禁欲と冒険の間


2007/01/19(金) 17:56:18 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-315.html

鈴木直『輸入学問の功罪』(筑摩書房:ちくま新書、2007年)


なかなか面白かった。論の筋はシンプルであり、翻訳者・出版社・大学のもたれ合いのために市場メカニズムを介した淘汰機能が働かず、読者の目を意識しない逐語訳主義が思想・哲学分野の翻訳書に根強く残り続けている現状を批判している。批判を補強するべく、日本の近代化の過程と特徴を整理し、そのために日本に影響を与えたドイツにおける近代化まで遡り、さらにカント哲学やヘーゲル哲学の簡単な解説まで行っているところが本書の特色だろう。


著者は、その筋では一流である学者達が日本語として意味不明な訳文を確信犯的に生産し続ける構造の由来を、「上からの近代化」によって現実の民衆生活と切り離された日本的アカデミズムの権威主義に求める。目下刊行中の岩波新書近現代史シリーズが提示する観点からすれば*1、本書が行う日本の近代化についての図式的整理に対して細部で異論を唱えることもできそうではある。ただ、「上からの近代化」によって、それまでの日本社会が有していた異なる可能性の芽が摘まれてしまったとの認識そのものは、岩波シリーズの観点と共鳴するように思える。


逐語訳主義を受験外国語と結び付けて、権威主義・エリート主義に対する批判から競争社会・学歴社会に対する批判へと向かう本書の主張は、一見ステレオタイプにも思える。割合素直に読むことができたのは、冒険的な意訳でよかろうと一方で思いつつ、実際には無難な逐語訳に傾きがちな自らの身を省みたせいだろうか。


ともあれ、本書が最後に示す、原著者が「潜在的可能性として手にしていた表現の束全体を翻訳対象」と捉え、原文において選ばれている表現を「いったんもとの束に戻し、あらためてそこから、日本語への翻訳にもっともふさわしい」表現を選び直すことこそ翻訳がなすべきことである、との基本姿勢には賛同できる。結局のところ、(形式や用語の選択も含む)原著者の表現意思を尊重するための禁欲と、読み手の理解を助けるための冒険と、二つの必要の間でいかにバランスをとるかという点に、翻訳の役割と妙味は尽きるのである。もちろん、それが実際には容易ではないから困っているわけだが。


輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)

輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)