「内田氏批判」観覧のあとがき


2005/06/25(土) 18:16:25 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-89.html

「居直り」という問題 その1
「居直り」という問題 その2
内田批判のまとめ


araikenさんが内田氏批判劇にひとまず幕を下ろしたわけで、わざわざリプライを頂いた身としては、何か改めて少し書こうかなとも思ったが、結局やめた。
コメント欄にて言いたいことは言ったし、新たに書こうと思ったことも、araikenさんが望むような内容ではない上に、これ以上の「建設的対話」を導くものに思われなかった。
だから、このエントリもあえてトラックバックを送ることなく、こちらでもこれを以てまとめとしよう。


少し思ったのは、一連の観覧ややり取りを通して、自分の中に何が残っただろうか、得られただろうか、ということだ。その答えはいまいち分からない。一連の議論は「建設的対話」であったろうか。


araikenさんは終始内田氏の「矛盾」にこだわった。正直言って、私にはそれはどうでもよかった。だからあえて内田氏のエントリから離れたところから横槍を入れ続けたのだし、自分の問題関心と気まぐれに沿うように、araikenさんを利用したのである。
その結果何が残ったのかは、やはりよくわからない。結局、自分の問題関心は自分で考えろ、ということかもしれない。


araikenさんが望むもの(内田氏の「矛盾」の説明)がaraikenさんの批判の仕方で出てくるのか、私は疑問に思っている。しかし、それはもういいだろう。
araikenさんの問題意識はある程度まで共有できるし、その考え方は私も嫌いじゃない。価値相対性の認識が自分自身の足場にも及ぶことを指摘している点で、無自覚な文化相対主義者などと一緒にはできない。
それでも、特に上記三本のエントリを読んでその印象が固まったのだが、araikenさんが、宮台真司言うところの「馬鹿左翼」(リチャード・ローティ言うところの「文化左翼」)とほぼその姿を重ねることは、どうやら確かだ。そして私は、それではダメだと思うのだ。ダメというのは、少なくとも私はその道を採れない、ということに過ぎないが、その次元にとどまる限り、内田氏や宮台氏はこれをまともに相手にすることなく、無視や嘲笑を適度に与えるだけでよしとするだろう。そこに「建設的対話」は無い。


ただ、「無目的で祝祭的な社会、コミュニケーション」ということをもう少し説明してくだされば、また少し印象が変わるかもしれない。ま、過去のエントリを読めば書いてあるのかもしれないが。


ともかく、どうも、結論は、他人に頼らず自分で考えろ、ということらしい。やっぱり。

コメント

きはむさんこんにちは。
読んでいただいてありがとうございます。まあ、宮台さんの「馬鹿左翼」についてはもう少しよく考えてみます。個人的にはきはむさんの問いかけは私にとっては有意義なものだったと思います。とりあえずまとめはしましたが内田批判についてはたぶんまたやることになるだろうと思いますので、何かあったらまたコメントなりをください。

私自身の考えはエントリーにのせた通りです。ただ、「その次元にとどまる限り、内田氏や宮台氏はこれをまともに相手にすることなく、無視や嘲笑を適度に与えるだけでよしとするだろう……」ってとこについては、宮台さんについてはともかく、もし内田さんが嘲笑するなら、「何を偉そうに!」って言ってやらなければなりません(笑)。

2005/06/27(月) 01:33:27 | URL | araiken #- [ 編集]


どうも、毎度偉そうですいません。
イメージとしては内田氏=無視、宮台氏=嘲笑という構図を考えて書きました。内田氏が「無視」の立場かどうかは微妙っちゃ微妙ですし、あくまでイメージですが。
また失礼することもあるかと思いますが、どうかご容赦下さい。
2005/06/27(月) 14:13:22 | URL | きはむ #- [ 編集]

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祭りのあと―世界に外部は存在しない http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070121/p1