スポーツ選手と芸能人の説明責任


2005/04/01(金) 00:40:11 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-32.html

これと、
http://blog.livedoor.jp/monapopu/tb.cgi/17169365
これに、
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/917ba033467438fd937f9d98ea145d14
関係することを以前書いたことがあるので、それを載っけちゃいましょう。


 プロスポーツマンとファンの関係については、今までも多くの論議がなされたと思う。プロスポーツマンはファンに支えられているということは、大前提である。本人が俸給をもらうのはチームやスポンサーからだが、そのチームやスポンサーに利益を与えるのはファンの存在だからである。また、精神的にも応援してくれるファンの存在は大きい。ファンは大事にしなければいけない。このことに異議のある人はまずいない。
 すでに引退したが、現役晩年の貴乃花光司(現貴乃花親方)は辛い状況にあった。引退直前のアスリートなんてほとんどが辛い状況におかれるが、貴乃花を苦しめたのはマスコミであった。いや、貴乃花本人はマスコミなぞ意に介していなかったかもしれない。だが、傍から見ていて、マスコミの態度はひどかった。
 丸一年以上休場し続けた横綱に対して、休場中も復帰した本場所中も、マスコミはコメントを求め続けた。これに横綱は無言を通していた。マスコミ関係者は苛立っていたのであろう。ある日の朝日新聞のスポーツ面に、記者の意見記事が載り、貴乃花はファンに対してコメントを述べるべきだという旨が書いてあった。ファンは横綱の説明を求めていると。私はこれには憤った。
 本当のファンがアスリートに求める最大のことは、最高のパフォーマンス(試合、プレイ)を見せてくれることだ。リップサービスなど、二の次に過ぎない。根っからの相撲ファン貴乃花ファンであれば、横綱が素晴らしい取り組みを見せることだけを期待していたであろう。巧みなリップサービスや、魅せるプレイをするアスリートは、プロとして意識が高い、素晴らしい選手である。だがそれは本分ではなく、魅せるという意味でのパフォーマンスに固執して、十分な働きが出来なかった場合、逆にプロ失格であるといえる。
翻って、貴乃花を考えると、彼は誰よりもファンを意識していたと言える。真剣なファンにとって、土俵上での働きが何よりも期待されるものであることを理解し、土俵に全力を傾けるべく、記者にとりあって集中を切らすことを嫌った。また、記者に何を言っても、土俵でファンの期待に応えない限り、何の意味も無いと考えた。
 記者の意見は、無言の横綱に対するマスコミの苛立ちの現れに過ぎない。コメントが欲しくて仕方が無いマスコミが、世論を代表しているかのような形で横綱を攻撃したのだ。マスコミが世論の代表者のような顔をして現れることはよくある。たいていが勘違いか、意識的に装っている。マスコミと民衆の間には溝があり、マスコミが言う需要とは彼らが作り出すものである。
 現横綱朝青龍が、以前ある取り組みで取り直しになったときに、記者が、取り直しになると観客が喜ぶという旨の発言をして朝青龍に意見を求めたとき、彼は「客のために相撲を取っているわけではない」と言ったそうだ。これはアスリートの本音であろう。もちろん彼がファンを軽視しているわけがない。勝負に対して真剣な人間が、一面的な観点からの質問に対して不遜にも見える態度を表すとしても無理は無い。まして朝青龍は取り組み直後で興奮していたであろうし、言葉尻を捕らえて批判するのは適切でない。スポーツ選手の本分は最高のパフォーマンスを見せるということであって、ファンの喜びというものはあくまでその結果として生まれるものである。
 さて、ここで難しい問題が生じてくる。選手は100%自分の力を発揮するためには、一般的と考えられているファンサービスも行わずに許されるものだろうか。MLBダイヤモンドバックスランディ・ジョンソン投手が、シーズン途中に開催されるオールスターゲームに選出されながらキャンセルしたことは日本でも話題を呼んだ。
 ここまでの論旨からすれば、私はジョンソン氏を弁護すべきであろう。確かにファンの期待に応えることは大切だが、そのことでアスリート本来の目的達成が阻害されることは、好ましくない。彼が優勝を至上命題に掲げて、そのためにオールスターを辞退することもやむを得ないと判断を下したのなら、一方的に非難するべきではない。それだけのことをすれば、結果が出なかった場合のごうごうたる批判は容易に想像がつくからである。ジョンソン選手はかなりのベテランであり、富と名誉を手に入れ選手生命も長くないであろうことも慮る必要がある。もはやオールスターの誉れや夢の対決などには魅力を感じないのかもしれない。
 ただ、やはりオールスターというのはファンの夢の結集であり結晶であるから、軽視するべきではなく、それなりの説明が必要かもしれない。


貴乃花も、一言ぐらい相撲に集中したいとの説明をしていれば、あれほど非難されなかったかもしれない。
しかし、そこまで求めるのも酷なような気もする。そこまでできたら人間として出来すぎのような気もしないでもないが、「公人」としてのスポーツ選手や芸能人にはそういう説明責任が課せられるものであろうか。


まあ、結局ファンも視聴者も最高のパフォーマンスを見せてもらいたいというのが第一だから、それができない状態になるのであれば、自らそれを改善する努力がまずあるべきだけれど、それも難しいとなれば、進退・言動の判断は本人次第だけれど、しっかりとした説明があれば、より良しと。
ま、少なくとも堀江を説明がない、ビジョンが見えないと批判するなら、自分も説明をする労を取れと。


岡村さん、あんた間違ってないですよ。

コメント

振られたホリエモン
きはむさんの考え方に共感いたしました。
ただし、結論部分はちょっと違います。堀江氏は自分からフジサンケイに「提携してほしい」と呼びかけ、ニッポン放送買収に動いた(能動的)のに対し、降板を発表した芸能人たちはそれを受けての行動(受動的)です。能動的に行動した人と受動的に行動する人とを比べれば、能動的なほうがより多くの説明責任を果たす必要があるのでは。
恋愛でも、男が一生懸命くどいても口説かれた女性がただ一言「ごめんなさい」ってことはよくありますし。実体験ですが。そんなときに「なぜ嫌なのか、説明責任を果たせ」なんていうのは野暮ですよ。
2005/03/31(木) 12:43:00 | URL | 玄倉川 #I4t1ZHtI [ 編集]


なるほど
そういう考え方もできますか。
でも、番組降板って受動的行為ですかね。
出演要請があって、それを断ったのならほぼ受動的と言い切れますけど、以前から自分で持っている番組を降板するという決断は、なかなか受動的とは言い切れない気がします。
生活もかかっていることですし。ふむ。
経済的デメリットを考えれば、自らリスクを負う覚悟で降板を決めるということは、説明責任を免じられるだけの重みがある決断だという論理も成り立つかもしれませんね。
2005/03/31(木) 21:38:12 | URL | きはむ #- [ 編集]


長い目で評価したいです
きはむさんのおっしゃる通り、完全に受動的とは言えません。ですが、ライブドアと比べればやはり受身の立場としての行動だと思います。それに、中島みゆきは現在番組を持っていませんし、タモリは野球シーズンには休止する番組であり、降板宣言というよりは「シーズン後に復活しない宣言」でありました。


私はどちらかといえば降板宣言した人たちの決断に共感してますが、怒っている人が多いみたいですね。視聴者離れ、「薄い」ファン離れが起きるのは間違いなさそうです。そのときに彼らが後悔するようであれば、そのときこそ私は「安易な決断、浅墓だった」と批判するでしょう。
2005/04/01(金) 00:40:11 | URL | 玄倉川 #I4t1ZHtI [ 編集]

TB


ライブドア関連のお勧めブログ http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/4c2a1a7197745dea1854c1845fe3b404


タレントにはファンを大事にする義務がある     …のか? http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/917ba033467438fd937f9d98ea145d14


責任論ノート―責任など引き受けなくてよい http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070122/p1