酒井おばさんと池内ボッチャン


2006/04/30(日) 14:39:13 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-218.html

たぶん、一ヶ月ぐらい前だろうかと思うのだが、池内恵酒井啓子の対立構図について書こうとしたことがある。手違いで下書きが消えてしまって、改めて書く気を喪失したので結局流れてしまった。今もわざわざ書く気はもうしない。と言うより、この論点はまだ熟していない。


池内は『現代アラブの社会思想』が各所で名著名著と持ち上げられて、今や複数の論壇誌に頻繁に寄稿する売れっ子になっている。彼の主張のポイントは、イスラームの原則と西欧近代の原則は真っ向から対立するものであり、その点をきちんと認識しなければならない、ということである。また、この認識を十分に指摘してこなかったという理由で、彼はこれまでの日本の中東・イスラーム研究者を(実名を出さずに)批判する。


私も彼の言うところはよくわかる。厳しい現実というものをまず認識すべきである、全てはそこからだ、という問題意識は共有可能である。だけれども、やはり彼の書くものを読んで残る印象の内で主なものは、So What?、なんだな。この言葉を浴びせられるのは研究者としては酷な局面もあるとは思うが、少なくとも論壇誌に書いている人に浴びせるのは全然問題ないだろう。


他方、池内の言っているようなことはとっくに消化した上で、酒井は何とか前向きな出口を照らそうとしているように見える。池内的な、あるいは擬似池内的な言説を超えようとして色々メッセージを発しているように見える。何しろ酒井は、問題は「そもそも」論じゃない、と断言している。私が目にしているものは、新聞のコラムや書評などに過ぎないが、そうした断片的な仕事の中で、彼女は繰り返し、問題であり対立しているのは「文明」や「信仰」ではなく、「政治」である、とメッセージを発している。


もちろん、そうした言説の妥当性は慎重に検討されるべきであるし、私自身公平に見て、池内的原則論に対する対抗言説として十分に説得的なものが示しきれているとは読めない。だけれども、彼女がもがいている(と言って失礼なら申し訳ない)地点は明らかに前池内的な場所ではないし、ただ池内にぶら下がって「進歩派」的な研究者より高みに立っているつもりになっている人々(がいるとすればだが)よりも、はるかに生産的な活動を行っていると思う。何度も言うように、そのことと言説の妥当性の問題は別だけれどね。


何でこんなことを今日書いたのかと言えば、今日が日曜で酒井の書評をまた目にしたからなんだけれども。まぁ、それだけの話。しかし、イスラーム圏の政治の研究、ではなく、「イスラーム政治学」の研究って結構面白そうに思われる。生まれ変わったらやってみたかったかも。


現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)

現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)

コメント

こんにちは。
先日(06.09/24)と話題がガラリと変わって恐縮ですが、興味のあるものだったので少々。


池内恵氏に対する批判(名指し)としては、栗田禎子(くりた よしこ・中東近現代史)氏のものも目に付きます。
具体的には、


「加害者は被害者を恐れる――『イスラモフォビア』とその周辺」『現代思想』、青土社、2006年5月号、
   vol.34-6、186-192頁(批判箇所は188頁下段以降)。
「中東における民衆運動と政治文化」『現代歴史学の成果と課題 1980−2000Ⅱ 国家像・社会像の変貌』、
   青木書店、2003年、295-311頁(批判箇所は、現在手元に無いので該当頁失念。手元のレジュメより
   「4 今後の課題――『オリエンタリズム』的叙述と『イスラーム主義』のはざまで」にあるはず)。


などが挙げられます。私は酒井啓子氏の池内批判は知らなかったので、代わりに、と言っては何ですが、ご教示のお礼までに。
2006/09/25(月) 22:59:37 | URL | 和哉 #Pnsj6K02 [ 編集]


ご教示ありがとうございます。私の書き方が雑だったかもしれませんが、少なくとも私が目にしている範囲では、酒井が池内を名指しで批判しているわけではありません。


せっかく最近注目を集めている分野なのですから、もっとガシガシ名指しで批判し合えばいいのに、と常々思っています。まぁ、ご教示のようにあるところにはあるのでしょうし、私の勉強不足が大きいとはいえ。
2006/09/26(火) 16:54:06 | URL | きはむ #- [ 編集]