池内恵をこう批判してはいけない


2006/10/23(月) 21:00:36 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-286.html

そういえば、少し前にご紹介いただいた栗田論文現代思想の方)は最近ざっと目を通した*1。多分もう一つの方が詳細なので本人にとっては言葉が足りていない部分もあるのかもしれないが、池内批判の大意は解った。


で、結論を言うと、あの批判じゃダメだろう。全然ダメ。厳しく言うと、ダメ左翼の脊髄反射的批判の部類に入る。まず何らかの実証的研究などに即した批判ではない点にややがっかりしたが、その点は措くとしても、池内の問題提起を真剣に受け止めることも十分に消化することもしていない時点で失格だ。池内は一部のオカルト思想を採り上げてイスラーム世界の思想状況が閉塞していると決め付けるオリエンタリストであり、「反米」的中東研究者を「高みに立っている」と攻撃している点で右翼的言説と近い、と言っておしまいという印象。


何と言うか、本当に「他者萌え」(by稲葉さん)が根元まで染み渡っているんだな。イスラームや中東を「理解」し、その地点から「帝国主義国」の支配やオリエンタリストの無理解・曲解を批判するという(池内が批判する)作法が、政治的イデオロギーや希望的観測に根深く規定されていたのではないかと(形式的にでも)反省的に問い直してみるマナーは持ち合わせていないのか。最初から「帝国主義国」を批判したいという目的に合わせてイスラームその他を「代弁」するのなら、それは逆向きのオリエンタリストと言っていいし、右派言説に近いと言っただけでは当然ながら批判になっていない(それは左翼仲間同士でカタルシスを提供し合っているだけだ)。


繰り返すように、私は池内の結論には賛同することをためらうが、その問題提起自体は物凄く重要だと思う。池内説に対する説得的な批判が中東研究者の中から出て来て欲しいと思う。他方で、中途半端で弱い批判が出て来て潰されるのを危惧してもいたが、栗田のは予想以上にダメだ。問題提起すらまともに受け止めていないのは深刻だ。これじゃ池内がわざわざ相手をするまでもない。こういうダメな池内批判が出て来て左翼がカタルシスを得てしまうのを危惧していたから、微妙なラインで頑張っている酒井に期待をかけているのだが…。池内に反発を覚えている研究者は、別に反米で全然構わないけど、政治に踏み出す前にもう少し準備を整えてくれるとありがたい。研究者の良識というやつだ。

コメント

こんにちは。
ええと、確かに『現代思想』(2006年)の論文「だけ」を読む限りでは、きはむさんがそう思われるのも無理はないと思うのですが、栗田氏は9・11テロが起こった時にも文章を書いてまして、そこでは「このテロでイスラムに対する幻想が解かれるだろう(大意)」といったことを述べてます。


=以下引用=
イスラーム主義」についてはこれまでも中東自体においても、また世界や日本のマスコミの一部にも、これを「貧しく、抑圧された民衆を代弁する運動」と錯覚し、現実の政治過程の中でこの運動が果たしている反動的役割を見逃してしまう傾向が存在した。だが今回のテロ〔9・11テロのこと――引用者注〕が本当に「イスラーム主義」組織によることが判明し、組織の実態が冷静に時間をかけて解明されていたとしたら、それは人々が「イスラーム主義」なるものの真の性格を知り、この運動にまつわるすべての幻想を払いのける機会になったであろう。(103頁)


栗田禎子「『テロを支援するシステム、国家』の正体」『現代思想 10月臨時増刊 これは戦争か』、青土社、vol.29-13、2001年10月、101-104頁。
=引用&出典ここまで=


べつに私に栗田氏をかばい立てする義理なんぞありませんが(栗田氏もして欲しいと思ってないと思いますが)、きはむさんは栗田氏の主張の一方を過大に取り上げてらっしゃると見受けましたので、取り急ぎフォローさせていただきました。
あと栗田氏の実証研究ですと、たとえば以下のものがあります。参考までに。


栗田禎子「中東における非宗派主義と政教分離主義の展開」『イスラーム地域の民衆運動と民主化』(イスラーム地域研究叢書3)、東京大学出版会、2004年、151-176頁。
2006/10/24(火) 22:40:06 | URL | 和哉 #.F3tu6zk [ 編集]


フォローありがとうございます。ふむ、なるほどこの部分を読む限りでは、確かに私の栗田への批判は一面的であるようですね。どちらかと言うと「過激派」と多数派ムスリムの差異を強調する議論に近いのでしょうか。そこらへんに池内との対立点があるのかな。


栗田はつまり池内の問題意識については実は理解しているけれども、池内は反対側に振れ過ぎだと言いたいわけですか。そういう意味でイスラーム主義への幻想とオリエンタリズムの間を行きたいというわけか。どちらの虚像も批判したい、と。


うーん、でもそうであるならなぜ私が読んだ論文はダメ左翼的に読めてしまうのでしょう。それはそれで問題だと思うのですが(これだけしか読んでいない私のダメさは他にあるとしても)。状況の変化なのかな。5年の経過は結構大きいかもしれませんね。とりあえず実証研究その他も時間を見つけて読んでみたいと思います。


いずれにしても、この分野について、あまり空中戦的論戦は好ましくないと思います。よろしくない政治状況の中で(栗田にせよ池内にせよ、あるいは酒井とか内藤とか)それぞれに危機感や使命感みたいなものがあるんだろうと思いますが、中東研究者やイスラーム研究者はあまり「世論」や「論壇」を気にしすぎない方がいい。重要なのは、ムスリムは一枚岩なのか切れ目があるのか、「過激派」と一般ムスリムの間にはどこまで共通点がありどこまで差異があるのか、近代西欧的価値観とイスラーム的価値観は絶対的に相容れないのか妥協可能なのか、対立しているのは文明・宗教なのか政治なのか、最終的にいかにして共生は可能なのか、といった点でしょう。こうした点についてより実態に即した生産的な議論を積み重ねて欲しい。オリエンタリズムがどうしたとか高みに立っているどうこうとか、抽象的な話は評論家とか哲学者に勝手にやらせておけばいいんです。
2006/10/26(木) 00:24:48 | URL | きはむ #- [ 編集]