2009年にしたこと&滝口清栄『マックス・シュティルナーとヘーゲル左派』


昨年末は一応「2008年の3冊」を選んだわけですが、今年はそもそも本を読めていないので、まぁ無理です。代わりに、今年一年で何が出来たんだろうな、ということを書き留めておきます。


このブログも来年の2月で丸5年を数えることになるわけですが、今年はこれまでとは別段の注目を集めることのできたエントリが幾つかありました。5月に「正しいのはオレだ」がはてなブックマーク数で初めて100を超えたのを目にした時は少し気持ちが悪い思いをしたものですが、その後9月には「数学を勉強することの意味――「1+1」の思想」が約500、翌10月には「『ONE PIECE』における正義と信念の問題」が約400のブックマーク数を集めたせいで、多少慣れた気がします*1

同10月には、いわゆる「民主主義2.0」へのリアクションとして(読まれた)「ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解」にも多くの反響を頂きました*2。「民主主義2.0」ネタと言うか、東さんの国家論・民主主義論については以前からたくさん書いてきているわけですが、それがある程度煮詰まってきたのかな、という気がします。


より広い視野において、あるいはまたブログの枠に留まらず、ということで言えば、「自由の終焉――「配慮」による内破と自己性への転回――」と題する論文を公表したことも、個人的に重要な出来事でした。それこそ東さんとかの議論に影響を受けながらずっと考えてきたことを自分なりにまとめることができたわけで、去年書き散らした「現代日本社会研究のための覚え書き」を足場にしつつ今年はこれ、ということで、一応じりじりと前には進めているかな、と。


研究そのものは進んでいないながらも結構たくさん書いた気がするのは、民主主義論・デモクラシー論とstakeholder democracy関連ですかね。「民主主義2.0」ネタを枕にした「パラダイム」もそうですが、濱口先生の「ステークホルダー民主主義」に触発されたこともあり、ありものを使って何か色々言いました。

一方で「かかわりあいの政治学」シリーズは止まってしまっているわけで、どうにかしたいとは思っています。とりあえずD.ヒュームを読み返すことから始めてstake概念を練り直し、色々試しながらまた練る、ということを繰り返す必要があると思っているので、まぁ時間はかかります。なので、これに関してはゆっくりやろうと思っています。


他方、そろそろエンジンをかけてやっていきたいと思っているのは、シュティルナー関連です。こちらは、もう練るところは大して無い。ケリを付けていかなければならないと考えていた今日この頃に、以下の本が出版されました。


マックス・シュティルナーとヘーゲル左派

マックス・シュティルナーとヘーゲル左派


著者については以前に触れたことがあるように、シュティルナーを扱った論文を幾つも書いている方で、本書はそれらをまとめたものです*3。特に4章と5章、それから8章がシュティルナーを中心的に扱った内容となっています*4。まだサーっと眺めてみただけですが(初出論文は全部読んでいるので)、変な曲解やイデオロギー過剰な批判に付き合わされずに、ヘーゲル左派研究史におけるシュティルナーの思想的位置付けや影響関係を勉強することのできる良書ですから、ご関心の向きは是非。

シュティルナー理解の細かい点については様々異論がありますけれども、「シュティルナー」をタイトルに含む研究書の公刊を素直に喜びたいと思います*5。私はこれまで、住吉雅美『エゴイストの哄笑――マックス・シュティルナーの近代合理主義批判』を「シュティルナーに関する日本で唯一の学術的研究書」と紹介してきましたが、「最初の」と改めなければなりません。社会思想史上におけるシュティルナーの地位を探った滝口著は、法哲学的関心からシュティルナーに迫った住吉著とは異なるタイプの研究書として、並び立って参照される必読文献になるでしょう。

なお、大変ありがたいことに、滝口著第4章の末尾において、私が作成した研究文献目録の紹介が為されています。日本におけるシュティルナーについての代表的研究者の一人である著者に目を留めて頂いたことを、本当に嬉しく思います。同時に、怠らず更新・充実を図っていかなければならないな、と身が引き締まります。


そんなわけで、「2009年の〇冊」ということで言えば、年の瀬も押し迫った時期に今年一番の収穫があったことになるのかな、などと思ったりします。毎年同じことを言っていますが、来年こそもっと多くの本を採り上げて書評などしていきたいですねぇ。それでは、よいお年を。

*1:「『ONE PIECE』における…」は「正しいのはオレだ」の姉妹編ですが、これらのエントリを書く基盤になった論文は未だに眠らせたままにしているのが残念です。

*2:以前も述べたように、このエントリは「「一般意思2.0」の勘所、あるいは「データベース民主主義」の理論的位置」と併せて読んで頂くのが「民主主義2.0」解釈上では最良だと思うのですが、筆者のそうした希望はなかなか叶わないようです。

*3:それにしても、著者が修士論文の時からシュティルナーを研究してきたということは、今回初めて知りました。

*4:それぞれ初出は、滝口[1982]「M・シュティルナーにおける唯一者と連合の構想――青年ヘーゲル派批判とその意義」『法政大学大学院紀要』第9号、滝口[1989]「L.フォイエルバッハの思想的転回とシュティルナー」『社会思想史研究』第13号、滝口[2003]「もう一つの『ドイツ・イデオロギー』」『情況』(第3期)第4巻第3号(通号27号)。

*5:一つだけ印象を述べておくと、私がシュティルナーの中で最も重要だと見定めるのが「自己性」や「享受=賞味」、「反逆」であるのに対して、著者が主として関心を寄せるのが「連合」であるというのは面白いなぁと思います。そういえば、住吉的シュティルナー解釈の力点は「唯一性」(単独性)や「移ろいゆく自我」にあり、これもまた微妙に異なった部分に光を当てているのでした。