『ミル自伝』抜粋


ミル自伝 (岩波文庫 白 116-8)

ミル自伝 (岩波文庫 白 116-8)


私の父は、私の学ぶいかなることも、それが単に記憶力さえ働かせればよいことに堕するのを決してゆるさなかった。父は私を教える一歩一歩に、理解力が平行して進むように、いやできることなら理解力の方が一歩先に進むようにと、骨を折った。考えればわかるようなことは、私が自分でわかろうと骨身をけずってついにかぶとをぬぐまでは、決して父のほうから教えようとしなかった。…[中略]…私は今もおぼえているが、私が十三歳のある時、私がたまたま観念という言葉を使ったところ、父は観念とは何だと問うてきた。そして私が満足にこの言葉を定義し得ないでいると不興の意を表明した。また私が、何かは理論上正しいが実際的には修正の要があるという普通に用いられる表現を用いたとき、父が、理論とはどういうことか定義して見ろと言って私をヘドモドさせたあげくに、その意味を説明し、私の用いたごく卑俗な言い方のあやまりを指摘したことも記憶している。私にはその時、理論という言葉の正しい定義も言えないくせに、それを何か実際とは両立しないもののように考えてその言葉を用いた点、われながらとんでもない無知を暴露したものだということがよく納得がいった。こういう点、父ははなはだ不当だったように見えるし、またあるいは事実不当だったかも知れない。が不当だったのは私の失敗に腹を立てた点だけだったと私は今考える。自分にできないことは何一つ要求されない生徒では、決して全力をつくすことにはならないのである。


(第1章、36-37頁)


 政治の面では、代議政体と言論の完全な自由という二つのことの効力にほとんど無限の信頼をおいたこと。理性が人間の精神に働らきかけることをゆるされさえすれば前者は必らず後者を動かし得るということを完全に信頼していた父は、全国民に読むことを教えさえすれば、そしてあらゆる種類の言論が言葉でなり文字でなり全国民に呼びかけることをゆるされさえすれば、また、普通選挙によって国民が自分たちの抱く意見を実現させる議会を指名することさえできれば、それで万事は達成されるかのように感じていた。議会がある階級のみの利益を代表しなくなれば、それは当然誠実にまた十分な叡智をもって国民全体の利益を意とするようになるだろうと父は考えた。国民は当然、教育のある知識人の指導に十分に服して、一般的には自分たちを代表する立派な人物をえらぶ、そして選んだあとはその選ばれた人たちが十分に思慮分別を行使するにまかせておけばよいのだから、というのだった。したがって父の目からは、貴族の支配、どういう形にもせよ少数者のおこなう政治というものが、人間の中に見出される最高の叡智によってすべての行政がおこなわれることをさまたげる唯一のものとして、最も手きびしい非難をむけるべき的であり、民主的な選挙こそは父の政治的信条の第一条、それも従来民主主義の擁護に普通用いられて来た自由とか人権とかその他多かれ少なかれ有意義な字句を根拠としてではなく、ただ「よき政治への保障」の最も本質的なものとしてそうなのであった。この点でもまた、父が堅持して譲らなかったのは父自身が本質的な点と考える諸点だけであった。つまり、国家形態が君主制か共和制かということには父は比較的無関心で、その点国王とは社会を腐敗させる巨魁であって必然的にはなはだ有害なものと考えたベンタムとはくらべものにならなかった。


(第4章、97-98頁)


…(前略)…それからもう一つ、どういう政治制度をえらぶかは、当該国民をさらに進歩させる条件として生活なり教養なりのどういう大きな改善が順序からいってこの次に望ましいか、どういう制度がそういう改善を最も促進しそうであるか、の考慮によって主にきめられるべきであり、そう考えればこれは物質的利益の問題というより道徳上教育上の問題だと見なすようになってもいたけれども、にもかかわらず私の政治哲学の前提がこのように変化したことは、私自身の時代や国が何を要求しているかについての私の実際的な政治上の信念を変えはしなかった。私はヨーロッパにとって、特にイギリスにとっての、いよいよ急進論者となり民主主義者となった。私は英国の憲法上、貴族階級すなわち貴族と金持とが支配権を握っていることを、どんなに争ってでも廃止するに値する悪と考えた。それは何も税金とか、その他その程度の比較的小さな不都合のためにではなくて、彼らが国の道徳を低下させる大きな力であると考えたからだ。国の道徳を低下させると考えた第一の理由は、このために政府の行動は、国家内で公の利益よりも一部のための私利を優先させるとか、階級の利益のために立法権を濫用するとかいうことを通じて、公然たる公共道徳無視の典型になってしまうからである。さらに第二に、このほうが一段と大きな理由だが、大衆の敬意というものは、常にその時の社会の現状において権力への一番の近道になっているものにささげられがちなものであり、英国の制度下にあっては、世襲のものにせよ自分の一代で獲得したものにせよ富がほとんど唯一の政治的権力の源であったのだから、富あるいは富のしるしが本当に尊敬されるほとんどただ一つのものとなり、国民の一生は主としてそれらの追求にささげられるということになった点である。私の考えたところでは、上流の金持の階級が政治権力を握っている間は、国民大衆を教育し啓発することはそういう権力階級の利益に反する。なぜかといえばそれは国民にわが首にかかっているくびきを投げすてる一段と大きな力を与えることになり勝ちだからである。しかし、もし支配権力の中に民主主義が大きなあるいは第一位の発言権を得たばあいには、国民の教育を促進することが富裕階級の利益になる。それは、本当に有害なあやまち、特に財産権の不当な侵害にみちびきそうなあやまちを、防ぐ結果になるからである。


(第5章、152-153頁)

*1:これはほとんど与太話なので、あまり本気にされぬよう。