への内閉」が進行し、地域共同体が空洞化した。専業主婦を擁する近代的な核家族が珍しかったそれ以前には子どもは地域で育てられたものが、隣近所に見知らぬ者同士が住まうようになる「団地化」の後では、地域の育児ネットワークは失われ、育児における母親の孤立化が進んだとされる。

「団地族」においては近所付き合いが低調であったということは、事実のようである(落合〔2004〕、92頁)。しかし、落合恵美子によれば、「団地族」を形成していた多産少死世代には兄弟やいとこが多かったので、育児において親族ネットワークを頼ることが可能であったとされる(落合〔2004〕、93-95頁)。落合は親族ネットワークと近隣ネットワークは代替的であるとの調査結果も示しているが、この主張は井上清美の研究によって否定されている(井上〔2005〕)。井上によれば、育児援助においては、親族ネットワークと地域ネットワークのいずれも衰退しているとの事実は確認できず、他方で配偶者による育児サポートは拡大しているので、育児における母親の孤立はむしろ緩和されているはずである。したがって、単純に「地域の空洞化」が進んだと言うにはこれでは足りないし、母親の孤立化が進んだという主張は客観的事実ベースでは否定されることになるだろう*5


最後に、地域社会の流動性を高め、「地域の空洞化」をもたらし得る第四の要因として、「国際化」を挙げておく。日本に入国する外国人は、1955年には約5万5千人だったが、2006年には800万人を超えている(法務省入国管理局〔2007〕、2-3頁)。また、外国人登録者数は、1955年には約64万人で国内人口の0.71%を占めるにすぎなかったが、2006年には約208万人にまで増加し、国内人口に占める割合は1.63%へと上昇している(同、20頁)。外国人登録者数が総人口に占める割合は、80年代までは横ばいだったが、90年代に入ってからは一貫した伸びを見せており、地域における定住外国人の存在感は確実に増している*6。入国/定住する外国人の増加は、それだけで地域の流動性上昇を示す現象だが、文化や慣習が異なる外国人が地域社会に馴染むことが容易ではないことを考え合わせれば、外国人世帯の増加は地域社会の統合力を弱めることに一役買っていると思われる。


以上、「地域の空洞化」をもたらし得る4つの要因について述べてきたが、それでは実際に「空洞化」は起こっているのだろうか。内閣府世論調査によれば、少なくとも最近30年程の間に、近所付き合いの程度が小さくなっていることは確かである(内閣府〔2007〕、第2-1-19図)。ただし、1970年代半ば以降には、単身者世帯が2倍以上に増加しており(内閣府〔2007〕、第2-1-40図*7、一般に単身者世帯では近所付き合いをすることが少ないことを思えば(内閣府〔2007〕、第2-1-38図)、親しい近所付き合いをする人の割合が低下しているのは自然なことであるとも言える。単身者以外の世帯間での近隣関係にはあまり変化が見られないかもしれず、これだけで近隣関係一般が希薄化していると結論付けるのはやや早計であろう。

また、人々が「地域の空洞化」についての実感を持っているかどうかも微妙なところがある。やはり内閣府世論調査によれば、10年前と比べて地域のつながりが「(やや)弱くなっている」と感じる人は約3割とのことだが、「変わっていない」か「(やや)強くなっている」と感じる人は5割を超えており、こちらの方が多数派である(内閣府〔2007〕、第2-1-25図)。あるいは、10年というスパンではより長期にわたる変化が上手く捉えられないということなのだろうか――既に「空洞化」が済んでしまった後の10年(?)。他方、住んでいる地域の土地柄を聞く質問に対しては、1988年と2007年の比較で、「庶民的で、うちとけやすい感じ」「なにかと相談しあい、助け合う感じ」などの回答が割合を減らし、「お互い無関心で、よそよそしい感じ」「わからない・無回答」といった回答の割合が増加している(内閣府〔2007〕、第2-1-27図)。こちらのデータは、「空洞化」説を補強してくれそうである。


ここまで、敢えて「空洞化」説への慎重な態度を示してきたが、濃密な近所付き合いを望まない人が増えていることは確かである。NHK放送文化研究所が実施している人間関係についての世論調査を近所付き合いについて見ると、最近30年間では「部分的」付き合い(「あまり堅苦しくなく話し合えるようなつきあい」)を望む人が最も多く、概ね50%台前半で推移している(NHK放送文化研究所編〔2004〕、194-195頁)。「全面的」付き合い(「何かにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」)を望む人は1973年には35%を占めていたものの、2003年までの間に20%へと低下して、「形式的」付き合い(「会ったときに、あいさつする程度のつきあい」)を望む人より少なくなっている(内閣府〔2007〕、第2-1-28図、も参照)。生年別にみると、戦前生まれの世代では、後の世代に比べて「全面的」付き合いを望む人の割合と「部分的」付き合いを望む人の割合の差が小さくなっているため、近所付き合いについての意識が戦後に変容したことがうかがえる(NHK放送文化研究所〔2004〕、196-197頁)。


 (同、195頁)
 (同、197頁)


もとより、長期的な近代化の過程で伝統的な村落共同体が解体され、地域社会の結合力の弱体化や地縁的人間関係の希薄化が進行したことを否定する人はいないだろう。それに加えて、以上のデータを総合すると、(世帯構造の変化に注意を払うことが必要であるとしても)最近30〜40年間に地域社会の統合性が一層衰弱していることは確かであると結論しても大きな誤りにはならないように思える。その変化を「地域の空洞化」と呼ぶことも、有り得る選択だろう――私は「流動化」と呼ぶが。

地域社会の流動化は、地域社会に共有されている伝統や慣習の影響力を弱め、近隣関係における共同体的な監視と規律の視線からの解放を実現する。保守的な価値観から逸脱する多様な価値観やライフスタイルへの寛容(無関心)が拡大し、地縁的な人間関係への配慮の必要性が低下することによって、日常生活における個人の自由度は増した。しかし、同時に相互の匿名性が上昇することで、近隣に居住する者同士でも得体の知れない「他者」と感じられるようになり、不安が抱かれるようになる。地域の流動性上昇による不安の拡大は、「家族への内閉」を昂進させ*8、子どもへの愛着を強化するとともに*9、セキュリティ意識の上昇を招き、体感治安を悪化させる*10。自由は人を不安にするのである。



会社共同体と職業的連帯の変容――職場の流動化


地域の流動化は近代化過程から生じている長期的な変動であるが、近年においては、それだけに留まらない別種の流動化も生じている。それが職場の流動化である。先に触れたNHK放送文化研究所の調査では、職場での人間関係についても聞いている(NHK放送文化研究所編〔2004〕、194-196頁)。1973年には、職場での「全面的」付き合い(「何かにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」)を望む人は59%、「部分的」付き合い(「仕事が終わってからも、話し合ったり遊んだりするつきあい」)を望む人は26%、「形式的」付き合い(「仕事に直接関係する範囲のつきあい」)を望む人は11%だったが、30年の間に前者の割合は減少、後二者の割合は増加している。2003年調査では、「全面的」と「部分的」が38%で並び、「形式的」が22%で続く(内閣府〔2007〕、第3-1-8図)。生年別の回答割合では、48年を節目として、それ以前に生まれた世代では「全面的」付き合いを望む人が多数派であり、それ以降に生まれた世代では、若年になればなるほど「部分的」付き合いを望む人が多くなっている(NHK放送文化研究所編〔2004〕、199-200頁)。


 (同、195頁)
 (同、199頁)


こうした変化は、部分的には個人主義の浸透などによって説明できるかもしれないが、より大きいのは脱工業化や日本的雇用慣行の衰退による影響であろう。「経済/労働」で論じたように、70年代から始まった経済構造の変化は90年代以降に一層進行し、そこに長期不況が重なったことで、日本的雇用慣行は変質を余儀なくされた。職場の流動化や労働者の意識変化は、そうした環境の変化から帰結された事態である。


70年代からの顕著な変化を示すのは、労働組合の組織率である。日本の労組組織率は先進国の中では元々相対的に低い水準にあったが、70年代までは30%台に落ち着いていた(「労働組合数、労働組合員数及び推定組織率の推移」@たむ・たむページ)。70年代末から低下傾向が明らかになり、以降は一貫して漸減を続け、2007年現在では18.1%にまで落ち込んでいる(厚生労働省〔2007〕、1)。

組合組織率の低下傾向は先進国に共通して観察される現象であり(「労働組合組織率の国際比較」@社会実情データ図録)、その要因としては、産業構造や就業構造の変化が挙げられることが多い(久米〔2005〕、26-27頁)。同じような労働条件で長時間協働して仕事を行う工場労働者は、比較的組織化が容易である。そのため、第2次産業が主流であった時代には、労働組合組織を維持・成長させやすい。ところが、第3次産業が占める地位が上昇したり、非正規労働者が増加したりすると、労働条件や労働者の均質性が低下するため、組合として団結するのは難しくなる。就業形態別の組合加入率を見ると、正規従業員は3割台を維持しているのに対して、非正規従業員では9割が未加入であり、非正規雇用の拡大が組織率を引き下げている現状が裏打ちされている(下図)。


 (岩井・佐藤編〔2002〕、109頁)


NHK放送文化研究所世論調査では、新しくできた会社に雇われてしばらく経った後に、労働条件についての強い不満が起きた場合、自分ならどうするかを尋ねている(NHK放送文化研究所編〔2004〕、98-99頁)。選択肢は、「静観」(「できたばかりの会社で、労働条件はしだいによくなっていくと思うから、しばらく事態を見守る」)、「依頼」(「上役に頼んで、みんなの労働条件がよくなるように取りはからってもらう」)、「活動」(「みんなで労働組合をつくり、労働条件がよくなるように活動する」)の三つである。一位は一貫して「静観」であるものの、73年時点では「活動」が32%で二位に付けていた。それが88年には「依頼」に逆転され、2003年には18%にまで落ち込んでいる。他方、「静観」は50%に届いた。



このデータに関しては、石油危機後の低成長による経営安定維持を優先する意識の広まりを指摘する立場がある一方(NHK放送文化研究所編〔2004〕、99頁)、組合に加入していない労働者が持っている組合の必要性認識は低下していないことを採り上げて、労働者の間にフリーライダー志向の高まりを見出す立場もある(久米〔2005〕、28-29頁)。だが、そのようなフリーライダー志向の高まりがあるとするなら、なぜそれが生じたのかまでを説明しなければなるまい。それゆえ、直ちに支持するに足る説であるとは言えない。組合一般への信頼度を聞く調査に対する組合未加入の労働者の最多割合の回答が「わからない」(37%)であることを考慮するなら、むしろ――フリーライダーを志向する以前に――組合との接触経験が乏しい労働者の増加による影響が大きいように思われる(下図)。


(岩井・佐藤編〔2002〕、110頁)


ここでは差し当たり、状況論的な分析と構造論的な分析を総合する立場を選択し、組合への期待や信頼そのものはさほど低下していないものの、経営環境への配慮や就業構造の変化に由来する組織化の困難によって、組合の組織や活動が困難に行き当たっているのだと理解しておこう。


経済構造の一層の変化と日本的雇用慣行の衰退が生じた90年代には、職場結婚が減少し(国立社会保障・人口問題研究所〔2006〕、 1-(2)内閣府〔2007〕、)、職場の同僚と旅行に行く人も減っているが(内閣府〔2007〕、第3-1-11図)、これは非正規雇用の拡大を主とする雇用の流動化による影響が大きいと思われる。

企業福祉が切り下げられ、職業能力の開発に向けられるコストも削減される中(同、第3-1-26図第3-1-27図)、労働者は企業に頼らずに自分の力で職業生活を生き抜くことを余儀なくされている(同、第3-1-25図)。もはやかつてのような企業への忠誠心を維持することは困難であり、日本的な「会社共同体」は崩壊している。労働を通じた連帯が困難を極め、職業的な人間関係が希薄化することは、自然な帰結であると言うほかない。



島宇宙化」と「社会」の衰弱

内閣府世論調査によれば、過去と比べて人間関係が難しくなったと感じる人は、6割にも上っている(内閣府〔2007〕、第6図*11。その主な原因として考えられているのは、「モラルの低下」と「地域のつながりの希薄化」である(内閣府〔2007〕、第7図)。また、「人間関係を作る力の低下」といった能力面や、「核家族化」「親子関係の希薄化」「兄弟姉妹の不在」などの家族内部の変容、「学校など教育環境の悪化」のように教育面も挙げられている(「ビデオ・テレビゲームの普及」は位置づけが難しい)。

しかし、戦後の日本で「核家族化」が進行したとの事実は確認しがたいし、少なくとも80年代末頃までの既婚夫婦がつくる子供の数は減っていない以上、兄弟姉妹を持つ人の割合が減っているとも考えられない*12。「モラルの低下」や「人間関係を作る力の低下」などは具体的な検証が困難であるし、「ビデオ・テレビゲームの普及」が人間関係の形成において具体的にどのような影響を及ぼしたのかを検証することも難しいだろう。「教育環境の悪化」については、むしろ教育現場の外部環境の変化によって教育に寄せられる期待が増大した結果、そのように感じられるだけではないかと思われる*13。挙げられている要因の中で人間関係形成の困難に影響していると判断可能なのは、ここまでの議論で検討した「地域のつながりの希薄化」と「職場環境の悪化」ぐらいであると考えられる*14


とはいえ、「モラルの低下」や「人間関係を作る力の低下」が上位に挙げられているという事実は重要である。その実態はともかく、多くの人々がこのように感じるのは、日常生活におけるそれなりの経験に基づいてのことであろう。その経験とはすなわち、自分の行動や状態に対して相手は「本来こうするはず(べき)」である反応が返ってこないという、「予期への背反」であると思われる。制度的/規範的な予期が妥当するのは制度(慣行)/規範に対する認識を共有している――同じ社会に生きている――人の間だけであるから、「予期への背反」を経験する人々が全体の半数程度の規模で存在しているという事実は、モラルや能力の問題であるよりもむしろ、予期の前提となる認識が共有されていないということを明らかにしている。言葉を換えれば、私たちはそもそも同じ社会に生きていない者同士である疑いが濃い。人間関係を形成することが難しくなったのは、日本社会に亀裂が生じ、人々がそれぞれ別の社会に生きるようになったからではないのか、ということである。

このように社会の細分化・断片化が進み、人々が自らの帰属する集団や結社以外への関心や想像力を磨滅させていく事態を、宮台は「島宇宙」と呼んだ。宮台によれば、社会の「島宇宙化」は80年代末に決定的な段階を迎えている。この頃になると、若者のコミュニケーションは「各種の等価な「島宇宙」によって分断され尽く」されてしまい、「島宇宙」相互の間には圧倒的な無関心が横たわるようになった(宮台〔1990=2006〕、281頁)。もはや、異なる趣味共同体に属する他者に対しては、コミュニケーションを成り立たせるために最低限必要な程度の関心でさえ抱かれることは無い。90年代以降の日本では、別の「島宇宙」に属している得体の知れない他者から予期せぬ反応を受けるリスクを回避するため、コミュニケーションを特定の回路に限定し、自らの「島宇宙」に閉じこもることで自我の安定を図る行為態度が一般化している(同、292頁)。別の言葉で言い換えるなら、社会内部で同一の物語を共有できる可能性が低下し、「大きな物語」が衰退する一方でそれぞれの「小さな物語」が乱立する事態が生じているということでもある。


島宇宙化」の進行は、国家に対置される固有な領域としての「社会」≒市民社会を弱体化させる。近代社会では、公的=国家的領域から区別された私的=非国家的領域においては私的自治の原則が支配するものとされ、私人同士の問題解決は基本的に「社会」内部の問題解決能力に委ねられてきた。憲法が保障する人権はあくまでも国家を相手取って主張されるのが基本であり、公権力が市民間の紛争に介入することは抑制されるべきとされてきた(民事不介入)。だが、地域が流動化し、職場が流動化し、家族が個人化するなど、中間集団が衰弱し、個人が自立/孤立するようになると、国家が個人と直に接触するようになり、その存在感が増す。拠り所を失った個人は超越的な存在との繋がりを求めやすくなるし*15、従来の公使分離が隠蔽していた暴力からの保護を求める個人の招きによって、かつて国家が踏み込めなかった領域にまで公権力の介入が実現するようになる*16。独自の問題解決能力を衰弱させている「社会」=非国家的領域は縮小し、国家の役割が拡大していくのである*17



市民的公共性への傾斜――公共化する市民社会


「地域の空洞化」なる表現はネガティブな印象しか与えないが、起こっていることは果たして否定的な効果しか生み出さないのであろうか。そんなはずはないだろう。既に述べたように、伝統的な共同体原理からの個人の解放がポジティブな効果の第一であるが、それだけではない。地縁集団からの個人の離脱は、「地縁とは異なるボランタリズムの原理」による結合を生み出しているのである(武川〔2004〕、330頁)。


近年、人々の社会への貢献意識は高まっており(内閣府〔2007〕、第2-1-30図内閣府〔2008〕、図8)、ボランティアに参加する人やボランティア団体が増加すると同時に(経済企画庁〔2000〕、Ⅰ-1-5図)、注目度も上昇している(同、Ⅰ-1-2図)。特定非営利活動促進法(98年制定・02年改正)に基づき認証された非営利法人は年々増加の一途を辿り、2007年現在で3万を超えている(国民生活審議会総合企画部会〔2007〕、3頁)。NPOやボランティアに参加している人は全体の1割程度であるが、今後参加したいと思っている人は5割に上っている(内閣府〔2007〕、第2-1-32図)。また、国際NGOの総数は、53年から93年までの間に6倍以上に増加している(遠藤〔2005〕、202頁)。



このようなボランタリズムや市民的結社の興隆は、部分的には60年代後半から盛り上がった「新しい社会運動」の流れを汲んでる。かつては市場を念頭に「欲求の体系」として把握されていた「市民(ブルジョワ)社会bürgerliche Gesellschaft」概念は、「新しい社会運動」以後には非市場的な市民的公共圏としての「市民社会Zivilgesellschaft」概念へと再解釈されるようになったが(ハーバーマス〔1994〕)、そうした「市民社会の公共化」は90年代以降に昂進した。

地域社会の流動化から地縁による同質性を期待できなくなる一方で、地縁・血縁を越えた目的意識や利害の共有による組織化が活発になっている現状は、非国家的領域が集団単位の共同体(家族/地域/会社)から、個人単位の市民社会へと再編されたと言うことが可能であるかもしれない。それは、かつて「生活世界」として国家的領域と対峙していた「社会」領域がその凝集の自明性を失い、何らかの目的意識と自発的合意による選択的な凝集しか得られなくなったことを意味する。市民社会再帰性を帯びたと言ってもよい。

「社会」領域の凝集がもたらされる回路が組み換わっても、市民的結社(アソシエーション)の興隆によって国家に対抗的な非国家的領域が維持される可能性が確保されるのであれば、現状は決して否定的に評価すべき事態ではない。むしろ、共同体原理から解放された個人が再帰的に市民的結社に身を投じ、公共圏への独自の接続経路を得ることができるようになるのであれば、それは諸手を上げて歓迎すべき事態ではなかろうか。


もっとも、単純に喜んでばかりいられるのかは微妙である。市民運動や市民的結社の興隆は、「島宇宙化」を体現するものでもあるのだ。一口にボランティア、市民運動と言っても、その内容は多様であり、参加する人々の関心もバラバラである。決して少なくない場合において、その活動は趣味的に行われ、趣味仲間を見つけたり、「自分探し」の一環として行われたりする側面も持っている*18世論調査において、NPOに期待されている役割の1位が「人と人との新しいつながりを作る」ことであるのは示唆的である(内閣府〔2005〕、図3)。通常は市民運動とは区別される労働運動も含めて、現代の社会運動においては、拠り所を失った個人が活動への参加を通じて孤独感と不安を埋め合わせる機能が肥大化しており、活動が自己目的化している面が見て取れる。いわば、社会運動が「カーニヴァル」化しているのである(鈴木〔2005〕)*19

もちろん、出自や関心もバラバラである人々が共に活動することを通じて、日常生活では形成し得なかったような人間関係が成立し、異なる「島宇宙」に橋が架かるような効果が全く期待できないとは言えない。現代の社会運動に読み込まれる「市民社会の公共化」が、島宇宙化を体現しつつ、島宇宙化を克服できるのか(ないしは島宇宙化への対応を打ち出せるのか)。公共性の(不)可能性が問われていると言えよう*20



*1:以下の表は、「常住地又は従業地・通学地による人口(夜間人口・昼間人口)−全国,都道府県,市町村(平成2年〜17年)」@政府統計の総合窓口、に依拠した。従業または通学している人の総数は、全人口から「従業も通学もしていない」人口と不詳分を引いて算出した。自宅外の自市町村で従業・通学の数は、「自宅外の自市区町村で従業・通学」と「自市内他区で従業・通学」の数を合計している。

*2:ここには交通機関の発達が影響していることも無視できないであろう。

*3:ロンドンでは、19世紀の間に、96万だった人口が454万人にまで増加した。また、1840年に31万人だったニューヨークの人口は、1860年には81万人、1900年には344万人となり、1816年に22万人だったベルリンでは、1871年に93万人、1900年に271万人となった。ともに10倍以上の規模への膨張である。江戸時代と比べて人口を減らしていた東京でも、1872年の57万人が、1890年には115万人、日露戦争後の1908年には219万人にまで膨らんだ(佐藤〔1998〕、26-27頁)。1903年に人口5万人以上の都市は25(内地のみ)、総人口は555万人(内地人口の12%)であったのが、1925年には71都市(内地のみ)、1213万人(内地人口の20%)となっており(五味文彦ほか編〔1998〕、416頁)、日本における本格的な都市化は第一次世界大戦後に始まったと言ってよい。

*4:1885-86年にはドイツのG.ダイムラー(二輪)やK.F.ベンツ(四輪)が自動車を発明する。米国では、19世紀末には自動車が普及し始め、1913年にはH.フォードがT型フォード車の大量生産を開始する(佐藤〔1998〕、29-30頁)。自動車が本格的に各国で普及するのは第二次世界大戦後であり、日本では1964年10月の東京五輪に合わせて首都高速道路が開通し、各地の道路が拡張された(東海道新幹線の開通も同時期)。1960年代後半には、いわゆる「3C」の一つとしてマイカーの保有が大衆に促された。自動車の大衆化はミクロには人々の日常的な生活圏そのものを拡大させ、マクロには都市を郊外へと拡大させることによって周辺の農村共同体を解体ないし変質させた。

*5:ただし、山田が指摘するように、「客観的に見れば、子育ては確実に楽になっている」一方で「子育ての負担感はむしろ上昇している」という現実が観察されるのであれば(山田〔2005〕、105-106頁)、問題はそれとして残るし、その理由を検討する作業が必要とされるであろう。

*6:セキュリティ/リスク」の項も参照。

*7:家族」の項も参照。

*8:家族」の項を参照。

*9:教育」の項を参照。

*10:セキュリティ/リスク」の項を参照。

*11:調査データは、内閣府〔2004〕のもの。

*12:家族」の項を参照。

*13:教育」の項を参照。

*14:もっとも、「職場環境の悪化」が具体的に何を指しているのかは不明なのだが。

*15:スピリチュアル/アイデンティティ」を参照。

*16:親密圏/人権」を参照。

*17:この変化は、「生活世界」が衰退して「システム」が全面化したと言い換え可能である。

*18:もちろん、市民運動を趣味的に行うことが悪いわけではない。むしろ私が言いたいのは、多くの人は趣味的に参加しているに過ぎない活動に対して、社会を変革するような大きな役割を期待する側の方に問題があるのではないか、ということである。もっとも、本人たちの間においても、趣味的な活動(文化としての運動)に過ぎなくても、その「心がけ」や「意識」を通じて社会を変えていくことができると信じられていることが多いのは確かである(「政治/イデオロギー」、「スピリチュアル/アイデンティティ」を参照)。

*19:運動の当事者はこのような指摘――「遊びでやっているみたいにいわれる」こと――に激しく反発しがちであるが、機能の分析は主観的認識とは切り離せる問題であるし、その際には本人がどれだけの物理的コストを払っているかという問題は無関係である――「祭」に命を懸ける人もいる(雨宮・萱野〔2008〕、208-209頁)。

*20:もっとも、この際に言う「公共性」とは、既成の社会範囲を前提とした「公共性」でしかないわけで、社会の分裂を追認する――個別の「島宇宙」での公共性が実現されればよいと考える――立場も有り得るだろう。