軍隊への幻想あるいはリアリズムをめぐって


2005/05/25(水) 18:35:03 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-73.html

大屋先生、いつもありがとうございます。
「絶対的平和主義をめぐって」@おおやにき


個人的にもう少し深めたいのはこの辺りの議論。


国家として軍隊を持っている状態は個人の非暴力抵抗を許容するが(権利としての良心的兵役拒否によっても、事実としての兵役拒否(と投獄)によっても非暴力抵抗は貫かれる)、国家が絶対的平和主義を選択した状態は個人の実力行使による抵抗を許容しないという非対称性である。この点、国家が「良心的兵役拒否」をしても個人の自衛権は消失しないという立論もあるが、Mutual Assured Destruction……はまだ続いてるのかな。とにかく核兵器の時代において個人の生命身体への具体的な危険は遍在しているのであって、個人自衛権と集団の自衛権を切断しようとする議論は成功しないと思う(*3)。


(*3) さらに言うと個人自衛権によって可能になるのは事実としての抵抗であり、合法的な抵抗ではない。交戦権を否認する憲法は、私から捕虜として扱われる権利をも奪う……と書くと最近では組織された民兵戦時国際法で保護されるというツッコミが来そうだな。しかし私はこの点においてカール・シュミットの強い支持者であって、戦争にius causaを持ち込んで国家から分散させたことが悲劇の始まりだと思うのですよ。


ですが、さしあたり返答の必要を感じるのは、以下の部分。


きはむ氏の「でもできれば殺したくない」という部分を軍隊は体現していないのではないかというのは、浅いかな。軍隊というのは人を殺すためではなく相手の抵抗力を削ぐための組織だから、無駄に殺せばいいものではない。そのために交戦規定があるし、虐殺は(現実に往々生じ得るとしても)逸脱と位置付けられる。もちろんそれは抵抗力を削ぐためには殺さない方が望ましいという冷たいリアリズムと裏腹ではあるわけだが。 (中略) 政治も外交もそれが有効に機能するためには背景となる実力が必要だし、実力という面において軍隊のような暴力と例えば経済力とは、本質的には違わないでしょう。「金がないのは首がないのと同じ」、経済制裁の方が軍事介入より「きれい」だなんてのは死化粧と同じ偽善ですよ。


う〜ん、前回のエントリがよほどナイーブ過ぎるように読めたんでしょうね*1
釈明させていただきますと、私は経済制裁の方が軍事介入より「きれい」だなんて思ってません。powerにきれいもきたないもよいもわるいもないです。その位わかっております、とは言わせてください。
また、「きはむ氏のエントリには戦争=地獄観が見え隠れしているように私は思う」byよこはま氏(コメント欄)、とのことですが、ご推察のとおりです。戦争は地獄だと思います。ただし、戦争以外が地獄ではないとも思いません。その点、それなりにフラットに考えております。


そういった意味で、私は、一方で軍事力の行使だけをとことん悪く描き、他方でそれ以外の手段を美化するような偽善は装いません。ただし、私のエゴとして、「紛争解決においては、基本的に、軍事力の行使よりもそれ以外の手段を優先させるべきである」という主張は声を大にして言わせていただきます。それは、戦争がそれ以外の地獄よりも一般に許容し難いと考えるからです。
このエゴは少なくない方が共有可能だと思います(エゴを「共有可能」と言っていいものかはともかく)。そして、このエゴに従って、最後の最後まで軍事力の行使の必要性を疑うことの重要性は、いくら強調してもし過ぎることは無いはずだと信じます。ついでながら、軍事的手段にしても「威嚇」と「攻撃」との間にもかなりの距離がありますからね。銃を背後にちらつかせて合意を迫るのも実際に銃で攻撃して合意させるのも同様の「きたなさ」かもしれませんが、私はたぶん前者を選好すると思います。そうした選好の行き着く先は軍事力を基準にした奴隷的秩序ではないかと批判する向きもあろうかと思いますが、本当に自己防衛を第一に考えるのであれば奴隷や被占領国民となる選択肢も排除するべきではないと考えています。前エントリでの「国家解体の必要性」への言及はそうした可能性を含んでいます。


さて、引用部冒頭の「浅い」とのご指摘ですが、当たっていないと思います。
述べておられるのは結局、軍隊は「殺す必要が無い」か「殺さない方が有利だ」という判断を往々にして行うというものであって、それは目的遂行上の効率性・実利性に基づく判断ですから、「(でもできれば殺したくないな)」という欲望の現れとして捉えるのは不適当でしょう。
また、軍隊は目的遂行上、人も殺すし、抵抗力を削ぐだけの時もあるし、ということであって、どちらかを強調することもできないと思います。(蛇足として、これを言うのはどうかなと思いながら言うと、まぁ、その、何と言うか・・・、現場では、いくらでも無駄に殺すでしょうしね。)
であるので、「(でもできれば殺したくないな)」という自らの欲望は軍隊に体現されていると信じる分には自由かもしれませんが、実際にはそんな「人間的」配慮は徹底的に排除していこうとするのが軍隊ですから、軍隊に体現されている我々の欲望は「殺されるくらいなら殺す」まで、と考える方が妥当でしょう。


その他のことは、あまり違和感を感じる論述はありません。
将来的には自信を持って絶対平和主義の立場に立ちたいと考えながら、まだその方面の本格的な勉強を先送りにしている身としては、大屋氏その他諸氏が指摘している色んな問題・困難を痛いほど感じながらも、それらを論じるのは、とりあえずもう少し俟とうという考え。
危険性を感じながらも、やや軽はずみに足を突っ込んじゃったばっかりに、汗水たらして書き書き。泥沼にならなきゃいいけど…。




祝、真心復活
上と全然関係ないのもアレなので、これ、かけときましょうか。


拝啓、ジョン・レノン真心ブラザーズ

コメント

two replies
前半部について。わかってるならOKというか、私には狙ったところ以外にも弾を散らす癖があるのであまり気にしないでくださいな。で、エゴとしてというかひとまずは個人的選好として戦争以外が望ましいということと、現実の武力行使より威嚇の方が望ましいという判断についてはアリだと思うし、私もそう思っている。ただまあ、威嚇が威嚇として機能するためには現実の行使可能性が相手に信頼されなければならないということと(これはわかってると思うけど)、奴隷化というような選択肢を他者に強制しうるかどうかが問題ではあるわな。特に後者は、現行憲法体制では仮に本人の同意があったとしても排除されるオプションだからね(ラディカルな問題提起としてアリだが、私は同意しないな)。


後半部について。「殺さない方が有利だ」という判断もあるのだが、「殺しても殺さないでも等価」あるいはむしろ「殺した方が有利」な場合でも、抵抗力減殺に成功していれば殺させないでしょ、正しい軍隊は。相手方が遺棄した傷病兵や捕虜は自国の資源を消費するから殺害する方が楽なんだけど、基本的にはそうしない。これを「殺すのは軍隊の欲望、止めるのは我々の理性」と理解するのは楽なんだけど、まさに疎外に他ならんよなと思う。
現実の問題をするとさらにややこしくて、第二次大戦ではその後の調査から「殺すべき時に殺していない」ことが問題になった(直接はアメリカの話)。これでは困るのでベトナムではとにかく殺せるように教育したら、「殺すべきではないときに殺す」ようになってしまってやっぱり軍隊は困った。近時のRMAにはコントロールを強化して「現場の暴走」をやめさせるという狙いがあって、つまり軍隊自体はコントロールされた欲望の組織なんだろう。ま、政治の延長だしね。
問題はwe kill for peaceをどれだけseriousに捉えられるかということではあって、繰り返すが『俺はいやだ』というのはアリ。ただ、全員一致であきらめられるのでない限り、「俺はいやだ」と言うこと自体が他の誰かを暴力へと追いやっていると言うことは、わかっていると思うけど、自覚しておいてほしい。


2005/05/27(金) 13:40:26 | URL | おおや #wLMIWoss [ 編集]


疎外とエゴイズム
そうですね。もちろん兵士一人一人も人間ですから、それぞれの欲望や感情を持っていると思いますし、軍隊と我々をパッキリと分けてしまうのは愚です。
私が指摘したかったのは多分、「(でもできれば殺したくないな)」という部分の欲望も体現されているはずだという期待が過剰になることによって、自分が関与しないグロテスクな部分を考えないようにする機能が働く危険がある、といったことです。近代的軍隊の人間性や理性の美化で罪意識の軽減を図るというか、つまりこれも疎外ですよね。軍隊の非人間性を強調する側、人間性や法的規制力を強調する側、どっちに転んでも疎外を働く危険があるということではないでしょうか。
奴隷は、個人的選好の選択肢としては排除すべきでないと考えるわけで、一般強制化はダメでしょうね。最初に引用しているように、国家・社会の原則と個人の選好の隔たりとバランスの問題こそが重要だと考えていますので、大屋先生のご指摘は参考になります。
個人的には、井上氏のように「逃走論」は幼稚なエゴイズムだからといって簡単に退けられると、ゲンナリしてしまいます。そりゃそうですけど、そこを出発点にしなくてどうするんでしょう。まぁとっくに出発して遠いところまで来たのが井上正義論なのかもしれませんが、どうも道徳的過ぎる気がするんですよね。ふぅ、リベラリズムか…。
2005/05/27(金) 15:11:58 | URL | きはむ #- [ 編集]


追加
よこはま氏の挙げた「戦争=地獄」観だが、長谷部氏の著書をチェックしたらやはりそういう話でもあるのだけれど、単に戦争が悲惨だというだけではなく、だからそれを終焉させるためには何をしても許されるという話に結びつく。つまり奴隷化の受容が片方に(それが君の言う通り個人の選択としてあり得るという点については認める)、そして戦時国際法を無視するような正戦論がもう片方にある。もう一つ、それは戦争状態が絶対的な悪であることを主張し、絶対的ということは比較可能性を拒否するということなので、「戦争以外も地獄でないとは言わない」という(君もそうであるが)クールな見方とは、多分食い合わせが悪い。このあたり、単に「戦争=地獄」という字面だけではなくてなんでWalzerが(だったよな)そういうこと言ったかというところまでチェックせんといかんなと(私が)思ったので、ついでにここに書いておきます。しかしWar is Hell, IndeedってFull Metal Jacketだよなと。
2005/05/27(金) 22:08:07 | URL | おおや #wLMIWoss [ 編集]

TB


平和論ノート(1)平和を諦める http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070117/p1