現代日本社会研究のための覚え書き――ネーション/国家


今回は力作…では別にないですが、少なくともここ1〜2年の間に書き溜めたり書き散らしたりしていたことがまとめてあるので、まぁそれなりに参考にはなるのではないでしょうか。宮台や東の議論との距離を明示したということもありますが、国家については左翼周りで言われているようなことは大体盛り込まれている/織り込まれているはずで、頑張って小難しくて分厚い本などを読まずとも、先端的な議論は押さえられるはずです。このことはシリーズ全体に言えることですが、このテーマでは特にそうです。このシリーズは大学のレポートに流用するのに便利な素材を提供していると思いますが、それはむしろ本望なことです。どのテーマでも専門的な文献はほとんど使っていなくて、教科書や新書を中心とした二次的・三次的な文献(+講義資料)や一般向けの書籍の議論を整理したものにネット上の情報を加えて構成された部分が主なのですが、それはこの程度の材料を使ってもここまでは行けるということを示すことになっていると思います。ほとんどの人にとっては、それ以上の細かい部分を扱っている専門的な議論は意味のないものでしょう。それでいいと思いますよ、私は。

近代国家の成立とナショナリズムの誕生


近代国家は、特定領域において相対的に強大な封建的武装勢力が、他の封建的武装勢力から諸権限を回収し、正統的な暴力行使の権限を独占することで成立する。特定領域における統治権力の統一は、単一不可分の「主権」の誕生を意味する。主権が樹立されると、遅かれ早かれ、統治権力者は法による自己制約(立憲主義)に服するようになる。これは、権力行使にかかわる被治者側の予期可能性を高めることを通じて、統治の正統性を確保し、統治の安定化を図ろうとするためである。法による支配は統治権力の奪人称化を促し、国家は一人または少数の利害と切り離されることになる*1

近代国家の成立に伴い、同じ統治権力を戴く特定領域の被治者集団が「ネーション/国民nation」として統合されていく*2。ネーションの形成、ないし国民統合は、封建的身分秩序の解体を伴う事業であり、国家の作為――言語の統一・公教育の実施・皆兵制など――として意図されると同時に、それを受け止める被治者集団の意思によっても担われる。やがて相互行為的な力学を通じて抽象的かつ総体的観念としての「国民」がイメージされるようになると、平等な「国民」としての連帯意識の創出を通じて経済的再分配の条件が整うとともに、統治権力は「国民」のために用いられるべきだとの意識が人々の間で強まってくる*3。強い結合を得た被治者集団としての国民が統治権力への影響力と応答力を拡大していくに従って、統治権力は民衆を統制し、搾取する権力から、民衆に配慮し、奉仕する権力へと変質していく。こうした国家権力の国民化=民主化の開始によって、「国民の(ための)国家」=「国民国家nation state」が形成されることになる*4


そして、これがナショナリズムの出発点である。ナショナリズムは、国家が上から押し付けてくる力を何らかの形で被治者側のものに造り替えようとする運動としての性格を持っており、その誕生時期は国民国家の形成時期と重なっている*5。近代になってナショナリズムが生起してくる要因としては、出版資本主義の勃興による共同体意識の醸成や産業社会に適合的な国民教育の普及などを指摘する立場が有力である。無論、ナショナリズムの前提となるネーションは何もないところにいきなり作り出せるものではないから、過去のエスニックな共同体(エトニ)との連続性がネーションの基礎として持ち出されるという歴史主義的な見解は正しい。しかし、その見解の妥当性を認めたところで、ナショナリズムが近代の産物である事実は変わらない。ナショナリズムの条件であるネーションは、近代にならないと――主権が誕生しないと――出現しないからである。

ネーションとは、第一に言語・宗教・文化・エスニシティなど、何らかの属性を共有する同質的な人間の群れである。そして第二に、ある国家によって統治される集団の全体および当該国家を統治する主体である。国民国家は一つ目の意味と二つ目の意味の集団の範囲が一致する場合に成立すると考えられ、両集団の範囲を一致させようとする運動がナショナリズムである(杉田〔2006〕、168-169頁)。萱野稔人がA.ゲルナーを援用しつつ行っている定義によれば、「ナショナリズムとは、暴力の集団的な実践を民族的な原理に基づかせようとする政治的主張」を意味する(萱野〔2006〕、194頁)。

しかし、「民族」とは、前国家的なエスニック・グループと後国家的なネーションの双方にまたがる意味重複的な概念であり、意味範囲を確定させることが困難であるために、あまり厳密な議論には適さない。それゆえ、この定義は「暴力の集団的な実践を国民的な原理に基づかせようとする政治的主張」と言い換えた方がよい。ここで言う「国民」とは、具体的行為主体の集合としての「人民people」に対置される抽象的総体としての「国民」であり、一体的な「ネーション」である。つまりナショナリズムとは、統治権力を特定のネーション=「われわれ」のために使わなければならないという国家に対する要請であり、統治権力が配慮すべき限られた集団として特定範囲の結合を再解釈≒再強化する行為実践なのである。


ナショナリズムnationalism」は、理論的・歴史的に幾つかの類型に分けることができると考えられており、既存の類型論を整理することによって得られる主要な類型は、3種の訳語への対応によって表現できる。

まず、(1)理念や価値の共有を中心とする政治的結合に基づき、能動的な行為主体としての市民が統治機構としての政府を統制するシビックナショナリズム=「国民主義(下からのナショナリズム)。ネーションに包含されるための条件は政治的意思に基づくシティズンシップの獲得であり、ネーションの境界が外に対して開かれ得ることから「健全なナショナリズム」と見做されることが多い。実例としては英米仏のナショナリズムが想定されることが多く、「日々の住民投票」(E.ルナン)や「憲法パトリオティズム」(Y.ハーバーマス)などの議論との重なりが大きい*6

次に、(2)象徴や教育を介した統治主体からの作為的な統合圧力を通じて、特定領域に居住する被治者集団が受動的に糾合され、国家に奉じる意識を持つようになる権威的ナショナリズム=「国家主義(上からのナショナリズム)。主として近代化過程で現れる社会内部の矛盾を覆い、被治者集団の統合を図るために動員されるイデオロギーであり、実例としては日独露の後発近代化国家が想定されることが多い。統治領域の居住者を統合する必要性から生まれているため、本来的に政治性(恣意性)が高く、人種やエスニシティなどの前国家的な属性と結び付くことで地理的限定を突破し、帝国主義へと膨張する蓋然性を持つ。

最後に、(3)国家の統治対象及び統治主体たるネーションの統合を、土地、人種、血統、言語、宗教、文化など、自然的・前国家的な根拠に基づく結合意識と同一視し、両者を合致させようとするエスニック・ナショナリズム=「民族主義。結合範囲の地理的限定が強いために非国家的なパトリオティズム(愛郷主義)に近い一方で、人種や血統などの先天的な属性を重視するために、レイシズムに傾きやすく、ネーションの境界は自明なものとして固定化されやすい。ゆえに、排外主義をもたらす「危険なナショナリズム」として警戒視されるのが常である。


これら三つの側面はどのナショナリズムにも併せ持たれている性質であり、現実のナショナリズムの相違は各要素の濃淡の違いによってもたらされている。ネーションは国家的まとまりを前提とした共同体意識(に基づく結合)にほかならなず、ナショナリズムが国家の想定に先立つことはない。エスニック・ナショナリズムとは、本来的に国家とは独立の文化的結合を持つ共同体であるエスニック・グループが国家的統合を意識するか、国家の成立の後で人々が遡及的にエスニシティによる統合を志向することによって生じるイデオロギーである*7

戦前の日本を覆った天皇ナショナリズムは、エスニック・ナショナリズムであると同時に、国家主義的な権威的ナショナリズムでもあった*8。急速な国民国家形成においては、合理主義に根差した国家的論理が、各地の土俗信仰や慣習などの地縁的共同体の論理や家共同体の論理と衝突する*9。そこで、近代化に伴って破壊されていく伝統的な共同体への代替的な統合措置として、天皇イデオロギーがその機能を果たしたのである(渡辺〔2004-05〕)。こうした統合機能はナショナリズムに共通のものであり、東浩紀が言う「大きな物語」による「象徴的統合」とはこの機能を指しているし*10、同じ事態を別の視点で捉えれば、固定的な身分制秩序の流動化によって新たにアイデンティティの安定的な供給元を探す必要に迫られた個人が、「国民」へと糾合されていく過程として描くこともできる*11



戦後日本のナショナリズム不全と90年代以降の「ナショナリズムの勃興」


日本では、天皇ナショナリズムの帰結への反省から、長い間ナショナリズムは低調だった。復古主義的色彩を濃く帯びた岸政権の退陣後に代わって登板した池田政権が保守イシューを封印し、経済成長重視路線に踏み切って以降*12、保守派の主流的立場(「保守本流」)においては、ナショナリズムの復興が明示的に目指されることはなかった。ナショナリズムを唱える傍流の論者が大手メディアで発言の機会を得ることは少なく、ナショナリズム思想が一般の支持を得ることはなかった。

高度経済成長期には、終身雇用や年功賃金、企業別労働組合や手厚い企業福祉などの日本的雇用慣行が成立したことにより、会社共同体に基づく企業社会統合が実現された*13。生活の安定とアイデンティティの保持により、日本への自信と愛着は深まり、少なくとも70年代以後には、9割の人が「日本に生まれてよかった」と考えるようになった(NHK放送文化研究所編〔2004〕、120-121頁)。とはいえ、こうした生活保守主義的な国家への肯定意識は、国家そのものであるよりも所属する企業への忠誠心に基づいていたため、戦前的な価値観とは無縁であり、日本的経営が礼賛された80年代においても、正面切ったナショナリズムは忌避される傾向にあった。


ところが、90年代に入って事態は一変する。かつては憚られた戦前日本への肯定的な言及が一般の目に触れる範囲にまで進出し、ナショナルな象徴や一体性を強調する言説が広い支持されるようになり、「日本人」としてのアイデンティティを強調した表現活動が目立ち始め、「ナショナリズムの復興」が頻繁に語られるようになったのである。

96年12月、従来の歴史教育を「自虐的」と批判し、近代日本の歩みを極めて肯定的に捉える「新しい歴史教科書をつくる会」が発足する*14。98年にはアジア・太平洋戦争における日本の行動を肯定する立場から描かれた小林よしのり戦争論』がベストセラーとなり、99年には国旗・国歌法が制定された。同年にはアジア系外国人への敵対的な発言を繰り返す石原慎太郎都知事に就任している(03年再選、07年三選)。06年12月には、憲法改正と並んで長らく保守派の悲願だった教育基本法の改正が実現し、愛国心の育成が盛り込まれた。

01年に小泉政権が誕生してからは、中国と韓国を中心とするアジア諸国との摩擦が官民通じて度々引き起こされた。小泉首相は就任当初から靖國神社への参拝方針を明らかにし、国内外からの激しい反発にもかかわらず、繰り返し参拝を強行した*15。国内では中韓との外交関係を毀損するとして小泉外交の失点を批判する立場が多数だったが、むしろ中韓の反発に対して反発を見せる向きも少なくなかった。韓国とは02年にサッカーのワールドカップを共催して友好関係が強調されたが、05年には竹島/独島の領有権を巡る対立が表面化し*16、韓国を戯画的に嘲笑する山野車輪嫌韓流』がベストセラーとなった。中国に対しては04-05年に相次いで巻き起こった反日暴動を中心とする中国国民の反日的言動に対して国民レベルで反中感情が高まり、尖閣諸島/釣魚島の領有権を巡る対立や東シナ海のガス田にかかわる権益争いで強硬な姿勢を貫くべしとの立場が広く支持されるようになった。

内閣府世論調査では、「国を愛する気持ちの程度」が「強い」と答える人はバブル期に一旦ピークを迎え、バブル崩壊後の長期不況期は一貫した減少傾向にあったが、2000年を底として、それ以降は急激な上昇を見せており、08年には過去最高の57%の人が「強い」と答えている(内閣府〔2008〕、図2)。また、「国を愛する気持ちを育てる必要性」があると考える人も、同時期から微増した(同、図4)。こうした変化の背景としては、98年のミサイル発射、02年の日朝首脳会談における拉致事件の公然化、05年の核保有表明と翌年の核実験を通じて、その脅威が強く意識されるようになった北朝鮮の存在と、02年頃からの景気回復の影響がうかがえる。


90年代以降のナショナリズムは、戦前日本の肯定や日本的象徴の強調、明示的な排外意識などを含む点で、企業社会的統合に支えられた生活保守主義的な国家への愛着心とは性質を異にしている*17。90年代になって「復興」したナショナリズムは、戦後を通じて伏流していたそれよりも、明確にナショナルなものへのコミットを顕示している。ここで、現代日本ナショナリズムが持つ特徴と、このイデオロギーが置かれている文脈を押さえておくことが必要だろう。

世界的には、ナショナリズムは左右ともに反グローバリズム的傾向を帯びるのが常だが、日本では国際競争主義と結託して、グローバル大国化路線とナショナリズムが結び付けられている(渡辺〔2007a〕)。欧米におけるナショナリズムは、産業を保護することで国民経済を守ろうとし、移民を排斥することで雇用を守ろうとする。ところが、日本におけるナショナリズムの主流は、石原や安倍晋三に見られるように、グローバリズムや国際競争主義に親和的で、むしろ規制緩和や雇用流動化を推進しようとする立場を採る傾向にある。この違いは何によるものなのだろうか。しかも、そうした親グローバリズム的なナショナリズム(国際競争主義的ナショナリズム)は、上層ホワイトカラーに留まらず、未組織労働者・非正規労働者を中心とする少なくない無党派都市民からの支持を獲得しているようである。果たして、これはいかなる事情に基づくのか。

元々、戦後の日本における「保守派」の内実は、反共主義とその帰結としての親米主義という一点によって糾合された緩やかな連合体であった。彼らの中核を担ったのは伝統主義者であるよりもむしろ進歩主義者であり、戦後保守政治の基調は進歩と競争――アメリカニズム――にあった。自民党が推進した開発主義政治は、伝統を保守するよりも断絶することに役立ち、地域社会を大きく変貌させた。親米以外の選択肢を持たない日本の保守派は、米国が――ダブル・スタンダードに基づいて――推進するグローバリズムを拒否することができない*18親米保守の立場から可能なのは、国際競争主義の内部に反中感情を組み込んだり、アジア系外国人を犯罪者視したりすることで、限定的に排外性を押し出す程度のことだけである。

80年代半ば以降、経済界からは国際競争の強調を通じた行財政改革の訴えが盛んになされるようになった。中国経済の台頭は国際競争激化の認識を浸透させ、規制によって保護されていた既得権層の解体への支持取り付けや、単純労働の賃金低下圧力を止むを得ないものとして容認させるテコとなった。90年代に入ると、長期停滞に耐えかねて会社共同体が崩壊し、非正規雇用が拡大することで、社会の断片化が進んだ*19。既存の団体動員型政治は失効し、ポピュリズムが優勢になる(宮台〔2005〕)。流動化によって不安を惹起された人々は、従来の会社共同体に代わる拠り所を求めて、「つくる会」的ナショナリズムへと吸引されていく(宮台〔2006b〕、16&19頁)。経済状況の悪化や雇用の流動化の「割りを食った」人々は、安定的な地位を保っている既得権層や自分たちの利害に応答しない政治への不満を強め、ネオリベラルな改革の推進による一層の流動化を希求するようになる*20。経済的なアンダークラスは、所与の条件として突き付けられるグローバル化や国際競争を理由として自身の境遇を受け容れるように迫られる一方、日常的に触れ合う機会の多い低賃金の外国人労働者を「ライバル」として敵視しがちになり、ナショナリズムに接近していく(雨宮・萱野〔2008〕、59-61頁)。「社会の外に放り出された貧困労働層」であっても、ナショナリティエスニシティを通じたアイデンティティ規定によって、「人としての尊厳を回復することができる」と考えられるのである(赤木〔2007〕、219頁)*21

以上から、現代のナショナリズムは――当然ながら――戦後日本の歩みに強く規定されていることが解る。日本には保守すべきものは無い。高度成長と開発政治によって全て破壊され尽くしたからである。したがって、有り得るナショナリズムは戦後的な価値ないし体制を前提とするしかなく、戦前回帰的なエスニック・ナショナリズム天皇ナショナリズムは支持を獲得し得ない。例えば、少なくない日本人が剥き出しにする中国や北朝鮮に対する敵愾心は、自由民主義体制への自信と誇りに支えられており、相手方の権威主義体制への優越感を含んでいる。韓国の大衆的な反日行動に対して向けられる、ファナティックないしエモーショナルなナショナリズムには付き合えないという嘲笑的な姿勢も、同種の優越感を伴っている。そこには世界第二位の経済大国として世界に占める地位に見合う理性的な自画像の抱懐が見えるが、同時に長期停滞と中国を筆頭とする新興国の台頭による衰退への危機感と焦燥が混入してもいる。いずれにしても、安定的な自由民主義体制と世界に冠たる経済大国の地位は、ともに「戦後レジーム」にほかならない。かくのごとく、現代のナショナリズムの前提には常に戦後的なものへの肯定が在るのであって、単純な「復興」や戦前回帰――「いつか来た道」――ではありえない。

それは、天皇への関心が如実に失われていることからも明らかである。1959年以降に生まれた「戦無世代」では、2003年時点で57%が天皇への「無感情」を示しており、現代のナショナリズムが「天皇抜きのナショナリズム」でしか在り得ないことを知らせている。


 (NHK放送文化研究所編〔2004〕、131頁)


 (同、133頁)



ポストモダンにおけるナショナリズムの不可能性とポピュリズム


ポストモダンナショナリズムは、高い再帰性を特徴とする*22。流動化・島宇宙化する社会で孤立する個人は社会的な支援を期待できず(不幸の個別化)、行動の結果を自らの責任で処理しなければならないため、大変な心理的抑圧と不安に直面する。ポストモダン社会では、人々はそれぞれの閉鎖的な価値コミュニティ(「小さな物語」)に没入する一方で、抑圧と不安にさらされる自我の拡散を防ぎ、何らかの「意味」に係留する――「繋がる」――ため、超越的な存在(「大きな物語」)への同一化欲求を強めていく。「大きな物語」の相対性を自覚しながらも、非流動的な「寄る辺」を得るために「敢えて」超越的存在に接近していくのである*23

したがって、「勃興」するナショナリズム新保守主義を「失われた共同体の再建を目指すイデオロギー」と見做すよりは(渡辺〔2007a〕)、流動性への不安が超越的存在への接近を促したと考える方が自然である。流動性ゆえに、安心できる帰属先がなく、承認が供給されない。流動性による承認不足が、内に向かうとスピリチュアル――自己責任倫理の内面化による自己改造欲求――を、外に向かうとナショナリズム――自分の存在意義を保証してくれる超越的な存在への接近欲求――を帰結する(雨宮・萱野〔2008〕、96頁)*24。自己の位置付けが欲しい。無条件の承認が欲しい。承認を確保してアイデンティティを安定させるための手段としてナショナリズムに接近する再帰的選択が蓋然性を持つようになり、いっそ戦争で「お国のため」に死ぬことによって「国民」としての栄誉を得ることに希望を見出す人間が現れる(赤木〔2007〕、210頁)。

アンダークラスナショナリズムは、連帯意識であるよりも、外在的な暴力主体としての国家を介した分捕りの要請を正当化する方便としての性格が色濃い。彼らの間ではネーションの連帯感など信じられていないが、国家は国民の生活を保障するべきだとの意識だけは強まっている。国家的象徴などには興味がないが、金は寄こせと言うのである(ex.赤木智弘)。これは「パラサイト・ナショナリズム」の呼び名に当てはまるだろう(篠原〔2004〕、146頁)。国家への愛着や誇りはあるが、命を張ってまで国家を防衛しようとは思わない。国家は国民の暮らしを保障するべきだと考えるが、自分が国家のために何かしようとは思わない。こうした意識は、生活保守主義を経て醸成されたものであり、サービス主体としての国家観を定着させている。04年に起きたイラクでの邦人人質事件の際に巻き起こった自己責任論では、国家が国民を助ける費用を国民に求める措置が正当化されたが、それは国家の国民への奉仕が対価に応じたサービスと見做されるようになった――行政の公共性が喪失された――ことを示唆していた(総消費社会)。


確かに、現代の日本は国旗・国歌法が通過する環境になり、靖国参拝を強行できる環境になり、教育基本法が改正される環境になった。戦後日本の歴史を知る者からすれば、これらの事実はそれなりに衝撃的である。この事態はしかし、両義的なものだ。つまりそれは、(ある種の人びとにとって)わざわざ国旗と国歌を定める法を作らなければならないと感じられる時代になったということでもある。また、激しい反発に抗してまでも靖國に参拝する必要が見出される情勢になったということでもある。そして、何とか愛国心を教え込まなければならないと考えられる状況になったということでもある*25。これが再帰性である。ナショナルなものは再帰的に選択させ、強制しなければならなくなった。その理由は何か。ネーションの一体性が動揺しているからである。

民主化の昂進としての個人化が進むと、ネーションの一体性は信じにくくなる。産業構造の転換や都市化・郊外化に伴う地域・家族・職場などの流動化に高度の情報化が加わって、社会が島宇宙化し、共通のアイデンティティを持つことが難しくなる*26。人権思想の浸透と高度消費社会を経て肥大化した権利意識・消費者意識が全面化した総消費社会では、金を払った者に発言権があるとの消費者主権原理が支配的になり、資源を拠出する上層は再分配への不満を募らせていく*27。国家は対価に応じたサービスを提供する市場的アクターのアナロジーで捉えられるようになり、社会的な連帯意識は希薄化する。社会に亀裂が走り、ネーションは解体へと向かう。

ネーションの解体は、ナショナリズムの不可能性を意味する。それゆえ、近年見られるナショナリズムの「復興」は、実はナショナリズムに似て非なるものである。あるいは、少なくとも、従来とは異なる性質を帯びたナショナリズムである。それは、ポピュリズム的なナショナリズムであり、端的にポピュリズムと言ってもよい。宮台真司によれば、流動性の高いポストモダン社会では、万人が共通して嫌う不幸の存在をテコにして、「不安のポピュリズム」が生じやすくなる(宮台〔2006a〕、宮台〔2007〕)。現代の日本で起きている事態はこれであり*28、問題はナショナリズムからポピュリズムへと移行しているのである。


鵜飼健史が指摘するように、ポピュリズムは全体性を失いつつある社会に疑似的な連帯感をもたらす機能を有する(鵜飼〔2006〕、鵜飼〔2007〕)*29ポストモダンの社会では、社会の流動化と島宇宙化によって全てが相対化されてしまう不安ゆえに、全体の代表を求める感情が強まる。全体代表を標榜する人物が実際には部分的な利益を代表するに過ぎないことが暴露されれば、直ちに攻撃の的になる。人々の利害や要求はバラバラであり、相互に対立しさえもするが、とにかく「不満である」ことの一点では意見が一致できる(森〔2008〕、160-161頁)。したがって、人々の異なる不満を外形的に糾合し、それを投げ付ける「敵」を名指すことによって、疑似的な連帯意識を生み出すことができる*30。ポピュリストは「人民people」を代表すると主張するが、その構成は一枚岩ではないため、「サイレント・マジョリティ」への情緒的な訴えを通じた支持の拡大を企図する(篠原〔2004〕、138頁)。この際、ポピュリストは具体的な政策体系を示さずとも、人々の「不満の連帯」を体現する振る舞いを見せることのみによって、全体社会の代表者としての地位を獲得することができる。すなわちポピュリズムは、指示される内実を伴わない「空虚なシニフィアン」の媒介によって――正体不明の「英雄」が正体不明の「敵」を名指すことによって――成立するのである(杉田〔2005〕、第4章)。鵜飼の言葉を借りれば、「人民の名のもとに、政治社会の全体性を回復させようとする意志」によってポピュリズムは起動し、「ポピュリズムに凝集する多様な敵対性は、このような人民の共同性によってとりこまれ、意味づけられる」のである(鵜飼〔2007〕、66頁)。ポストモダンの断片化した個人は、「空虚なシニフィアン」の下へ凝集し、ポピュリズムに回収されることで新たな共同性を疑似的に経験することができるのであるが(同、129頁)、雑多な利害が外形的に糾合されたに過ぎないポピュリスティックな政治過程から相当の果実を得られる可能性は小さいのが現実である。

過去のナショナリズムにおいては、抽象的総体としてのネーションの結合が信じられており、外部に位置する敵との対照が主だった。経済成長による生活水準の向上から階級対立の構図――その対立は固定的だったので対立構図そのものを内包する全体性の存在は信じられていた――が失効してからは、なおのことそうである。しかし、現代のポピュリズムにおいては、ネーションとしての一体感が信じにくいために、敵対性を内部化して、より状況付けられた一体性を創出する。疑似的に創出される連帯性・一体性は、総体的ではなく、より状況付けられているため、一時的でしかないカーニヴァルとして現出する*31

今や存在するのはネーションではなく、多数派「人民」と、その「敵」だけである。敵対性は外よりも内において強調され、「敵」との対照においてのみ「われわれ」の連帯性が感取されるので、連帯性を演出するために、絶えず次の敵が探し求められることになる。ただし、絶えざる流動性のため、誰が多数派になるのかはそれほど自明ではない。ポピュリズムの担い手は多元的な敵対性が節合されたものであるから、主流的なポピュリズムと対抗的なポピュリズムの構成員は相互に重なり合う部分が多く、状況によって流動する部分が大きい。こうしたポピュリズム政治においては、「誰が味方で誰が敵なのか」を巡る情報戦が激しく繰り広げられることになり、そのこと自体が政治的連帯の安定性を毀損し、流動性の上昇を促す。したがって、一見ナショナリズムの「復興」に見える様々な事象は、実際にはより限定的な文脈に縛り付けられた局所的なカーニヴァルでしかないと見るべきである*32


現代のナショナリズムポピュリズムとして再解釈すると、複数の左派論者から提出されている、承認を確保するために戦略的にナショナリズムを動員する姿勢――「方法としてのナショナリズム」――が、既に不可能性に直面していることが解る(東ほか〔2008〕)。それは、ネーションの統合になおも固執する点で、明らかに未来の無い立場である。自我の不安を散らすために暫時のカーニヴァルへ没入する島宇宙の住人を恒常的なネーションへと再組織することは困難であるし、アイデンティティと物質的条件だけを提供してくれれば十分だと考えているパラサイト・ナショナリストにナショナルな公共性創出の主体たることを期待しても、無駄と言うほかない。ナショナリズムポピュリズムを超えられない。ネーションの解体が所与の条件となりつつある現代において、全体性を前提とする思考には何も変えられないのだ。

また、「大きな物語」の衰退と「カラスの勝手主義」に抗して、普遍性を放棄するべきではないとの立場から内実不明の仮構としての普遍的正義の想定を持ち出す否定神学的正義論者も、ポピュリズムに呑み込まれてしまっている*33。持ち出されるフェイクとしての普遍性=「空虚なシニフィアン」は内実を持たないため、その隙間に本来ローカルなはずの価値観や道徳観が入り込み、恣意的な正義が本質主義的に正当化される危険性が常に伴う。正体不明の「ネオリベ」を批判し、自身の経験主義的な正義を必然的な倫理であるかのように語る「左旋回したポストモダニスト」たちは、その実例である(仲正〔2004〕)。否定神学の陥穽という意味では、小泉的ポピュリズムデリダ的「来るべき民主主義」も同水準でしかない。内容は未決だが絶対に正しい「正義」とその敵対者としての「悪」を想定する否定神学には、ポピュリズムを克服することはできない。そのことは、「人権」「消費者」「市民感覚」「改革」「環境」などといった普遍性を標榜する内実不明の概念が、誰も反対できない「正論」としてポピュリスティックな破壊力を持つに至っている現状からも明らかである。


さて、少し冒険的な議論になるが、萱野によるナショナリズムの定義を踏まえて、ポピュリズムを「暴力の集団的な実践を人民的な原理に基づかせようとする政治的主張」と定義してみることも可能かもしれない。この定義は、ナショナリズムポピュリズムについての議論に、従来とは異なったチャンネルを開く。ポピュリズムは「大衆迎合主義」などと翻訳されてデモクラシーないし衆愚政治の文脈で語られる/受け取られることが多いため、ポピュリズムナショナリズムと対比させつつ論じるのは異様に感じられるはずである。こうした論法は、憲法学における「国民nation」/「人民peuple」の対立図式を援用することによって可能になる(「法外なものごとについて」の1を参照)。

この図式に則れば、抽象的な総体として観念される「国民」を前提/帰結するのがナショナリズムであるのに対して、具体的多数派として観念される「人民」を前提/帰結するのがポピュリズムであると考えることができるのではないか。そうであるならば、事態を単純に問題視することはできない。それは民主化の昂進としてポジティブに捉えることも可能だからである。主権の行使にかかわる決定において、抽象的な「国民」はその利害を「代表」されるほかないが、具体的行為主体である「人民」は直接に参与することができる。直接に参与せずとも、「人民」の代表者は、自らの意思で行為するよりも選出母体の「代理」として行為することが求められる。実際、近年の日本では、統治を委任される「国民代表」への信頼が低下し、国民意識レベルで「直接制」への接近が確認される。政治家や官僚の裁量範囲は限定される傾向にあり、市民による政治参加や司法参加が積極的に推進されるようになっている。ポピュリズムは、こうした変化の帰結や一面を表現する概念ではなく、むしろ変化の淵源や全体を包括する概念――ナショナリズムと同水準の概念――として再解釈するべきなのではないか。上に提起した異様な定義には、そのような意味を込めたつもりである。



ポストモダンにおける国家――ネーションの解体への対応としての権力の再編成


ポピュリズムの進展は、「国民主権」=「ナシオン主権」から「人民主権」=「プープル主権」への移行を伴わせる。それは、曖昧な「国民」の連帯を前提とした国民代表による裁量的統治をできる限り排し、具体的な「人民」の同意=「民意」に基づく機械的行政を実現していこうとする意味で、民主化の徹底である。そこで個々人の自発的同意を統治の基礎に据える(ロック的意味での)社会契約論的立場は、行政サービスを市場的契約関係に基づく私的サービス供給と同一地平で捉える態度と密接に結び付いている*34

行政サービスが契約関係に還元され、市場的サービスと完全に並行的に捉えられるようになると、社会的連帯そのものが失われていくだろう*35。税負担に対価性が求められる傾向が強まり、行政サービスは、税負担者が同意した内容について、負担に見合うだけの程度と範囲で提供されるようになっていく*36。抽象的な「国民」の連帯を前提としていた「ナシオン主権」期には国民代表による強行的資源再分配が正当化されていたが、「プープル主権」が徹底されれば、資源を拠出する層の同意なくして同じことはできない。民主化の歴史は「国民」の形成によって社会的連帯を生み出したが、「国民」を「人民」へと変容させることによって、「社会的なもの」の磨滅をもたらしつつある*37


他方、サービス主体としての国家に期待される役割は、肥大化する傾向にある。それは生命と福祉を扱う領域において顕著であり、国民の多面的なセキュリティに配慮する「安全国家」ないし「予防国家」としての性格は強化される一方である*38。ネーションの分断が進み、統合性が消失すると、それでもなお共通した関心事となりうるセキュリティが焦点化され、モラルイシューよりもセキュリティイシューが求心力を持つようになる。断片化する個人がフレームとしての国家への関心を強める事態――「国民なきナショナリズム」――は(東ほか〔2008〕)、人々がもはやセキュリティでしか繋がることができない国家の治安共同体化を示している。

セキュリティが強化される中でも、「小さな政府」への志向性は維持される。公権力が管轄する範囲は拡大されながら、直接に関与する部分は縮小されていくのである。それは、国家権力の限定という自由主義的命題を裏切らずに――建前上維持しつつ――個人化する社会の要請に対応した権力布置の再編成を進める入り組んだ過程である*39。この過程を通じて、市場や市民社会における多様な活動を一段上で支援ないし評価する役割への特化という国家役割の変容が実現される。

例えば軍事および治安領域における市場と共同体への外注は、国家の負担と責任を軽減しながら、何を・誰に・どこまで許すかの権限が持つ意味を大きくし、結果として「小さくて強い政府」を作り上げる(萱野〔2007〕、69-72頁)。このように、直接介入からの選択的撤退を遂行し、福祉、教育、治安、行刑、軍事といった諸領域を民間部門に開放しつつ、競争に参加するアクターの資格や能力を評価するという形での影響力行使に傾いていく現代国家の特徴は、「評価国家」と呼ばれる。(町村〔2006-07〕)。評価国家の像を鮮明にするためには、国家権力の現代的再編成についての齋藤純一の要約が役立つ(齋藤〔2005〕、87-88頁)。

統治は、人びとの自発的かつ能動的な自己統治を積極的に促しながら、かつ、その自己統治のパフォーマンスを捕捉し、それを監査・評価するというモードに変わりつつある。言いかえれば、それは、個人や集団(アソシエーションを含む)による多元的な自己統治に広範な活動領域を与え、しかも、その活動に対する評価そのものをも多元化しながら、同時に、自己統治がそうした評価システム(audit system)をつねに参照しつつ行われるように方向づけるのである。


このような評価国家への移行が起こるのは、社会の決定権限が政治過程から流出して「サブ政治」の領域が大きくなっている状況への対応でもある*40。サブ政治化を経たフォーマルな政治過程に残されている影響力は、法的な許認可・処罰権限と、経済的な資源に限定される。「大きな物語」の衰退の後では、単一の理念や象徴に基づく統合は不可能であり、国家の影響力はより物理的な次元へと縮減/凝縮されていくのである。

以上のような認識に立つと、ポストモダン社会では、「共通の行政、共通のデータベース、共通のネットワークのうえに、異なった価値観を抱えた無数のサブカルチャーが林立するという、一種の二層構造」が採用されざるを得ないとする東浩紀の議論は、説得力を増す。東によれば、象徴的統合が不可能になった現代では、複数の象徴的共同体(「小さな物語」)の層における利害衝突が、その下にある非理念的なシステムの層――「大きな非物語」――で工学的に解決されるという「工学的統合」への移行が生じつつある(東〔2002=2007〕、206-209頁)。多様な価値がそれぞれの島宇宙で自由に追求される価値志向的なコミュニティの層を、誰もが利用可能な必要最低限の共通サービスを提供する価値中立的なインフラの層が支えるという意味で、東はこの事態を「ポストモダン社会の二層構造」と呼ぶ(「ポストモダンの二層構造」@ised@glocom 、東〔2005〕、東〔2003-05=2007〕、770-789頁)。


 (東〔2005〕)


ポストモダンの二層構造」は、リバタリアニズムによるコミュニタリアニズムの包摂――物質主義による脱物質主義の・「モノ・サピエンス的なもの」による「スピリチュアル的なもの」の包摂――であり、各人にとってのユートピアの自由な構築を許す「メタユートピア」の実現である。この社会構造においては、どのような価値を追求しても抑圧されることはない代わりに、多様なコミュニティの共存を支えるアーキテクチャに対するリスクだけは徹底的に排除される*41。しかし、アーキテクチャに敵対し(ていると見做され)さえしなければ、島宇宙での幸福な生活が阻害されることはない。これは、社会の多元化・流動化と、それに伴う不安や防衛意識に応じた、見方によっては理想的な社会構造である。こうした事態に臨んで、私たちが「抵抗」するべきなのか、仮にすべきだとしても、より魅力的な代替案を示すことが可能なのか、強い疑問を抱かざるを得ない*42


もっとも、こうした議論はやや未来を先取りしたイメージに基づいており、どこまで現実が伴っているかは定かでないところがある。しかしながら、統治権力の再編成が確実に進行していることは否定できない。その変化についての評価と対応は不可欠であろう。左派的な論者は強い警戒心をにじませているが、一般的に言えば、国家権力による垂直的な統治が行われる領域が狭まり、市民社会内部での自治や、民間主体と公共セクターとの協働による水平的統治の実践が拡大することは、好ましいことである。統治権力が「必要最低限」の範囲の役割に特化することで、その規模を縮小させ、市民社会が活性化することは、否定的に評価すべきことではない。逆に言えば、統治権力は「必要最低限」の仕事を手放すべきではないし、市民社会の活性化や水平的統治の実現によって新たな仕事が生じる場合もあるのだから、権力が単に縮小するのではなくて再編成という形を採ることは、自然な帰結だろう。それを新たな形の脅威や権力の強化と捉えることも可能だが、少なくとも一概に否定的な評価を下すことはできない。

歴史的に見れば、国家の変容をもたらしたのは、人命の尊重や個人の自由、多様性などといった価値の追求である。統治権力を法で縛り、民主的決定に従わせ、特定の価値観から中立的になるように努めさせ、あくまで個人の幸福の追求を援け、支えてくれるような役割だけを担うような形を目指して、再編成に再編成を重ねさせてきたのは、私たちが自由を求めてきたからである――自由主義の勝利。そして私たちの社会では現在、それなりに多様な価値観が認められているし、それなりの自治が多元的に行われている。しかも、これから一層発展していくであろう非常に巧妙な管理システムによって、私たちは自ら自由になろうとするまでもなく望むものを与えられ、幸福感を味わうことができるようになるかもしれない*43。そうしたシステムが実現するとすれば、私たちは自由を志す態度からさえも自由になることができる――自由の完成。それは幸福なのではないだろうか。自らの価値観に従って自らが望む生活を実現することができるのであれば、それが何らかの権力によって管理された結果であるとしても、別に構わないのではないか。幸福をもたらす蓋然性が高い管理を拒否する理由とは、一体何なのだろう。


こうした事情から、宮台や東は権力の再編成に警戒心をにじませる他の論者とは一線を画し、変化の方向性を不可逆であると考えた上で、それをどう穏当に統制するかに思考を切り替えている。

まず宮台は、不安ゆえのポピュリズムが排他的攻撃性に向かうのを防ぎ、各人各様の幸せ追求を肯定する社会を実現するために、「泥沼の再帰性」「終わりなき再帰性」(あらゆる価値の相対化)の負担に耐え得るエリートたちによる社会設計を通じて、各人に「生活世界」(相対的に非流動的な空間ないし関係)を確保・提供するという人称的かつパターナリスティックな処方箋を出している(宮台ほか〔2007〕、170頁)。その立場は、個々人の幸福を尊重しつつ、全体社会の調和を実現するために統治権力の介入を積極的に要請するという意味で、功利主義的リベラルと呼べる。

しかし、明白にせよ暗黙にせよ、多様性を強制することで共生させようとする社会設計は、宮台自身が危惧しているように、「テーマパーク」をしか実現し得ないのではなかろうか。それは一時的な満足はもたらしても、恒常的な安心を提供することは難しい。それでよしとする立場も有り得るが、少なくとも宮台が意図する目的を実現することは叶わないと思われる。

他方、東は、エリートによる管理を目指さずとも、市場メカニズムと技術の発展による創発機能によって、各々の島宇宙が幸せに共存するメタユートピアは非人称的・自生的に実現し得るとの期待を表明している(東〔2008〕、東ほか〔2008〕、大塚・東〔2008〕、第三章)。彼は、工学的・数学的なメカニズムによって望ましい資源分配も可能になると想定する。その立場は宮台よりも楽観的であり、かつ統治権力による介入が正当化される可能性をより限定しているという意味で、功利主義リバタリアンと呼ぶにふさわしい。

東の期待には具体的な裏付けが十分に伴っているとは言えず*44、非人称的なメタユートピアの実現可能性は乏しい*45 。「テーマパーク」としてのメタユートピアには、必ず管理者が存在するし、民主主義的価値観が浸透し切った現代社会では、その管理の民主的正統性が問われざるを得ない*46


既に、近代的な国民国家は曲がり角に来ている。もはや一体的なネーションは存立し難いということは、国家を支える主体が不在となり、トータルな国家観を語る条件が失われることを意味する。被治者と統治機関を分離してしまい、後者による操作・設計を必然視する宮台=東的な国家論が出現するのは、そのためである。しかし、彼らの議論には、現に在るポピュリスティックな破壊力を織り込むような政治学的リアリティが欠けている。現代に求められているのはネーションを前提にした国家論ではなく、ピープルを前提にした国家論であるが*47、彼らは端的にピープルを無視している*48。むしろ早急に必要なのは、宮台のように穏当なエリーティズムを夢想したり、東のように既存の民主政を見限ったりすることではなく、サブ領域へと流出した決定権に対して民主的正統性を取り付けさせる回路を整備することである*49政治学的に見れば、総体的な「国民」としての呪縛を解かれた個別の「人民」が露出するという事態は、単に民主政治が新たな段階に足を踏み出したというだけのことなのだから。



*1:これを国家の自由主義段階と呼ぼう。

*2:以下、ネーションとエスニシティについては関根〔2000〕と山内〔1996〕を、ナショナリズムについては関〔2001〕と杉田〔2006〕のほか、橋川〔2005〕や渡辺〔2004-05〕を参考にした。近代国家については萱野〔2006〕が包括的な説明を与えている。

*3:これは、個々の国民の差異が消し去られ、内外差異が本質化されやすくなっていく過程でもある。

*4:これを国家の民主主義段階への移行と捉えよう。国民国家の形成によって、主権概念は単に統治権力を指すだけでなく、統治の正統性を汲み出す淵源をも意味するようになり、「国民主権」の思想が登場する。

*5:国民国家とは、暴力行使の独占を要求する集団と、それを要求される人びととの関係がひとつの共同体へと再編成されたときにはじめて成立するものである」(萱野〔2006〕、16頁)。

*6:なお、憲法パトリオティズムは単なる法理念への忠誠や愛着だけに基づくものではなく、固有の歴史的文脈を伴った具体的法理の下での統合を意味していることに注意されたい(齋藤〔2008〕、50-51頁)。シビックナショナリズムも同様である。

*7:したがって、国家的統合を想定しないネーションは在り得ないが、国家的統合を獲得できていない――ないし剥奪されている――ネーションは在り得る。例えばクルドの人々がそれであろう。

*8:無論、戦前日本にもシビックナショナリズムの要素が無かったわけではない。しかし、ここでは近代日本の思想史を紐解く余裕は無いので、論の対象を最小限に留めることにしたい。

*9:近代的なナショナルの論理と伝統的なローカルの論理の衝突の諸相は、吉田〔2002〕に詳しく描かれている。

*10:序論」を参照。

*11:テクノロジー/メディア」の項を参照。

*12:政治/イデオロギー」の項を参照。

*13:経済/労働」の項を参照。

*14:会が携わった扶桑社の教科書(「歴史」「公民」)は、2001年に文科省の検定に合格した。

*15:靖國神社には、85年8月15日に中曽根首相が公式参拝したが、アジア諸国からの猛烈な反発を受けて、翌86年には参拝を自粛していた。

*16:3月に島根県が「竹島の日」を制定し、10月に韓国の慶尚北道が対抗して「独島の月」を定めた。

*17:とはいえ、生活保守主義ナショナリズムとの連続性を無視するべきではない。その連続性は、後述するパラサイト・ナショナリズムの性質に現れる。

*18:日本の反米保守は極めて少数派であり、反グローバリズムの一点においては左翼と親和的な主張を展開している。

*19:経済/労働」の項を参照。

*20:政治/イデオロギー」を参照。

*21:したがって、ネオリベラルな諸改革の進行に伴う経済的分裂への手当の必要性からナショナリズムが喚起されるのだとして、ネオリベラリズムといわゆる「新保守主義」の共犯関係を指摘する左翼的見解は、そこから階級的作為の想定を脱色して機能的説明として変換するなら、まず受け容れ可能であると思われる(ハーヴェイ〔2007〕、渡辺〔2007b〕)。

*22:テクノロジー/メディア」、「スピリチュアル/イデオロギー」の項を参照。

*23:ただし、市場を通じて再帰的に選択された価値――パッケージ化された「差異」や「伝統」――は、消費者の「再解釈」を通じて本質化され、相対性が忘却されていくことも多い。「敢えてする選択」だったものが、「これでしか有り得ない」ものとして必然化されてしまうのである――「クボヅカ的ナショナリズム」。

*24:人々は、情報化によって無数に見せつけられる可能的自己(あり得る/なり得る自己)と、現実の自己とのギャップに苦しむ。あらゆる価値や属性が相対化される――私は誰/何にだってなれた――中で、隣人の恵まれた境遇と自分の無残な現状を分けるものは、偶然でしかない。本来は自分と同じはずの人間が(せいぜい自分と同程度にしか努力していないはずなのに)利益に与かって、自分は何も得られないことの不満が、アンダークラスをして、「既得権層」≒正社員中流への敵視に向かわせる――同じであるべきなのになぜ違うのか。他方で富裕層には不満が向かず、「違う世界の住人」として差異が本質化される(赤木〔2007〕、214頁)。

*25:教育」の項を参照。

*26:共同体/市民社会」の項を参照。

*27:経済/労働」の項を参照。

*28:以下、「現代国家とポピュリズム」も参照。

*29:ポピュリズムと対抗政治」、「一橋大学機関リポジトリHERMES-IR」を参照。ポピュリズムの歴史の簡潔なレビューは、篠原〔2004〕、第4章を参照。

*30:そうした「敵」の代表例が「官僚」である。

*31:権威主義的で主流的なポピュリズムとは別に、多様な空間で表出している敵対性が何とはなしに糾合し、一時的な共同性を生み出していると見做せる事態もある。そうした経験においては、ポピュリズム的凝集がもたらす共同性ゆえに、運動そのものがカタルシスをもたらす自己目的的なものになる(「共同体/市民社会」の項を参照)。

*32:「ガンバレ、ニッポン」然り、日の丸然り、反中然り、嫌韓然り。

*33:正義の臨界を超えて」を参照。

*34:「[http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20070711/1184139994:title=gated communityとリバタリアニズム」を参照。

*35:もとより、具体的な政治的意思決定能力の具備を前提とする「人民」集団には政治的無能力者(子ども・精神障害者・過去ないし未来世代)は含まれておらず、「プープル主権」において彼らの利害が「代理」されることはないが、事態はそれを超えた範囲に拡大する可能性を持つ。

*36:コストを負担していないサービスは提供されないし、自らが享受することのないサービスのコストを負担する必要は無いと考えられるようになる。

*37:もっとも、ネーションの解体がそれ程進んでいなければ、国家を負担に応じたサービスを提供する機関と捉えながらも、社会的連帯を維持することは可能なのかもしれない。国民の重負担に見合う公共サービスを提供している北欧諸国では、国民が政府に対して強い信頼を寄せ、それゆえに重い負担を厭わないという好循環が維持されている。こうしたリベラルな原理とソーシャルな実践の幸福な結合は、歴史的文脈はもとより、「国民」の一体性が信じられていなければ不可能ではなかろうか。

*38:セキュリティ/リスク」の項を参照。

*39:現状認識と評価の差異」を参照。

*40:政治/イデオロギー」の項を参照。

*41:セキュリティ/リスク」の項を参照。

*42:何しろ、ポストモダンにおいては、思想は「小さな物語」に向かうか(コミュニタリアン)、「大きな非物語」(形式的普遍性=リベラルデモクラシー)に向かうしかないのだと言う(東〔2000-01=2007〕、530頁)。

*43:選択を意識させずに統治するテクノロジーの駆動=「ディズニーランド化」(宮台〔2006a〕)。

*44:東は、一方で富の再配分の必要性を肯定しながら、自らの構想の中でそれがどのようにして実現されるのかについて明確な答えを提出していない。ベーシックインカムへの期待感が表明されているものの、「小さな公共圏」の林立が国家単位の「公共圏」に止揚される回路を塞ぎながら、ベーシックインカム導入の政治的・社会的条件をどのように整備するのかは不明である。

*45:東的国家観について」を参照。

*46:セキュリティが及ぶ範囲はどこまでなのか。システムを設計・運営するのは誰で、そのコストを負担するのは誰なのか。コストを負担していない者にもセキュリティ機能は提供されるのか。されるとしたら、負担者の同意はどのように取り付けられるのか。

*47:象徴ではなく具体に、総体ではなく個別に、代表ではなく代理に着目した論である。

*48:具体的行為主体としてのピープルの社会構成力をスキップしてしまっている。その意味では国民代表による裁量的統治を基軸とする「ナシオン主権」の想定に引きずられているとも言えるかもしれない

*49:政治/イデオロギー」の項を参照。