なぜ豆腐を食べてはいけないのか


2006/04/21(金) 23:28:24 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-215.html

戦争が行われる。あなたはそれを非難する。


君は、彼がただ川の向こう側に住む人だという理由で彼を殺してよいと考え、彼女がただ川のこちら側に住む人だという理由で彼女を殺してはいけない人だと考える。ただそれだけのことで、君は人を殺す。これほど全くくだらない理由で、君は人を殺すのだ。


と、あなたは言う。


それを聞いている私は思う。


あなたは、人が何処に住むかを以て殺す理由もしくは殺さない理由とすることを非難する。確かに、これは全くくだらない理由である。しかし、あなたはただ「それ」が虫であるという理由だけで「それ」を殺しているではないか。あなたはただ「それ」が人ではないという理由だけで「それ」を殺してもよい存在だと考えているではないか。人間であるか否かを以て殺す理由もしくは殺さない理由とするならば、これは全くくだらない理由だ。本当に、うんざりするほどくだらない。


ただ、人間であるだけで権利を持っていると言う。生きていてよいと言う。これを殺してはいけないと言う。なぜなのか。人間だからだ、とあなたは言う。馬鹿な、全くくだらない。何とも笑わせる、ヒューマニズム様、よ。


なぜ人を殺してはいけないのか、と私は訊くまい。私は、なぜゴキブリは殺してもよいのか、と訊こう。なぜ人には権利があるのですか、と私は訊くまい。なぜタンポポには権利がないのですか、と私は訊こう。なぜ人には尊厳があるのですか、と私は訊くまい。なぜ豆腐には尊厳がないのですか、と私は訊こう。ある、とあなたは答えるだろうか。もしそう答えるなら、これらを殺さないでやってくれ、守ってやってくれ、尊敬してやってくれ。あなたは全くうんざりするほどいい人だ。


人間が権利を持つというのは、もちろん決め事に過ぎない。人間が尊厳を持つというのは、もちろん決め事に過ぎない。人間が生きていてよいというのは、あるいは人間を殺してはいけないというのは、もちろん決め事に過ぎない。あなたがなぜ人間であるか否かという理由をそれほど重視するのか、私は知らない。何を以て「それ」が人間であると判断するのか、私は知らない。何を以て「それ」が生きていると判断するのか、私は知らない。だが、あなたが何を持ち出したとしても、私は確信を持ってこう言うだろう。それは、全くくだらない理由だ。


同じ人間だから、などというのは、全くくだらない理由だ。同じ家族だから、同じ民族だから、同じ国民だから、同じ、同じ、同じ…。はいはい、くだらない、もういいよ。これが属性のくだらなさだ。


私が、動物にも権利を与えよとか、殺生をするなとか主張していると思ったのならば、全く勘違いだ。私はくだらないと言っているの過ぎない。くだらない、くだらない、全くくだらない。だが、もし私が人間であるという理由で権利をくれると言うのなら、守ってくれるというのなら、どうぞお好きにして下さい。ありがたく頂戴いたします。私は虫も殺しますし、草も踏むますし、豆腐も食べますよ。もしかしたら人も殺す/食べるかもしれない。


なぜ私はそんな勝手なことが許されるのか。別に許さなくてもいい。そんなことは知ったこっちゃない。あなたにできることは、実力行使で私を止めることか、もしくは放っておくことか、どちらかでしかない。あなたも勝手にしてくれ。なぜ私はこんな勝手なことを言うのか。それは、私がそうしたいから、そう言いたいからだ。本当にもう、うんざりするほど、全くくだらない理由であることよ。


ところで、こんなことを言うと、批判精神が失われてしまう、という人がいる。知ったことか。私はいつでもしたいときに批判しますよ。必要とあればいくらでも装いますよ、偽りますよ、逃げますよ。そんなこと、当たり前じゃないか。全く。少しは頭使いなさい。