政治の可能性を奪う予定調和


選挙の季節は、理論と現実の関係に思いを巡らすのに格好の機会である。今日は、日経新聞の社説の一節を採り上げたい。

 首相に批判的な議員の間では、党とは異なる独自の政権公約を掲げて選挙を戦おうとする動きがある。これは政権公約と党首(首相候補)を比べて政権を選ぶという衆院選の趣旨に反する行為であり、容認することはできない。独自の政権公約を訴えるなら、潔く離党して新党をつくるのが筋である。


「社説1 政権選択選挙の名に恥じぬ政策論争を(7/22) 」NIKKEI NET


政権を選択することが衆院選の趣旨(目的)なのか機能なのか、という議論は置いておこう。扱いたいのは、選挙区の候補者が所属政党と独立の政権公約を掲げて選挙を戦うことは、何か問題ある行為なのか、ということである。結論から言えば、問題は無い。理念的な観点からして、特に批判されるべき要素を持っていない。

政党の得票に基づいて議席を獲得する比例区の候補者とは異なり、選挙区の候補者は、候補者自身の代議員としての適性を有権者の判断に委ねることになる。所属する政党およびその公約は、有権者が判断に用いる材料の一部に過ぎない。選挙の結果として樹立される政権は、そうして選出された候補者の集積として出来上がる。

また、特定の地域集団によって選ばれる特性上、選挙区選出の議員は、(部分集団の利益に奉仕しない「国民代表」としての要請に拘束されると同時に)選出母体の利害と意思を議会に伝達・反映させる役割を担うことになる。政党および議会内の討論の意義を否定するのでない限り、決定・実施される政策は、そうして集積された多様な利害と意思の融合や調整、取捨選択を通じて形成される(べき)ものである。

独自の公約を掲げる候補者を適格と認めるかどうかは有権者が判断することであり、適格と認められた候補者が自らの公約をいかにして実現させるのかは、彼の政党および議会内での議員活動にかかっている。候補者が独自の公約を掲げることを批判するのは、政策形成を政党執行部の選挙前の方針に還元し、有権者の審判を受けた後における代議員個人の議員活動の意義を否定することを意味する。そのような予定調和的な思考は、そもそも政策形成の拠って立つべき民主的基盤を無視するものであり、いかに政治の安定性や効率性を持ち出そうとも正当化できるものではない。

したがって、党の公約と異なる公約を掲げる候補者には公認を与えるべきでない、などと政党側を批判するのであれば理解は可能だが、候補者の独自公約そのものを否認するべき理由は見当たらない。まして、独自公約の存在が「衆院選の趣旨に反する」とするのは、端的に誤りである。独自公約の内容や、その実現可能性についての判断は、有権者各位が行うだろう。整合性の無い理屈で、私たちの選択可能性の幅を狭めるべきではない。

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