失敗、責任、反省、改良


2005/07/08(金) 18:31:42 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-98.html

出発点はこれでいいけど、


http://tsurutaka.blog6.fc2.com/blog-entry-56.html


こうした認識も不可欠。


http://taishin.blog5.fc2.com/blog-entry-53.html


もちろん、私の暴力は構わないが、彼らの暴力は許さない、という立場にはそれ自体としてはそれなりの整合性がある。
でも、その立場を貫くのも現実には難しいでしょう。力で押さえつけようとしても限界があるし、こういう犯罪を防ぎきることは無理。
交通事故のようなもの、と割り切って生活しろという人もいるかも知れんが、どうでしょうか。クレイジーな犯罪者がこういうことをするのはいつでも有り得る、というのは確かにそうだが、こういう政治的テロは政治的に防げる余地があっただろう。
防げる余地があるのなら、防ごうよ。その方が合理的。


アルカイダ系のテロにせよ、チェチェン系のテロにせよ、反日暴動にせよ何にせよ、体制へのカウンター的な暴力というのは、端的に、体制側の政治的失敗を意味している。直接的な暴力を発露させた時点で、明白な失敗の証明である。
明白な政治的失敗である以上、政治的責任が問われて然るべきである。確かに、直接的な責任主体を名指しするのは困難かもしれない。しかし、最近のアメリカ政府や日本政府およびその周辺の無反省ぶりはひどい(技術的な部分の反省はあっても、政治的な部分での反省はない)。国民も積極的に責任を問おうとしない。テロに屈しないことと責任を問うことは別だろう。その点でマドリッドのテロ後の政権交代は筋が通っていた。


無反省ということは、同じ過ちを繰り返しやすい、ということだ。
日本で今回のようなテロが起こるかどうかはともかく(その可能性は高いと思うが)、我々がまず認識すべきなのは単純なこと。
政治家は失敗したら責任をとるべきだ、という事。
人間は失敗したら反省した上で同じ過ちを繰り返さないよう努力すべきだ、という事。
努力の内容は人によって考えるところが違うかもしれないが、反省すらないのがむなしい。反省がないということは、失敗と認識していない、ということか。
これだけ継続的に死者を出している現実があるのに失敗の認識がないということは、やはり「この程度の」犠牲者は織り込み済み、勘定に入っている、ということだろうか。


多くの人が、どこかで「この程度の」犠牲者は「仕方ない」と思っている。それは政府内の人間だけじゃなくて、国民の間にそうした意識が見えるからこそ政府側もそう動く。
本当に殺人(暴力)を糾弾する気があるのなら、まず、自分がどこかでそれを「仕方ない」と思っていないのか、自問する必要がある。
「仕方ない」という意識が広範に存在する限り、それは失敗とは認識されない。失敗でない限り、その路線は継続され、結果としての犠牲者は生み出され続ける。


この構造は、交通事故に関するジレンマと似ている。
我々は、自動車が広く流通するで得るベネフィットとコストを秤にかけるように、既存路線を継続することで得るベネフィットとコストを秤にかけることになる。
自動車が不可避的に一定量の人命を奪うように、既存路線も不可避的に一定量のテロを呼び起こす。我々は、殺人兵器になる可能性が高い自動車から多くの利得を得ているように、特定の人々をテロに導く可能性が高い(ような構造的暴力を含んだ)既存路線から多くの利得を得ている。
さて、秤はどちらに傾くだろうか。それは自明だ。
我々は、自動車がそうであるように、既存路線もまた、完全に捨て去ることは不可能で、多少改良を加えることができるに過ぎない、と思っている。「仕方ない」と思っている。だから、テロリストを非難し、政治家は問責せず、根本的な反省は行わず、改良は技術的なものに留める、というパターン化した反応に収まる。予定調和だ。


私は、普遍的な暴力を問題にするような倫理的アプローチよりも、個人の利害意識に働きかけるアプローチの方が有効だと思っている。
だからこそ反省を促したい。本当に既存路線を貫いた方がベネフィットが上回るのか。コストは、犠牲は、「仕方ない」で済ませられる範囲なのか。そもそも既存路線から我々は何を得ているのか。それはそんなに大したものなのか。
私自身は、大したものは得ていないと思うし、コストの方が大きいと思う。


最後に、これだけ。
爆風に吹き飛ばされる瞬間に、あんたは「仕方ない」と思えるのか。
それだけ教えて欲しい。

コメント

 「多くの人が、どこかで「この程度の」犠牲者は「仕方ない」と思っている。それは政府内の人間だけじゃなくて、国民の間にそうした意識が見える」という点、いい加減うんざりしてきますね・・・。立場の交換に対する想像力の欠如。
 「個人の利害意識に働きかけるアプローチの方が有効だと思っている」に、全く同感です。まあ、あくまでも自分の場合、倫理的な言説の影響を全く受けないという反映でそう考えるわけですが(苦笑)。


 そうですよね、「本当に既存路線を貫いた方がベネフィットが上回るのか。コストは、犠牲は、「仕方ない」で済ませられる範囲なのか」という理性的な検討がやはり足りていないと思います。全ての国民が、そんな思考コストを負うのは辛いかもしれないが、せめて政治家ぐらいは、ちゃんとそれを考えてくれよ、と。

2005/07/10(日) 02:08:06 | URL | taro #- [ 編集]


トラバ送れなかったですが。
http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050708
2005/07/10(日) 10:20:17 | URL | dojin #- [ 編集]


>taroさん
コメントありがとうございます。
とりあえず予定調和は脱したいものです。


>dojinさん
拝見してました。
論理の乱暴さなど、どしどしご指摘下さい。


2005/07/10(日) 14:02:57 | URL | きはむ #- [ 編集]

TB


平和論ノート(2)平和をたぐり寄せる http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070118/p1