『世界』5月号雑評


2007/04/11(水) 17:00:51 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-332.html

『世界』5月号の幾つかの記事を読む。若干のコメントだけ。


丸谷才一と長谷部恭男の対談。戦争は政治体制(国体)を守るために起こる、という長谷部の議論はいつもながら面白いな、と。長谷部の議論というのはやはりどこか突き抜けたところがあって、国家=国家体制=憲法なのだから、愛国とは必然的に憲法パトリオティズムにならざるを得ないのだ(『憲法とは何か』)という論も非常に興味深く読んだのだった。とはいえ、民主化したから冷戦をする意味もなくなった式の言い方は、デモクラティック・ピース論へと容易に傾きかねないよなぁ。


西原博史「君が代」伴奏拒否訴訟最高裁判決批判――「子どもの心の自由」を中心に ――」は、割といいのではないかと思うのだが、どうか。「子ども中心主義」と教育の本質的性格をどう整合させるのかという問題は残りそうだが。この判決については大屋さんが部分的に触れている判例これ。いずれにしても、子どもないし教育現場をイデオロギー闘争の具にするな、といったマスコミがよく持ち出す総論賛成的建前は虚妄すぎるので捨て去ったらどうか。将来の政治主体を育てる教育現場が闘争現場にならないわけないだろう。未成年にも思想・良心の自由があり、政治的権利がある(選挙権は無い)。子どもを闘争から遠ざけようとすること、ないし闘争を隠蔽しようとすることもまた、「子ども中心主義」から最も遠い。


あと読んだのは、白取祐司「日本型「被害者参加」の導入で刑事裁判はどうなるか――法案への疑問―― 」。独仏の制度との比較を交え、参考になる。この法改正については以前メモした*1。法案要旨はこれ。慎重派・反対派の意見として、日弁連の会長声明水島朝穂のコラムを挙げておく。あと、推進派、と言うか法案作成にもかなりの影響力を行使したとされる全国犯罪被害者の会(あすの会)のHP。遺族の状況や感情が多様であることや、裁判過程外での被害者支援の充実が必要であることは当然なので、どういう形の裁判参加ならば許容しうるのかという土俵で争って欲しい。いずれにしても私は勉強不足。難しい。


憲法とは何か (岩波新書)

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