アレクシス・ド・トクヴィル『旧体制と大革命』抜粋


旧体制と大革命 (ちくま学芸文庫)

旧体制と大革命 (ちくま学芸文庫)


 人間がさまざまの出来事を記憶にとどめるようになってから、世界で起こった事象を注意深く検討すれば容易に気づくことだが、すべての文明国では、命令を発する専制君主の側に、一貫性のない恣意的な意思を合法化し体系化する法学者がほとんど必ず見出される。法学者たちは、国王の権力への限りない全面的な愛着を抱いているが、それだけでなく、おのずと習得した統治の細目に関する方法・学問への愛着をも抱いている。国王は臣民に一時的服従を強制する術を心得ているが、法学者は臣民に永続的服従をほとんど自発的に受け入れさせる術を心得ている。国王は力を、法学者は法律を提供する。国王は恣意によって、法学者は合法性によって、主権に向かって歩み出す。国王と法学者とが出会う地点に、人間にかろうじて呼吸をさせるだけの専制政治が樹立される。だからこそ、法学者を忘れて君主だけをあげつらう者は暴政の一部分しか認識したことにならない。その全体を理解するためには、君主と法学者を同時に考察する必要がある。


(59-60頁)


 各個人、さらには各国民は自己の行動を律する権利をもっている、という考えがある。この考えは、まだ曖昧で、充分に規定され明確化されていなかったが、少しずつすべての人々の頭に入りこんでいた。この考えは、教養のある階級のなかでは理論のレベルにとどまったが、民衆には一種の本能として伝わった。その結果、自由へのいっそう強力で新し衝動が生まれた。そのとき、フランス人がずっと抱いていた独立への愛着は一つの理論的・体系的な思想となった。この思想は少しずつ広まって、ついには王権そのものにまで及んだのである。王権はつねに絶対的である、と理論上はみなされていた。その意味で主権は、行動を起こす時には暗黙のうちに、民心が諸権力のうちで第一のものである、と認識し始めた。ルイ一五世は、「大臣たちを任命するのは朕であるが、大臣を解雇するのは国民である」と述べている。ルイ一六世は、その最期にあたり監獄で心の奥底をまざまざと披瀝しながら、彼の臣民たちについて語ったのだが、そのときにもまだ朕の同胞たちと言っていた。
 人間の一般的権利と自然の一般的権利についての議論が初めて聞かれたのは、一八世紀のことである。人間の一般的権利とは、万人が正当で永遠の遺産として平等に享受することを要求できる権利である。自然の一般的権利は、全市民が行使すべき権利である。
 マルゼルブは王国の最高裁判所の名において、大革命の二〇年前の一七七〇年に、国王に次のように言った。「陛下! 陛下は王冠を神からのみ戴いておられるのです。けれども陛下はまた、陛下の権力が臣民の自発的服従に負うている、と信じるご満悦をご辞退になることはありますまい。フランスには、国民に属している不可侵の権利がいくつかございます。陛下の大臣たちは、これを肯んじないような大胆さをもちあわせてはおりません。そして、もしこれを証明する必要があれば、私たちは陛下ご自身の証言に頼るのみでございます。いや、あらゆる努力を尽くしても、フランス国民と奴隷民族との間には何の違いもないということを、だれも陛下に説得できなかったのです」。
 そしてしばらくして、マルゼルブは次のように付け加えた。「中間団体はすべて、無能であるか破壊されてしまっています。陛下のお話を承ることのできますのは、もはや国民だけでございますから、国民自身にお尋ねいただきますよう」。


(69-70頁。イタリックは原文傍点)


 重農主義者たちによれば、国家は国民を支配するだけでなく、特定の方法による国民形成を行わなければならない。あらかじめ国家が示した特定のモデルに従って、市民の精神を育成することも国家の任務である。国家の義務は、市民の頭に特定の思想を植えつけ、市民の心に国家が必要とみなす特定の感情を吹きこむことである。実際、国家の権利には何の制限もなく、国家のなしうることにも限界はない。国家は人々を教化するだけでなく、変貌させるのである。すべてのことが、国家だけに属することになるだろう。ボドーは「国家は人々を、まさに自ら欲するものにする」と言っている。この言葉は重農主義者たちの理論を要約するものだ。
 重農主義者たちの想像になるこの巨大な社会的権力は、彼らが実際に目の前にしているいかなる権力よりも強大であるばかりでなく、その起源も性格も異なっている。この社会的権力は神から直接生じたものではないし、伝統との関係も一切もたない。それは非人格的で、もはや国王という名で呼ばれることなく、国家という名でこそ呼ばれるものだ。それは一族の遺産ではなく、全体から生まれたもの、全体の代表である。それは個人の権利を全体の意思に従わせる権限をも有している。
 民主的専制と呼ばれる、中世にはまったく思いも及ばなかったこの特殊な形態の専制のことを、重農主義者たちはすでに心得ている。社会の階層化とともに階級差別が進み、身分が固定化した。しかし、民衆はほとんど類似した、完全に平等な個人からなる。まさにこののっぺらぼうの大衆は、唯一合法的な主権者と認められてはいるが、すべての権利――政府を自ら指導し、監視することさえできるすべての権利――を周到に奪われている。この大衆の上に存在するのは、大衆の名において、大衆にことわりなくすべてを行う責務を負った、ただ一人の受託者である。この受託者を統制するものは、器官なき一般の理性である。阻止するものは、法律ではなく革命である。彼は、法律上は従属的代理人であっても、事実上は支配者なのである。


(341-343頁)


 [フリードリヒ大王]法典で宣言されているのは次の点である。第一に、国家の利益と国民の福祉は社会の目的であり、しかも法律の制定範囲にある。第二に、諸法律は、公共の利益のためにのみ、市民の自由と権利を制限することができる。第三に、国民はみな、自己の地位と財産に応じて、一般的利益のために尽くさなければならない。第四に、一般的利益は個人の権利に優先すべきである。
 法典のどこをみても、君主とその一族の世襲的権利、および国家の権利と異なる特殊な権利については、まったく言及がない。国家という言葉は、すでに王権を指すために用いられている。
 これに対して、法典では人間の一般的権利が論じられている。人間の一般的権利とは、他者の権利を損なうことなく、自己の幸福を追求する生得の自由に依拠している。自然法または実定的な国法によって禁じられていない行為、それはすべて許される。国民はみな、国家に対して生命と財産の保護を要求することができ、国家の援助が得られないときは、力によって自衛する権利をもつ。
 立法者は、こうしたすぐれた原則を宣言したあと、フランスの一七九一年憲法とは反対に、自由な社会における人民主権の原理と人民政府の機構とをこの原則から引き出すことなく、急に方向を転換して、同じく民主的ではあるが自由主義的ではない、まったく別の帰結に向かっている。立法者は君主を国家の唯一の代表とみなし、すでに社会に認められているすべての権利を君主に与えている。フリードリヒが明言したように、法典では、君主はもはや神の代理ではなく、社会の代表、社会の代理人、社会の奉仕者にすぎない。しかし、君主だけが社会を代表し、社会の全権力を行使する。序文で述べられているように、国家元首は社会の唯一の目的である一般的利益を生み出す義務を負っているから、個人のすべての行為をその目的のために指導し規制することを認められる。
 この社会の全能の代理人の主要な義務のなかには、次のようなものがある。国内的に君主は、公共の治安と安全を維持し、各個人を暴力から守る義務を負う。対外的に君主は、平和条約を締結したり戦争をしたりする義務を負う。君主だけが法律と一般的な警察規則を制定する義務を負う。君主だけが赦免し、刑事訴訟を破棄する権利をもつ。
 国家の中に存在する各種団体と公共施設は、一般的な治安と安全のために国家の監視と管理のもとに置かれる。国家元首はこれらの義務を果たすために、ある程度の所得と実益的権利をもたなければならない。それゆえ、元首は私有財産、人間、職業、商業、生産物、消費を対象に課税する権限をもっている。元首の名において行動する役人の命令には、職務の範囲内にあるかぎり、元首の命令として従わなければならない。


(440-442頁)